冷たい水を飲み干し、ようやく一息ついたその時だった。
「……華恋、眠れないの?」
静まり返ったリビングに、低く、けれど聞き馴染みのある優しい声が響いた。
華恋が驚いて振り返ると、キッチンのドアの枠に身体をもたれさせ、こちらを見つめている兄・佐久間 波瑠の姿があった。
昼間のステージで見せるきらびやかな衣装ではなく、ラフな部屋着姿。それでも隠しきれない圧倒的なオーラを纏った兄は、心配そうに眉を下げていた。
「ううん。ちょっと……懐かしい夢を見ただけだよ」
華恋は無理に作った笑顔で、努めて明るく返した。
けれど、血の繋がった兄の目を誤魔化すことはできない。波留は一瞬、胸を締め付けられたような悲しげな表情を浮かべると、ゆっくりと華恋の元へ歩み寄ってきた。
そして、何も言わずに華恋の華奢な身体を、そっとその腕の中に引き寄せた。
「お、お兄ちゃん……?」
突然のことに華恋が目を丸くする。
波留は、壊れ物を扱うかのように愛おしく、けれど逃がさないようにぎゅっと強く、華恋を抱きしめた。耳元で、兄の切ない吐息が漏れる。
「復讐なんて、もうやめてもいいんだよ……?華恋がこれ以上苦しむのは、本当に辛い。傷つくのも、苦しむのも、俺一人だけで充分なのに……」
絞り出すような波留の言葉には、妹を心の底から溺愛し、守りたいと願う兄の痛切な本音が詰まっていた。
華恋は一瞬、その温もりに甘えそうになる。けれど、すぐに自らの内に燃える炎を思い出し、ゆっくりと波留の背中に両手を回した。
「ありがとう、お兄ちゃん。……でも、大丈夫。もう決めたことだから」
背中に回した手に、そっと力を込める。
「きっと成功させてみせるよ。だって、やっと掴んだ手掛かりだもの。パパとママを殺した組織に、やっと近づけるんだから」
華恋の瞳には、一切の迷いはなかった。
波留は抱きしめる腕を緩め、華恋の真っ直ぐな瞳を覗き込む。
「どうしても……続けるんだね」
「うん。だから、お兄ちゃん。これからも私に協力してね?」
悪戯っぽく微笑んでみせる妹の姿に、波留はしばらく黙っていたが、やがて降参したように小さく息を吐いた。そして、もう一度だけ華恋を優しく抱きしめ直す。
「……わかったよ。お前がそこまで言うなら、俺が全力でバックアップする」
外では、先ほどまでの激しい雷鳴が嘘のように、しとしとと静かな雨が降り続いていた。
暗い夜に包まれた部屋の中で、お互いの傷を、そしてお互いの存在を確かめ合い、慰めるかのように寄り添う兄妹。その絆は、しっかりと固く結ばれていた。



