例の事件(舞宮急に俺に抱きつき事件)があってから、なんとなく授業中に居眠りする気がしなくなった。
前みたいに寝てたら急に舞宮のシャーペンが俺の背中を突っついて起こしてくるような気がしたから。
それに教室で前と後ろの席っていうこの状況、これは抱きつき事件を彷彿とさせる配置で背中がむずむずした。
油断してたら獲物を狙う鷹よろしく舞宮が俺にばっさと抱きついて嘴の代わりにシャーペンでつつき始めるんじゃないか、というアホみたいな想像をしてしまう。
あの時舞宮は何も考えずに男同士のノリで俺に抱きついたんだろうけど、あの日向ぼっこみたいな温度を思い出すと妙に気持ちがざわついて、俺はできればあれもう1回できないかなーなどと思うのだった。男の俺でもイケメンに優しく抱きしめられたらか弱き存在になって守られたいと思ってしまうのだ。その先にあるのが志帆や女子たちの言うような、「舞宮様にお仕置きされたい」なのかもしれない。
とはいえ抱きつき事件があってから、舞宮はよく俺に話しかけてくるようになった。中身は「消しゴム貸して」とか「次数学だっけ?」とか俺以外に聞いても大差ないようなことだった。だけど、俺はこっちを伺う舞宮の目の中に「隙を見せたらつついてやるぞ」と言いたげな暗い光を感じる(気がする)のだった。自分1人でぐるぐる抱えていると考えが暴走してあらぬ方向に行ってしまいそうなので、俺は志帆と学食でラーメンを食べている時に「舞宮抱きつき事件」をぽろっとこぼした。口に出してみると多分なんでもないような出来事に聞こえるはずだ。
「志帆、俺この前舞宮に抱きつかれたんだけど〜」
できるだけ冗談っぽく聞こえるように明るい調子で言ったのに、志帆はラーメンに箸を絡ませたまま固まった。
「マジ?」
「まじ。いやーごめんな、抜け駆けしちゃったわ」
「…まじで、真面目に言ってんの?」
志帆は箸を置いて本気で拗ねてるような顔になったので、俺はどれだけ志帆が舞宮に本気なのか今更知った。だけど謝るのも変だし、そもそも男が男に抱きついただけでここまで事態を深刻に受け止める志帆は舞宮にまいり過ぎだ。
「どったの」
「いや、アホ鈴城。舞宮ってそういうことするタイプじゃないじゃん。で、あんたと特別仲良いってわけじゃないよね。なんで抱きついたりするの…」
「だから男子同士のノリで…」
「私舞宮が誰かにそんなことしてるの見たことないもん」
志帆の目は少し赤くなっていて、その目は隣でバカ笑いしていた俺じゃなく、ずっと舞宮の方を見ていたのだった。
「舞宮っていっつもあんたのこと見てるんだよね。授業中も、休み時間も。本当にいっつも」
そしてずっと舞宮のことを見ていた志帆の目が、間違いを言うはずはないのだ。
なんとなく気まずい空気で志帆と2人並んでとぼとぼと教室に帰ってくると、入るなり窓際にもたれかかりながら友達と話している舞宮の姿が目に入った。志帆は俺の方を振り向きもせずに自分の席へ戻ってしまったので、俺も気落ちしながら席へ戻る。
舞宮の目が俺を追いかけてくることに、気づかないふりはできなかった。
俺がなんの授業で寝てるかまで言い当てたあの日、意外なほど俺の恋愛事情に食いついてきた傘の下の舞宮の顔、さりげなさを装って窓ガラス越しに俺を見ながら腰に回してきた大きい手、志帆の泣くのを堪えた赤い目。
「舞宮は俺のことが好き」という突拍子もない考えが浮かんできて、俺の気持ちはうっすらと泡立つ。
そして俺の考えが本当だったとしたら、休み時間が終わるのが少し怖くなった。
授業が始まったら舞宮は俺の後ろの席につき、志帆が言ってたように授業中もずっと俺の背中を見てるのかもしれない。俺がちらっとでも振り返ったら、舞宮の静かな目と俺の目が合うのかもしれない。机の上に散らかった消しかすを指で一つずつ潰しながら、俺の心は揺れていた。
志帆の思い込みかもしれない、でも本当に舞宮は俺を見ているのかもしれない。
ぐらぐら揺れる平均台の上に立たされてるみたいな気持ちで、それこそ今舞宮のシャーペンにつっつかれたら地面にめり込む勢いで落下しそうだ。
でも確かめてみたかった。チャイムが鳴る。舞宮が席に戻ってくる。授業が始まって、先生が過去完了形がなんたらと言い出した時、俺はそっと後ろを振り向いてみた。
肘をついて掌に顎を乗せ、動物園のペンギンを見るみたいな気楽さで俺を見ている舞宮と目が合った。
「舞宮って」
俺は誰にも聞こえないよう、舞宮の方に身を乗り出した。
「もしかして俺のことずっと見てた?」
舞宮は頬杖をついたまま、安心しきったように小声で答えた。
「うん。やっと気づいた?」
舞宮〜鈴城〜私語は慎め〜と2人まとめて注意されて、俺は慌てて前に向き直った。心臓が喉から飛び出てきそうなくらいうるさく脈打っている。視界の端で志帆がわずかに身じろぎした気がした。

