土曜日は、八尋くんと待ち合わせした時間の前に病院へ行った。
「ちゃんと打ち合わせした通りの格好でしょ?」
「だね。後ろ向いて」
後ろを向くと、背中から声が聞こえた。
「後ろの髪もはねてないね。希依はさぁ、時々後ろの髪がはねてるから。そーゆーとこちゃんとしないとねー」
「後ろを直すのは難しくて」
まだ、何も知らなかった頃、同じことを望叶に言われて、「望叶が早く病気を治して、家へ帰ってやってくれたらいいのに」と言ったことがある。
その頃にはもう望叶は自分の状態を知っていたのに「面倒くさいからずっと病院にいる」という返事が返ってきた。
その時の無神経だった自分を、私はきっとこの先一生許せない。
「家へ帰る前に寄るね」
「ううん。いい。来なくていいから、八尋くんと遊んで」
てっきり何を話したのか聞きたがると思ったのに、意外な反応。
「ちょっとだけ、頭痛くて。今日は寝ていたい」
「大丈夫? 看護師さんに言った?」
「よくあることだから。寝てたら治ると思う。でも、辛くなったらちゃんと言うよ」
「望叶の調子の悪い日に遊びに行くなんて……別の日に――」
「やだっ。私の楽しみを奪わないで。希依の話を聞くのだけが生きがいなんだから」
「そういう言い方しないで」
「はいはい。もう行ってください。私のことを思ってくれるんだったら、目一杯!楽しんで来て。それで私が『わーっ!』ってなるような話を聞かせて! お願い!」
「う……ん……行って来るね」
「いってらっしゃい」
追い出されるように病室を出て、待ち合わせの場所へ向かった。
電車の中でスマホの電源を入れると、すぐにメッセージを受信した。
八尋くんからで、「部活終わった 急いで家に帰ってる」とあった。
送信されたのは、私が病院に着いてスマホの電源を落としてすぐくらい。
今更だと思いながらも、「気をつけてね」と返信してから、ここ最近の八尋くんとのメッセージのやり取りを見返した。
学校では同じクラスといってもいつも話をするわけじゃない。
でも話をしなかった日はメッセージがくる。
「今日の午後は眠かった」とか「英語の宿題多くない?」とか、取るに足らないような一言だけ。それに「そうだね」とか「そう思う」とか、やっぱり一言だけ返信をして終わり。
八尋くんにとっては、きっとみんなに送ってる中のひとつで、ただの暇つぶし。
他人から見ればくだらないやりとりでしかない。
当たり前なんだけど、待ち合わせ場所に現れた八尋くんは私服だった。
私服姿を初めて見る。
「小鳥居さんの私服初めて見る。って、当たり前か」
「今、同じこと考えてた」
目があって、どちらかというわけじゃなく笑った。
「行こっか」
学校で話すのとは違う。
隣を歩く時の距離も違う。人がいっぱいいるせいだけど、ちょっと近い。
「今日見る映画、ドラマ版ずっと観てて、前作の映画も公開と同時に観に行ったんだ」
「私もドラマ版見てた。映画はテレビで見たけど」
「どこが好き?」
「医療ドラマだけど、誰も死なないところ。必ず主人公が助けて、救われるのがいい。八尋くんは?」
「俺は、医者が患者を待ってるんじゃなくて、助けに行くところ。自分も、何もしないで待ってるより、なんとかしたいって思うから。ドラマの最後で主人公の妹には死んで欲しくなかった」
八尋くんの言っているのはドラマの話。
わかっているけど、「妹の死」と言う言葉はやっぱり重くのしかかる。
望叶の病気がわかるまでは、主人公が重い病気で好きな人と結ばれないラストの映画も、その時は泣いてもしばらくしたら忘れることができた。
主人公を演じた役者さんは、舞台で自分の役柄について笑顔でコメントしていたし、しばらくしたら別の役で、また別の俳優さんと恋をするのがわかっていたから。
「死」は、自分とは関係ないところで起きる架空の出来事で、そのストーリーはどこか遠くで起こるものでしかなかった。
ゲームの中の登場人物が敵に倒されても、リセットボタンを押せばやり直せるのと同じ感覚。
まだ明るい映画館の中には、自分と同じくらいの歳の子が大勢いる。
この中のどのくらいの人が、未来が不確かなものだと知っているんだろう?
「小鳥居さん、スマホの電源落とした?」
「あ、そうだね」
電源は落とさず、音だけを消した。
万が一緊急連絡が入った時、すぐに対応できるように。
映画を観終わった後、八尋くんの第一声。
「今回も死者0で良かった!」
「うん、良かった!」
やっぱりラストは最強のハッピーエンドがいいに決まってる。
「まだ時間ある? なんか食べに行こうよ」
「行くっ」
ちょっと驚いた顔をされた。
自分でも咄嗟に出た返事に驚いた。
「今日は学校とは違う小鳥居さんを知った気がする」
「そう?」
「うん」
天気が良かったから、休日になるとあちこちで見かけるキッチンカーで何かを買って、公園の芝生の上で食べたりしたかったけれど、日差しが柔らかくなったとはいえ、まだ紫外線は要注意。
日焼けするわけにはいかない。
最初に目に入ったファーストフードの店へ入ることになった。
トレイに置かれたポテトを前にカロリーのことを考えたけれど、また明日から食べるのを我慢する。だから今日だけは八尋くんと同じ物を食べたい。
最初で最後になるかもしれない特別な日だから。
向かい合って座る席がいっぱいで、窓際のカウンター席に並んで座った。
真正面から顔を見なくて済むから、距離は近くなるけどこの方が緊張しなくていい。
「もうすぐ中間考査だと思うと気が重い。転校してきて初めてのテストで赤点取ったらどうし――」
いきなりポテトを口に突っ込まれた。
「ん……」
ポテトを食べ終わるまで話せない。
「楽しんでる時に今その話するから、罰だよ」
「ごめんっ」
「俺も憂鬱。勉強好きじゃないし。ってか、むしろ嫌いな方」
「でも、学年で10位以内って聞いたよ?」
「それ、だいぶ盛ってるって。10位以内に入ることはあるけど、いつもじゃない。親から言われてることがあって」
勉強しろってうるさいのかな。
「義務を果たしたら好きなことしていい、って。学生の義務は勉強なんだってさ。で、毎日その日に習ったことを、応用問題解けるとこまで復習してる。別にテストの点が上位何番までじゃないとダメだとか言われたことはないけど、数字で出るとこっちの主張も通りやすくなるから」
「部活終わって、家に帰ってから毎日勉強してるの?」
「めっちゃだるい。でも、おかげでテスト前だからって多く勉強しなくて済むし、俺のやりたいことに親は口を出さないでいてくれる」
「うちは放任主義で、勉強しろって言われたことない」
「けど、西木野に編入して来るってすごいと思うけど? 俺、受験勉強死ぬほどしたし」
「私も人生の中で一番勉強した」
望叶の願いを叶えたかった。
そのためなら何でもできる。
「入って良かったろ? 県内で一番自由な学校だと思う。サッカーも強い」
お店の中には音楽もかかっているし、周りにはたくさん人がいて、大きな声で盛り上がってるグループもいる。
でも、鮮明に聞こえるのは八尋くんの声だけ。
「知ってた? エアコンの電源って、ボックスの中にあって、先生が持ってる鍵がないと開かないんだ」
「でも、朝いつも教室に入ったらエアコンきいてるよね?」
「誰かがドライバーでボックスのネジ外して電源入れて、またネジ止めてる」
「それ、先生にバレたら怒られるんじゃない?」
「先生は黙認してる。毎日ネジを外してたから一回バカになって、ネジを交換したんだ。明らかにネジだけ新しくてバレバレだったのに、先生は笑ってた。バレンタインも本当はチョコ持ってくるのダメだけど、見て見ぬふりしてくれるから、俺にちょーだい」
チョコの催促は、話の流れでそうなっただけ。ふざけた言い方だったし、言い慣れてるのかもしれない。
それに、八尋くんはチョコが好きだから、純粋に欲しいだけ。
「前に通ってた高校は、バレンタイン日の朝、持ち物検査があったから誰も持って来てる子はいななくて、友チョコもあげたことない」
「じゃあ、俺が一番?」
「あげるって言ってない」
「サイアクなやつ」
「最悪」と言われて、思わず、バシンと腕を叩いたら「ひどっ」と言いながらも笑われた。
「最初に言い忘れた。小鳥居さんの私服姿、かわいい」
そんな冗談を平気で言うから、だから、どきどきしてるだけ。
「八尋くんもかっこいいですね」
「その言い方、ひっかかる」
「褒めてるのに文句言わないで」
「ムカつく」
頭をわしゃわしゃされて、「八尋くんに会うからきれいにしてきたのに」と言いそうになった。
それは、言ったらだめなやつ。
ちくりと胸に刻まれる罪悪感。
自分だけ楽しくて……許されるのかな……
望叶に、言えないことが増えていく。
日曜日、お父さんとお母さんが先に病院へ行き、私は遅れて行った。
望叶は映画に行った話を聞きたがってるはずだから、一緒に行くとこの間みたいに2人を早々に追い返してしまうと思ったからだった。
1時間ほど遅れて病室へ行くと、望叶は眠っていた。
何か違うと思ったのは、ベッドのそばに点滴棒があって、点滴バッグからチューブが足首に向けて伸びている。
望叶は両腕の末梢静脈がもう使えないから、次は手の甲から点滴するはずが、望叶が拒否したらしい。それで、足首を使っているのだとお母さんが教えてくれた。
手の甲が嫌なのは、そこに痕が残ると隠せないから。
それは望叶が学校へ行くことを望んでいるという意思に他ならない。
「望叶……具合悪いの?」
「ちょっとね。でも大丈夫よ。今日は起きてもぼんやりしてるだろうから話せないと思うよ。だから帰って試験勉強したら? もうすぐテストでしょ?」
「うん……そうする」
テストは1週間かけて行われる。その間は入れ替わることができない。
そのテストでもし赤点があったら、3週間ほど放課後に補習があると先生から聞いた。
私が赤点をとってしまったら、望叶とは4週間ほど入れ替わることはできない。
望叶にとっては貴重な時間が失われてしまう。
絶対に赤点を取るわけにはいかない。
朝、いつものように日焼け止めを塗って、洗面所から出ると、お母さんがドアの前にいた。
「び、っくりした」
「あのね、今週は病院に寄らなくていいって」
「どうして?」
「望叶からの伝言」
嘘だ。
望叶がそんなこと言うわけがない。
「これ」
お母さんが自分のスマホを私に向けた。
「――急がないとスマホやばいよね? 希依、聞いてる? 今週は来なくていい。試験近いんでしょ? オトモダチ!のカナちゃんとでも勉強してよ。じゃあね」
急いで録音したらしく、かなり早口だった。
「わかった?」
「うん」
でも、急にどうしたんだろう……?
望叶は嘘をつく。
だから、声だけでは嘘か本当かわからない。
「お母さん、望叶……かなり悪いの?」
「体調に波があるから」
答えになっていない。
でも、わざとなのか、そうじゃないのか、大人の嘘も見分けがつかない。
望叶の嘘もお母さんの嘘も、相手を思う嘘。
だったら嘘をついてもいいのか、それがいいとか悪いとか、その答えは誰もわからない。



