だから、嘘をつく。



夏休みが明けても朝から暑い。
起きた時からもう暑い。


朝起きたら一番に洗面所へ行き、日焼け止めを塗る。
特に、顔や首は念入りに。足も忘れずに塗る。
例え遅刻しそうになったとしても、これだけは絶対に欠かすことはできない。

夏休みはほとんど家の中で過ごしていたけれど、家にいる間も日焼け止めは欠かさなかった。

鏡の中の私は、日に焼けていないからこれまで生きてきた中で一番白い。そして無理なダイエットの結果、過去最低の体重をキープできている。



「長袖ブラウスにカーディガンまで羽織って暑くないのか?」


玄関で靴を履いていると、お父さんが声をかけてきた。


「日焼けしたくない」

希依(きい)……最近また少し痩せたんじゃないか? 女の子は少しくらいぽっちゃりしてる方がかわいいんだぞ」

「お父さん、今はそういうの、ジェンダーハラスメントって言うの知ってる?」

「知ってるが――」

「芸能人はみんな白いし、痩せてるんだから。これでもまだ太い方」


そんなやり取りをしていると、通りかかったお母さんが助け舟を出してくれた。


「モデルのオーディションを受けたいんですって。無理は良くないと思うけど、私も希依くらいの年の頃は憧れたから」

「ほらぁ、お母さんはわかってくれてる。もう学校行くから。行って来ます!」



モデルは肌が白いとか、本当はそんなことどうでもいい。
オーディションなんて受ける予定もない。
お小遣いが全部、日焼け止めを買うのに消えてしまっても構わない。
欲しい物なんてないから。



マンションのエントランスを出た所で、リュックから完全遮光100%の日傘を出した。
どうしても日焼けをしたくない。するわけにはいかない。

大きめのUVカーデは袖が長く、何も持っていない方の手は指先まで隠してくれる。
反対の手は、袖で覆うようにして日傘を持った。


これは、全て、あの計画を実行するために重要なこと。

高2の夏休み前、お父さんの転勤で引越すことが決まった。

引越し先はこれまでと違い、公共の交通機関はたくさんあるし、遊ぶところも多く、大きな病院もある街だった。

私が編入先に選んだ私立西木野高校は、家からだと3つ乗り換えがあるので、お母さんは通学が大変じゃないかと心配したけれど、どうしてもこの学校が良かった。この学校でなければだめだった。
だから西木野学校に入学するために死ぬほど勉強して編入試験を受けた。
そして同時にダイエットもした。
元々そんなに太ってはいないところを、ダイエットして、約2ヶ月で決めていた体重まで落とすためにかなり無茶をした。



駅から真っ直ぐに続く通学路には、半袖の制服を着た生徒ばかり。
そんな中、長袖のブラウスにUVカーデ、更に完全遮光100%の日傘をさしているのは私くらい。


学校へ着いて、2年C組の教室に入ると、隣の席の宮舘さんがロッカーに荷物を入れている所だった。


「おはよう」

「おはよう。小鳥居(ことりい)さんも大変だね」

「もう慣れちゃったから。それに学校に来てしまえばエアコンがついてるしね」


この高校は校則も緩く、服装も髪型も、持ち物にもうるさくない。それでいて、いわゆる「不良」がいないのは、ここが県内有数の進学校だから。
正直、勉強は好きではないけれど、私の好き嫌いなんて、それもどうでもいいこと。


「大変って、何か手伝おうか?」


私と宮舘さんの会話が聞こえたのか、近くにいた高遠さんが話しかけてきた。


「そういう大変じゃなくてね」


宮舘さんが自分の口から言ってもいいものか、私の方を向いた。


「紫外線に当たると発疹が出ることがあって。それで登下校の時は大げさなくらい日焼け対策をしてる、って話」


本当は紫外線に当たっても発疹なんて出たりしない。


「それで暑いのにカーデ着てきてたんだ。辛いねー。何か困ったことがあったらいつでも言って」

「ありがとう」


転校初日からクラスの女子はみんな優しかった。
だから嘘をついて心が傷まないわけじゃない。
でも他にもっと大切なことがあるから、私の心が痛むことくらいなんでもない。


席は廊下に近い一番後ろだったから、窓からの光は届かない。
ようやく着ていたカーデを脱ぐことができる。

長袖のブラウスだけになると、袖から真っ白な手が見える。
白いのは手だけじゃない。
転校が決まってから、ずっと日焼けしないように最新の注意を払ってきたので、私の肌はどこもかしこも白い。


まるで長い間、外には出ていないような白さ。

席に着いて、さっきの宮舘さんと高遠さんとの会話を忘れないうちにメモしておこうとルーズリーフを出したところで、「はよっ」と頭の上で声がして体が跳ねた。


「そんな驚く?」


私の態度に、同じクラスの八尋(やひろ)くんが怪訝そうな表情をする。
彼はクラスで唯一話しかけてくる男子。


引越す前まで通っていた高校は男女の仲が良くて、休憩時間に話したり、方向が同じだったら一緒に下校したりが普通だったけれど、ここは違っていた。
男女は必要な時しか話さない。
仲が悪いとかそういうのではないみたいだけど、理由は不明。
でも、今の私にはそれが好都合だったから、八尋くんだけがイレギュラーで対応に困る。


「いきなり声がしたからびっくりしただけ。何?」

「おはよ、って言った」

「おはよう」


返事を返すと、八尋くんは、松葉杖で机と机の狭い間を不自由そうに前へ向かって行った。



八尋くんは夏休みにサッカー部の練習試合で足首を捻挫したらしく、初めて会った時も松葉杖だった。

彼の第一印象は……かなり、悪かった。


転校初日、早めに学校へ着いて職員室に向かっていると、松葉杖の男子が自販機の前にいた。
投入口にお金を入れようとして地面に落としてしまったらしく、拾うのに苦戦していたから、代わりに拾って手渡した。


『どうぞ』

『ありがとう』


そう言って、日傘をさしている私を見つめた。


『もしかして、転校生?』

『今日からここの2年生です』

『なんでそんな声低いの?』


初対面で人が気にしてることをズケズケと言うって、ありえない。
声が低いのは……コンプレックスなのに。


『これが地声ですっ』


それだけ言って、走って職員室へ向かった。


お金を拾ってあげて損したと、本気で思った。

その時の松葉杖男が、八尋 奏汰(やひろ かなた)で、運が悪いことに同じクラスだった。

こっちは口もききたくない心境なのに、八尋くんはなぜかちょくちょくだる絡みしてくる。


「小鳥居ってさぁ、飯食ってんの? 痩せ過ぎじゃね?」


隣の男子が席にいないのをいいことに、八尋くんは机に座ってこちらを向いたままパンを食べている。
自分の席で食べるか、男子たちのところへ行けばいいのに。
こんな風に話しかけてくる男子は八尋くんだけ。


「ちゃんと食べてるよ」


嘘。
食べてない。痩せてなきゃいけないから、我慢してる。


「俺のパンやるよ」


食べかけのパンを半分ちぎって渡されても困る。


「い、いらない」

「もうちぎったし。このパン、チョコクリームが美味いんだ。食べるまで見とく」


本当に食べるまでどいてくれそうにない。
それに、言葉通りずっと私を見ている。

この半分のパンでカロリーどのくらいあるんだろう?
夜ご飯の量を減らせばなんとかなる……?

私の場合、太るのは簡単でも、痩せるのは楽じゃない。
人の気も知らないで……


もらったパンを口に入れた。
ふんわりとしたパンの中に、少し苦みのあるチョコクリームが口の中でとける。
甘い物を食べたのは久しぶりで、顔がほころぶ。


「美味しい」

「だろー?」


まるで自分が褒められてるみたいな顔。


「眉間に皺寄せてるより、そっちの方がかわいい」


そういうことを面と向かって言ってくるひとは初めてで、返答に困ってしまい、残りのパンを頬張って誤魔化した。



学校内で起きた出来事は、会話も含めて全てメモに残している。
でもこのやりとりはメモに残さなかった。