見下ろす街は、まるで宝石箱をひっくり返したように眩しかった。
地上数百メートル。
東京の夜を彩る色とりどりのネオンが、冷たいガラスビルの屋上に座り込む彼女の横顔を照らしている。
風が、彼女のアッシュブラウンの長い髪を優しく揺らした。
誰もが振り返るような抜群のスタイルを黒いライダースジャケットに包み、彼女――佐久間 華恋は、膝の上でスマートフォンの一台を光らせていた。
耳を覆う大型のヘッドホンから流れてくるのは、今、日本中で知らない者はいないトップアイドルグループ『Black×Berry』の最新ライブ映像。
画面のセンターでマイクを握り、狂おしいほどの歓声を浴びているのは、華恋の自慢の兄である佐久間 波瑠だ。
スピーカーの向こうから、波留の甘く、どこか綺麗な歌声が華恋の鼓膜を震わせる。
『 ♪〜笑顔は全部 Fake
名前だって Fake
"また明日"なんて
信じちゃダメ
廊下ですれ違うたび
君の視線が突き刺さる
知らないフリして
知りすぎてる
ねえ君はいったい誰? 』
カメラに向かって不敵に微笑む兄の姿に、華恋はふっと瞳を細めた。
――知らないフリして、知りすぎてる。
まさに、これからの自分の運命を予言しているかのようなリリックだった。
『 黒板に残された暗号
消えたはずの極秘ファイル
その最後に書かれていた
見覚えのある Code Name
疑って探って騙し合って
一秒先さえ
読ませない
"俺を信じる?"
耳元で笑う君
そんな質問い
ちばん嫌いだって
――信じたいって
思っちゃったから 』
重低音のビートが、華恋の胸の奥を刻むように響く。
恋なんて、一番危険なミッション。
スパイ組織『QUEEN』の幹部である華恋にとって、「信じる」ことも「恋する」ことも、命を落とすのと同義だ。
5歳のあの日、華恋の両親を奪った組織『KING』への復讐。
それだけが、彼女を動かす唯一の原動力だった。
『 BLACK×BERRY
Sweet & Scary
甘い罠なら噛み砕いて
Bang!Bang!Heart is Warning
近づくほど危険になる
君は Enemyなのに Destiny?
そんな結末聞いてない
好きになったら Game Over
裏切ったなら Start Over
ねえWhich is your truth?
その瞳の奥まで
暴いてみせて恋なんて
一番危険な Mission…〜♪ 』
ラストの銃声を模したドラム音が響き、画面の中の波留が完璧なウィンクを決める。
会場を揺らす割れんばかりの悲鳴。
華恋がその極上の歌声にすっかり聴き入っていた、その時だった。
ブブー、とジャケットのポケットの、もう1台のスマートフォンが震えた。
画面に表示された発信者は【Haru】。
華恋はヘッドホンを首にかけ、その端末を耳に当てた。
「もしもし、波留?……うん、今回の新曲凄くいいね、もう聴いたよ」
先ほどまで画面の向こうで何万人ものファンを熱狂させていたはずの兄の声が、受話器から返ってくる。
しかしその声は、アイドルとしてのそれではなく、妹を溺愛する一人の兄の、そして冷徹な天才ハッカーのトーンへと切り替わっていた。
『でしょ?華恋のために書いたような曲だからね。
……それより、頼まれてた【月島学園】の生徒会メンバーの裏データ、今そっちの端末に送ったよ。やっぱり妙な資金の動きがある。二重スパイがいるっていう噂は、あながち嘘じゃないかもね』
「ありがとう、波留。さすが私のお兄ちゃん」
『ふっ、可愛い妹の頼みだからね。でも、明日からの潜入、本当に気をつけてよ?変な男が寄ってきたら、俺がハッキングで社会的に抹殺するから』
「ふふ、大丈夫だよ。上手くやってみせるから。それじゃあ、また後でね」
通話を切ると、華恋の顔から「妹」の柔らかい笑みが消えた。
代わりに宿ったのは、氷のように冷たい、QUEENの幹部スパイとしての瞳。
明日から始まる、新しいミッション。
舞台は、月島学園の生徒会。
そして最終ターゲットの名前は――" "。
「待っててね。必ず、すべてを暴いてみせるから」
華恋は夜風に髪をなびかせながら、送られてきたデータを一瞥し、静かに微笑んだ。
―――運命のゲームの幕が、今、上がる。



