ライオンのおすすめ

 肉を食べる人を美しいと思うなんて、初めてだった。
立ち上る湯気、大きな骨つき肉を大口で頬張る姿はライオンみたいだ。
私は思わず生唾を飲み込んだ。

数時間前ーー

新幹線から盛岡駅に降り立つと、秋とはいえ東京よりも肌寒い。
カーディガンを持ってくれば良かったかな、そんなことを考えてキャリーケースをガラガラと押し、まずは営業店へと向かう。
出張も三回目となれば少し余裕が出てきた。足取りは軽い。

盛岡に着くまでに、資料は三度確認したし、取引先へのアクセスも担当者と連絡先もすぐに出せる。完璧だ。

取引先で打ち合わせを済ませ、商談もうまくまとまる。昨日シミュレーションを入念にした成果が出た。営業支店長に報告を済ませ会社を出ると、もう外は夜の帷が下りていた。

ビジネスモードで人前で話すことは得意だった。

失敗しないように何度も確認する、それが緊張しないための一番の方法。

ホテルに着いたら、さっきコンビニで買ったカップ麺を食べながらのんびりして…そんなことを想像し、カバンから颯爽とスマホを取り出すと地図を確認する。

あれ、一本違う通りかも。
って、スマホの充電あと10パーセント?会社で充電し忘れてた…

今来た道を戻ろうかスマホと睨めっこしていると、ふわりと冷たいものが頬を撫でた。

「え…?」
手を伸ばし、空を見上げる。雪だった。

やばい、天気予報見てない、傘も忘れてきた。

いやいや、でもあと十五分程度だし早歩きすれば大丈夫じゃない?

キャリーケースを押してズンズン前に進む。充電は残り8パーセント。
雪で画面がよく見えない。

全然大丈夫じゃない。私は雪国を舐めすぎていた。

近くの軒先に仕方なく避難したが、雪はとても止みそうにない。
ハアと小さく溜息をついた。仕事以外はいつも行き当たりばったり。

足元にある、創作居酒屋ぎんがという木製の看板が目に付いた。ポップな鳥のイラストが可愛い。それに扉の隙間から食欲をくすぐる匂いが漂っている。
一人で居酒屋なんて入ったことない。でも…扉を開けようか躊躇した。
足元に凍える風が吹き込み、寒さに耐えきれず扉を開いた。

大きな笑い声、湯気や油の匂いと暖かい空気が一気に流れ込んでくる。騒がしい店内でこれは一人じゃ入れない。扉を閉めようとするとカウンターの奥から「いらっしゃい」と声をかけられてしまった。
チョビ髭の若中年のマスターは笑顔でカウンター席へ手招きする。一歩勇気を出しお店へと入ったのだった。

「雪降ってきたね」
優しい声に、私は少しホッとする。おしぼりとメニューを受け取り、
「はい…困ってしまって」
蚊の鳴くような小さな声で答えた。
メニューを開くと、ご当地メニューや食べたことないものばかり。知らないものは、いつも頼まない。後ろの方のページにあるだし巻き卵と冷やしトマトとレモンサワーを注文した。

ゆっくりと食べていると、マスターが嬉々として入り口のお客さんに声をかける。
「純平だー!久しぶりだなー」
常連さんらしき彼は、迷わず私の隣の席に腰掛けマスターと会話が弾んでいる。
きっと地元のサラリーマンだろう。長身で整った顔立ちで女子にモテそうな人だった。
常連さんが多い店って、やっぱり居づらい。早く止まないかな雪。
レモンサワーの泡を眺めてそう思っていた。

しばらくすると香ばしい油の匂いが鼻を掠める。
骨つきの鶏もも肉をそのまま揚げたような、インパクトのある大きな肉は皿からも少しはみ出している。湯気をたて、スパイシーな香りと共に隣の席へと運ばれた。あれはなんだろう?唐揚げにしては大きい。

隣の彼は目を輝かせて、ぐあっと大きな口で豪快にかぶりつく。
獣みたい。これサファリパークで見たことある。ライオンだ!

なんだか不思議と美しくて…生きてるって感じがした。

私に気付くと、咀嚼を続けながらこちらに視線を向けた。

あっやばいガン見しすぎたかも。慌てて視線を逸らしレモンサワーを流し込む。
次の瞬間、お肉の一切れが乗ったお皿が目の前に現れ、
「食う?」
私に声をかけてきた。
「えっ!?」
「欲しそうにみてたから」
「そういうつもりで見てたわけじゃなくて…えっと」
口ごもっていたらマスターが助け舟を出してくれた。
「ごめんね、コイツがさつで!ほら、女子困らせるなって〜」
「あ、失礼か…ごめん」
「あの…それ、食べてみたいです」
お皿を引っ込められそうになり思わず声を上げた。

二人は顔を合わせ、「じゃあどうぞ」と私を見た。
箸で熱々の肉を持ち上げる。カットされていたけど十分大きい。
口に入れると香ばしいスパイスと辛みが舌の奥で弾け、パリパリの皮をかじると口の中は一気に肉汁が駆け抜けた。

「ふはーー美味しいーー!」
思わず大きな声を出してしまうくらい。
こんな鶏もも肉は今まで食べたことがなかった。

「はは、心の声漏れてるよ」
彼がおかしそうに顔を覗き込んできた。
「気に入ってくれた?これはね、ももどりていういわゆるローカルメニューだよ」
マスターの説明を聞き「同じもの、ください」と注文した。

「出張…だよね?」
彼は私の足元にあるキャリーケースを指差しながらそう言った。
「はい、盛岡は初めてで、さっき雪に降られてこのお店に」
「じゃあせっかくだから…ひっつみも、ここのうまいから食べてみなよ」
「私、食べたことないもの注文するの怖くて」
「味は保証するから、あったまるし」
「…じゃあはい」
「よし」
「…あのひっつみって何ですか?」
「郷土料理の汁物。こんな雪の日にはサイコーだよ」
彼は食べ物に詳しく、いつもコンビニで済ませてしまう私とは正反対だなって思いながら話を聞いていた。

「ところでイーハトーブホテルってどこか分かりますか?道に迷ってて…」
地元の人だからわかるかなと、話の流れで聞いてみた。
「ああ、わかる。地図書いてあげるよ」
コースターを裏返すとポケットからペンを取り出し簡単な地図を書いてくれた。
シンプルで目印もわかりやすい。
「ありがとう…ん?この隅っこの変な犬の絵は何ですか」
「あーこれ俺!犬じゃなくてライオン」
「犬でもライオンでもこんな眉毛はないですよ」
「えっ犬とライオンて眉毛ないんだ!?」
「あるわけないじゃないですか」
二人して思わず笑った。

窓の外に視線を移すと、夜空に星が瞬いてる。
「雪、やんだな」
「はい、じゃあ私はここで」
「気をつけて」
席をたち、一瞬だけ連絡先を聞こうか迷った。
でも、きっとこういうのは一期一会。マスターと彼に手を振り、外へと向かう。
扉を閉める隙間から彼の背中をもう一度だけ見た。
「バイバイ」
小声で呟くと、地図を頼りに宿泊先へ向かった。

次の朝、チェックアウトを済ませ、いつも通りにコンビニへ行こうかなと駅へ向かう。
ふと、香ばしい珈琲の匂いが漂ってきて、その先に喫茶店のモーニングの看板が目についた。
あ、そういえば昨日ここの厚切りトースト美味しいって話してたな。
うん、今日はここで朝ごはんにしよう。山荘のような古い喫茶店の扉を開いた。

いい街だったな。
またいつか訪れたいと誓い、新幹線で盛岡を後にした。

数日後ーー

営業部は今日もひっきりなしに電話がなり、あちこちで打ち合わせの声が飛び交う。資料を確認していたら、もうこんな時間。ここで切り上げないとまたランチがコンビニになってしまう。

ジャケットと財布を掴むと「お昼行ってきます!」と同僚に声をかけ、エレベーターに飛び乗る。ポケットに財布をしまおうとすると、先日の出張先で行った居酒屋のコースターが出てきた。

「ぷっ、やっぱり変なライオンの絵」
楽しかった盛岡の夜を思い出し、一人微笑む。
エレベーターは途中の階でポーンと音をたてて止まり、長身の男性が乗り込んできた。
「よっ!」
「ん?」
思いもよらない人物に、喉の奥がつっかえる。

「やっぱ俺って絵の才能あるよなーそれ」
まじまじと私の手にあるコースターのイラストを指差し、そう言った。

「えええ?なんで?同じ会社?!」
「ああ、聞かれなかったから」
「知ってたら、フツー言いますよね?!」
「ふーんそうなんだ…ところで今からランチ行くの?」
「…はい」
「俺も。うまいアジフライのお店あるんだけど、くる?」
私だけ知らなかったことに少しムッとして黙ってしまう。でも、
「…行きます」
思わず即答していた。
悔しいけれどこの人のおすすめはどれも美味しい。そこは、やっぱり認める。

エレベーターがエントランスにつくと、コースターをポケットにしまい、少し先をいく彼の背中を追いかけた。

美味しいアジフライが、待っている。