教室を移動する授業がなくて、体育もなく、掃除当番でもない水曜日。
朝早くこっそりと病院へ行き、朝食後にお互いの服を着替えた。
どこから見ても完璧なはず……だった。
ただひとつだけ……望叶の髪の毛は薬の不作用なのか、私の髪の毛より細くて、そのせいで少なく見えてしまう。
完璧な計画だと思っていたけれど、不安要素が見つかった。
「今日はやめて次にしよう? 私の髪の毛を美容院ですいてもらう」
「お母さんは難しいかもしれないけど、他の人はきっと気が付かないよ。だから予定通りお願い」
「でも……」
「転校してまだそんなに経ってないんだから大丈夫だよ。それに、席は一番後ろなんでしょ? 髪の量を観察する人なんていないよ。希依、お願い。今日が来るのをすっごい楽しみにしてたんだから」
「う……ん……わかった」
「希依の方はどうするの?」
「望叶が学校へ行っている間は病室でじっと本を読んで過ごす。それで誰か来たら寝たフリをする」
望叶はお母さんに「病院へ来なくていい」と言って遠ざけた。
だからお母さんが来るのはパートへ行く前に顔を覗かせるくらい。時間はわかっているから、その時は少しシーツを被って寝たフリをすればいい。
後は、夕方、血圧を測るために看護師さんが来る時までに入れ替わるだけ。
「息苦しいかもしれないけど、マスクをしていって」
「わかった」
ふたりが入れ替わるという計画を思いついた時はいいアイディアだと思った。
周りは「病気の小鳥居望叶」を「健康な小鳥居希依」だと思って接するから、気を遣われることもない。
「普通に高校へ行きたい」という望叶の夢が叶う。
ふたりでどうしたら実行可能か考えている間、望叶はいきいきとしていて本当に楽しそうだった。
そんな望叶を見て、私も嬉しかった。
昔、まだ望叶が病気になる前、夜遅くまでベッドの中でおしゃべりをしていた頃みたいだった。
同じひとを好きになって、「どっちがうまくいっても恨みっこなしだよ!」と約束したのに、そのひとが選んだのは全然別の子で、ふたりして失恋して泣いた頃。
「好きな芸能人と偶然出会って恋におちたらどうする?」なんてありもしない空想で盛り上がったり。
将来はどんな仕事に就くか、現実には不可能だと思える夢を語り合った。
未来が訪れるのは当然だと信じていた、あの頃――
「じゃあ、行って来るね」
私の制服を着た望叶が手を振って、桃色のカーテンを開けるのを見て、急に怖くなった。
望叶がスライドドアの向こう側へ行ったら、もう引き返せない。
今ならまだこんなバカげたことやめることが出来る。
急に、発作でも起きたら?
意識を失ったら?
倒れて……そのまま意識が……戻らなかったら……?
何かあってからでは遅すぎる。
「望叶、やっぱり――」
「なぁに?」
振り返った望叶は、マスクをしていても、どんなにワクワクしているのか伝わって来る。
その瞳に映るのは希望でしかない。
最後にこんな望叶を見たのがいつだったのか思い出せない。
「やっぱり、その制服似合ってる」
「それ、自分のこと褒めてるみたいだよー」
「だね」
こんなこと、すぐバレるに決まってる。
そんなの、わかってる。
そもそも、私達のやってることは間違っている。
「いってらっしゃい」
それでも、望叶を見送った。
一日がこんなに長いと思ったことはない。
寝てしまえばすぐだと思っていたけれど、眠るなんてできなかった。
持って来た本はちっとも頭に入らない。
テレビだって地上波しか映らないから、ワイドショーばかりでちっとも面白くない。
数分おきに時計を見ては、時間があまり経っていないことにがっかりした。
出来るだけ他人に会わないようにするため、病室を出ることが出来ない。開かない窓から外を見たりもしたけれど、見えるのは病院の駐車場だけで、面白いことなんて何も――
望叶はこんな毎日を、ずっと続けているんだった……
病院には院内学級というものが併設されていて、長期入院中の学生はそこで授業を受けることができる。でも、高校を中退した望叶は学校へ在籍している入院患者のように、授業に参加することもない。
長い一日を、何を思って過ごしてるんだろう?
少し良くなると退院して自宅へ戻れるけれど、吐き気や嘔吐がひどいのか、望叶は辛そうな顔を見せることが多かった。
家族の誰かがそれに気がつくと、「マジ辛いんだけど、誰か変わってー」と言って、望叶は冗談っぽく言ったりしていた。
その言葉を、どんな気持ちで言ってたんだろう?
病気のせいで望叶はどんどん痩せていく。
これは、多分、あまり良くない状況。
自分があまり長くないことを知っている望叶。
私はたった一日ベッドの上にいるだけで、悪いことばかりしか考えられなくて、泣いてばかりいた。
望叶が病室へ戻って来たのは、予定していた時間より遅かったので、急いで着替えて入れ替わる。
「望叶、マスクも外して」
「そうだった!」
2人の顔はそっくりで、身長も体型も肌の色も髪の長さも同じだけれど、声だけは違う。
私の方がだいぶ低い。学校では気をつけているけれど、高い声を出すのはあまりに不自然だから、そこだけはあきらめていたこと。
望叶のようにきれいな声じゃないことは私のコンプレックスだった。
それを誤魔化すためにも、望叶にはマスクをつけて学校へ行ってもらった。そして、なるべく低い声で話してもらうようにした。そのせいで変な声になってしまうことは、風邪気味だと言えばきっと誰も不審には思わない……と願いたい。
「大丈夫だった? 具合悪くなってない?」
「心配しすぎ。何ともないよ。最近調子いいんだから。すっごく楽しかった!」
その顔を見れば楽しかったというのは一目瞭然。
「八尋くんといっぱい話したよ」
「八尋くんと?」
「それがね、4時間目の英語が急に別の教室になって、3階まで行くことになったの。みんな階段を上がるのが速くて……少し困った」
今日は移動がないはずだったのに。
こういうイレギュラーへの対策まで考えつかなかった。
「それで、どうしたの?」
「2階の踊り場まで上がったところでふらついて、まずいと思ってたら、ちょうど後ろにいた八尋くんが持ってたペンケースをバラ撒いたの」
バラ撒いた?
落としたってこと?
「『拾うの手伝ってくれる?』って声かけられたから、しゃがむことが出来てやり過ごせた。『一緒に上がって欲しい』って頼まれて、その後はエレベーター使わせてもらったから大丈夫だったよ。エレベーターがあるとか、さすが私立だね!」
「そう……良かった」
「八尋くん、いいひとだねっ」
何となく、望叶の顔が高揚しているように見えるのは気のせいじゃない。
「また……学校行きたいな」
「いいよ。私もマンガ読んだりお昼寝したりで、勉強しなくて済んですっごく楽できたしね。あのマンガだけどさ、継母と義妹の悪事を知った御曹司が――」
「だから! どうして先を言うのっ!」
スライドドアが開くと同時に、ピンクのカーテンが急に開け放たれた。
全く予期していない時間帯で、心臓がどくんと大きく鳴った。
「希依も望叶も、騒ぎすぎ。廊下まで声が聞こえてたよ?」
お母さんだった。
時計をを見ると5時を回ったところ。この時間、いつもは顔を出さないはずなのに、いきなりやって来た。
「どうしたの? この時間に来るのは初めてじゃない?」
望叶がさりげなく質問する。
「希依のスマホに電話したら電源が入っていなかったから、きっとここだと思って」
何かあった時のためにスマホは望叶が持っていたのだけれど、入れ替わっている間、わざとスマホの電源は落としていた。
今の私達はどこからどう見てもそっくりだから、外見だけなら親も区別がつかない。でも、声は騙せない。お母さんがもっと早く来ていて、私と話をしたらすぐにバレてしまうところだった。
「ごめん、学校から真っ直ぐここへ来て、スマホの電源切ってた」
「そうだと思った」
大丈夫。これに関しては疑われるようなことじゃない。
望叶の病室にいる間、スマホの電源はいつも切っている。
「もうご飯の時間だから、2人とも帰んなよ。お母さんも夕食の支度があるでしょ?」
「そうね……じゃあ、また明日ね」
「毎日来なくていいってぇ」
「じゃあ、望叶、バイバイ」
「うん。バイバーイ」
病院を出て家に帰る途中、お母さんに「学校はどうだった?」と聞かれ、「普通」と答えた。
お母さんは「そう」と言っただけで、学校の話は終わった。
その後は、従姉妹に子供が生まれたという話から、男の子と女の子ではオムツを変える時に違うんだという、私が聞いても仕方がないような話をお母さんがひとりで話していた。
今日何があったのかは、望叶の書いたノートを見るまでわからない。
家に帰ったら、明日のためにクラスの子と何を話したのか覚えなければいけない。
望叶はわざわざ「八尋くんといっぱい話したよ」と言った。
何を話したんだろう?
家に帰って、望叶の書いた今日の出来事を読んだ。
ホームルームで先生の話したことや、「授業が全然わからない!」といった愚痴のようなものが続き、お昼休憩は宮舘さんと高遠さんと3人でドラマの話をしながらお弁当を食べた、と書かれていた。
急に移動教室になったことと、その時八尋くんと話した内容は既に口頭で聞いている。
「いっぱい話した」と言うほどではない。
望叶の中ではこれが「いっぱい」なのかな、と思いながらページをめくって手が止まった。
『八尋くんと電車の駅まで一緒に帰った。八尋くんは松葉杖だから歩くのがゆっくりで、ちょうどいい速さ』
一緒に帰ったの?
前のページに戻ってみたけれど、どうして一緒に帰ることになったのか、その経緯は書かれていない。
『駅前の広場にアイスクリームのキッチンカーがいて、ふたりでアイスを食べた! 八尋くんはストロベリーで、私はチョコナッツ』
ふたりでアイスを食べた? どうして食べることになったの?
肝心のところは何も書かれていない。
それで病院に戻るのが遅かった……の?
『小学生の頃、ビオトープでヤゴに噛まれた話を聞いた。ヤゴに噛まれたらメチャクチャ痛いんだって!』
どうして小学校の頃の話になったの?
途中までは学校で書いたようだったけれど、学校を出てからのことは電車の中で書いたらしく、文字が揺れていた。
望叶はスマホを持っていないから、明日病院へ行くまではこれ以上のことは何もわからない。
一番最後の一行に「えっ!」と声が出た。
『八尋くんとメッセージIDを交換した』
嘘でしょ?
リュックからスマホを出すと、ずっと切ったままだった電源を入れた。
続け様に新着ニュースや、フォローしている写真アプリの投稿のお知らせと共に、メッセージがあることを知らせるアイコンが並んだ。
メッセージの送信者は「kanata」。これ、八尋くん……だよね?
心の準備もないままアイコンをタップしてしまった。
<英語の宿題やった?>
取り立てて意味のなさそうな一言。
既読をつけてしまったことに気がついて、返信する。
<まだです>
送信してから気がついた。
望叶は英語の宿題について何もふれていない。
リュックから英語の教科書とノートを出して、パラパラとめくってみたけれど、宿題についてはどこにもメモがない。
そうでなくても「転校生」というだけで目立ってしまっているのに、宿題を忘れたりしたら先生にしっかりと覚えられてしまう。
望叶は高1で勉強がストップしているから、水曜日の時間割は入れ替わるのにちょうど良かった。
現国、古文、世界史、英語、数学の5時間。
現国、古文は、望叶も高1の冬まではやってるから授業を聞くだけなら何とかなる。
世界史は中学以来で、わたしも初めて習うから望叶と知識量は同じ。
数学は出席番号の人以外絶対に当たらない、と宮舘さんから聞いていた。だからわからなくても、じっとイスに座ってれば何とかやり過ごせる。
水曜の英語はリスニングだから、難しい単語も出てこないし、合唱をずっとやっていたからか、望叶は耳がいいので得意分野。
今回この英語が、映画鑑賞になったため教室の移動があった、と望叶はルーズリーフに書いていた。でも、宿題については一切ふれられていない。
<映画のどのシーンが一番良かったか 英語でレポートって 面倒だと思わん?>
八尋くんからのメッセージが続く。
<英語苦手だから 明日提出って鬼>
英語の宿題と明日提出だと言うことがわかった。
<そうだよね>
無難な返事を返す。
<AIに頼もっかな>
<言い回しでバレるよ>
<やっぱそうだよなー 仕方ないから今からやる また明日学校で>
唐突にやり取りは終わった。
いきなりで驚いたけれど、おかげで宿題の存在を知ることができた。
明日、望叶には文句を言わないといけない。



