だから、嘘をつく。



引越して来てから、毎日行く場所がある。
そこは学校の最寄り駅から電車で2駅ほど乗った所にあって、駅の名前にもなっているその建物には、電車を降りると数分で着く。


建物の中へ入る前に日傘を閉じて、手に持ったまま中へ入ったらすぐ左へ曲がり、エレベーターが来るのを待つ。
そして目的の階へ着くまでの間に、カーデを脱いで日傘と一緒にリュックへしまっておく。
8Fに着いてエレベーターを降りたらすぐ右へ曲がり、つきあたりの部屋のスライドドアを開ける。
ドアを開けてもすぐに部屋が見えないようにかかっている、薄い桃色のカーテンの前で声をかける。

これが毎日の日課。


望叶(のの)、起きてる?」

「起きてるよー」


すぐに元気な声が返ってきてホッとする。

勢いよくカーテンを開けると、ベッドの上で座っている望叶が私を見て微笑んだ。


「毎日来なくてもいいのに」

「暇なんだからいいでしょ」


望叶がパジャマを腕まくりしていたので、無意識に左腕を見てしまった。
何度も点滴をしているから、痕が残ってしまって皮膚が黒ずんでいる。

私の視線に気がついても気にするふうでもなく望叶が言った。


「いよいよ決行だね?」

「その前に髪の毛の長さ合わせないと。短いのは何とかなるけど、いきなり長くなるのはおかしいから」

「わかってる。もう看護師さんに言って予約してる。立ってないでこっちに来て座ってよ」

「うん」


ベッドのそばにある丸椅子の上へリュックを置いた。
そして靴を脱いでベッドの、望叶の隣に並んで座った。

その時、スライドドアが開く音がした。


「望叶ちゃん、血圧測らせてね」


カーテンを開けてこちらを見た看護師さんが一瞬驚いた顔をする。


「びっくりした。希依ちゃん、来てたんだ。そうやって並んでたら本当にそっくりで見分けがつかないね」

「でしょー?」

「服装が同じだったら全然わかんない」


望叶と顔を見合わせて笑った。

看護師さんが出て行ってから、リュックの中のマンガを出した。
電子書籍が読めたら荷物にならないけれど、ここではネットが使えないから、どうしても紙の本になってしまう。


「これ、この間の続きね」

「すっごく気になってたから嬉しい」

「なかなか話が進まないから焦ったいよね」

「私が生きているうちに最終回がくればいいんだけどなぁ」

「バカなこと言わないで」


つい真剣に受け答えしてしまった私に、望叶は微笑んだ。


「希依の言い方、こわぁーい。そんなんだから彼氏ができないんだよー」

「ひどっ! そんなこと言う子にはマンガの続きは見せません!」

「やだ、ごめんって。私から楽しみを取り上げないで」


私の手からマンガを受け取った望叶は、一番に裏表紙を見た。
どうやら短いあらすじを読んでいるらしい。


妹の望叶は一卵性の双子で、当たり前と言っては当たり前なのだけれど、驚くほど似ている。

違うのは、望叶が病気で入院しているということ。

引越す前までは入退院を繰り返していて大部屋だったのが、こっちに来てからはずっと入院していて、部屋も個室になった。

望叶の病名は、スキルス胃がん。

スキルス胃がんは進行スピードが非常に速い胃がんで、がん細胞がびっしりと胃の壁全体に浸潤し、硬く厚くしながら広がっていく、早期発見が難しいがんと言われている。
患者は若い女性が多いというけれど、10代で発症するのはかなりめずらしい。

望叶の病気がわかったのは高1の冬休みだった。

高校で合唱部へ入った望叶は、秋に行われるコンクールで重要なパートを歌うこととなり、毎日が緊張の連続だった。
そのため胃の調子が悪いのはストレスのせいで、食欲がないのも、食べる量が減って体重が落ちたのも、全て精神的なものだ思って軽く見ていた。
けれどもコンクールが終わっても症状は変わらないばかりか、悪化を辿った。

病院へ行くと胃炎と診断され薬を処方されたけれど症状は改善されず、セカンドオピニオンを経て、大学病院を紹介された。そこで度重なる検査の結果、スキルス胃がんと診断された。

抗がん剤治療が始まると、その副作用のせいで望叶は学校へ行けなくなった。
病気の勢いが落ち着いている寛解と再発が交互に訪れ、その度に入院することとなり、結果、望叶は高校へ通うことをあきらめた。



「どうして主人公は、御曹司が自分を愛してることに気が付かないかなぁ。焦ったい」


マンガの最初の数ページを読みながら、望叶が呟いた。


「この主人公は自己肯定感が低いんだよ。ずっと継母と義妹に虐げられてきたから。でもあと少し話しが進んだら、御曹司がはっきりと言葉にするから主人公も気がつくよ」

「希依……どうして私がまだ読んでないのにネタバレするの?」

「ネタバレって、こういうのはテンプレって言って、そういうふうになってるから」

「希依が帰った後にひとりで読むことにする」


望叶は拗ねたように言って本を閉じると、急に真面目な表情をした。

「希依……ありがとう。私のわがままを聞いてくれて。でも、本当に大丈夫だと思う?」

「私達のことを知ってるのは親と病院の人達だけだからきっとうまくいくよ。それから、私はこれっぽっちも我儘だなんて思ってない。そんな心配する暇があったら望叶は水曜までに全部頭に入れる努力をして」


学校でのことを細かく書き記したB5のルーズリーフを望叶に渡した。


「これ、今日の分。ファイルに足しておいて」


希依は私から受け取ったルーズリーフを見ながら言った。


「八尋くんってどんなひと? 八尋くんとはよく話してるんだよね?」

「話してると言うか……転校生がめずらしくて話しかけてくるんだと思う。八尋くんのことは写真なくてもわかるよ。今は松葉杖ついてるから。部活で足を捻挫したんだって」

「そっか」

「今日はもう遅いから、また明日来るね」

「無理しなくていいよ!」

「私が来たくて来てるんだから」

「ありがと。またね」


望叶は片方の手で私が渡したルーズリーフを大事そうに胸に抱きしめ、もう片方の手を振ってくれた。

「ばいばい」と手を振り返してから、少しだけ開いたままになっていたピンクのカーテンの横を通って、スライドドアを開けると廊下へ出た。


すれ違った看護師さんが私を見てぎょっとした顔をする。


「こんにちは」

「希依……ちゃん……?」

「はい。希依です」

「だよね。本当に望叶ちゃんとそっくりだから、一瞬、望叶ちゃんが高校の制服を着て歩いてるのかと思っちゃった」

「さようなら」


挨拶をして、スタッフステーションの前を通り、エレベーターの下りボタンを押した。

高2の夏休み前。
望叶は入院中で、家にはお父さんとお母さん、そして私の3人だけ。

夜中に目を覚まして眠れなくなり、何か飲もうと自分の部屋のドアを開けると、リビングに薄暗い明かりが見えた。
誰かいるなら、どうして明るくしないんだろうと不思議に思い近づくと、小さな声が聞こえた。

気が付かれないようにそっと覗くと、お母さんが泣いていた。
泣いているお母さんを支えるお父さんも、静かに泣いていた。


「まだ……16歳よ? それなのにどうして望叶が……」

「うん……」

「もっと早く気づいてあげられてたら……親なのに……親失格……」

「先生も、発見が難しいがんだって言ってたじゃないか」

「だからって、私達より先に……そんなのおかしい……」



その時知った。

望叶のがんはステージ4で、手術は難しく、もう長くは生きられないことを。



両親に気づかれないようにそっと部屋へ戻って、布団を被った。


「自分だけが生きるなんて」とか、そんなんじゃない。大好きな妹がいなくなる理不尽さと、何も出来ないという悔しさ。
あふれてくる涙はコントール不能で、どれだけ泣き続けたかわからない。
泣いて、泣いて、泣きまくった後、今度は沸々と怒りが込み上げてきた。

どうして望叶が?

毎日同じように暮らしてきたのに、どうして望叶だけが?

こんなのおかしい。

私をおいていなくなるなんて、そんなの許せない。

ムカつく。

ムカつく。

ムカつく。


望叶のせいじゃないのに、どこに怒りをぶつけたらいいのかわからなくて、「望叶のバカ」と何度も呟いた。

望叶の病状を知ってしまった後、どんな顔をして何を話したらいいのかわからなくなって、妙なテンションになってしまったんだと思う。
それで望叶に笑われた。


『希依も知っちゃったんだねー』

『何の……こと……?』


精一杯笑顔で答えたつもりだったのに、全然笑えていなかった。


『無理しなくていいよ。私も知ってるから。残された時間は少ないってこと』

『誰が言ったの? そんなの嘘だから!』

『お母さんにね、頼んだの。自分が後どのくらい生きられるか知っておきたい、って。そうじゃないと1日を無駄に過ごして後悔すると思ったから。大切にしたいの。10分でも、15分でも』

『望叶……』

『泣かないで。私のことを思ってくれるんだったら、笑った顔を私の記憶に残して。希依には、私の分まで高校生活を目一杯楽しんで、話を聞かせて欲しい。いっぱい写真を撮ってよ。希依の写った写真を見たら、私がそこにいるみたいに思えるから』

『わかった。全部教える。写真もいっぱい撮る。それで、誰と何を話して、何をしたのか、2人分の高校生活を送る』



毎日の出来事を書いて、望叶と記憶を共有する約束をした。
ルーズリーフの記録は、そこから始めた日記だった。

『あとほんの少ししかない時間を、ずっとベッドの上にいるのは嫌だよ。私が欲しいのは、外出許可じゃない。もし希依だったら何を望む? 私は、もう一度高校へ行きたい』


望叶は私にそう言った。

病気の望叶を学校に行かせるなんて無茶なこと、やってはいけないことだとわかっている。
でも、それが望叶の、唯一の望みなら、その望みをどうしても叶えてあげたいと思った。

どうやったらその望みが叶うのか、一生懸命考えた。
でも体力的にも、望叶が高校へ通うのは難しい。



そんな時にお父さんの転勤が決まって、そこで、計画を思いついた。

望叶が転院するのは、これまでと違って大きな病院で、新しく出会う看護師さん達は、私達の区別がつかない。
新しい学校では、私に一卵性の双子の妹がいることを誰も知らない。


望叶が入退院を繰り返すようになって、普通に生活している私とずっと病院にいる望叶とでは、肌の色も体型にも違いが生まれて、いくら顔が同じでも区別がつくようになっていた。

でも知らない場所で、髪型も肌の色も体型も同じなら、私達を見分けられる人間は誰もいない。望叶が元気な頃は親だって間違えていたのだから。

私達が双子だと言わない限り、望叶と私が入れ替わって学校へ行ったとしても、誰も気がつかない。



転校先の高校を選ぶ基準は、2つ。

今の望叶は体力もないし、気温の変化にも対応できない。だからエアコンが完備されていること。

そして、望叶が入院することとなる病院の近くにあって、乗り換えなく行けること。
入れ替わったら、私は望叶の代わりに病室へいなければいけないから、望叶は自力で病院から学校へ行って帰ることになる。だからそこに負担がかからないことが大事。
私が学校に通う距離や乗り換えの数なんてどうでもいい。


望叶が私に合わせることは髪の長さくらいしか出来ないから、私が望叶に合わせる。
真っ白な肌の望叶と同じにするため、とにかく日に焼けないよう注意した。
痩せている望叶と同じ体重になるまで、極端なまでのダイエットをした。


望叶には腕に点滴の痕が残っているから、長袖を着るしかない。それで、新しい学校ではいつも長袖で過ごし、「小鳥居さんはいつも長袖」ということを印象付けた。
学校の子達と話す時は、意識して話し方を望叶に似せた。
そして毎日、誰と何を話したか細かくノートにメモをとり、望叶にはそれを覚えてもらった。


ずっと準備をしてきて、ようやくその決行の日がやってきた。