「そのことについては、僕らも納得してるんです」
田所さんはソファーに浅く座り、笑顔でそう答えた。
「納得、ですか?」
取材に同行しているディレクターの遠藤も、拍子抜けしたような顔で、「納得」という言葉を繰り返す。
田所さんも、隣に座る奥さんも、背筋をピンと立てて、にこやかな笑みを崩さない。
僕も、遠藤と同じ疑問を抱いていたが、今は何も言わず、話を聞くことにした。
「もう十分、話し合ったので」
田所さんが再び言いかけた時、カーテンの隙間から西陽が差し込み、カーペットに細く長い光の線が走った。
誰からともなく、リビングにいた全員が、吸い寄せられるように、カーテンの方を向いた。
ベランダには、夕方の日差しでオレンジ色に染まる洗濯物が見えていた。
僕らは視線をテーブルに戻したが、田所さんだけは、黙ってベランダの洗濯物を見つめ、固まったように黙り込んでいた。
家族3人分の洗濯物が干されている光景を見て、彼は今何を思っているのだろうか。記者として質問するべきなのだろうが、何も言えなかった。
田所さんは、窓の方を見つめたまま、隣に座る奥さんの手に、そっと自分の手を重ねた。奥さんも「分かってる」と伝えるように、ゆっくりと頷いた。
「ですが、実際のお気持ちとして・・・」
遠藤は、沈黙に耐えかねたように、迷いながら遠慮気味に尋ねた。
今年で30歳、僕より二つ歳下の彼は、ベテランの多いドキュメンタリー番組のディレクターとしては、まだまだ若手になるだろう。取材の場で、ここまで前のめりになる姿は見たことがなかった。
今回の取材は無かったことにした方がいいのではないか、ここに訪れる前、珍しく弱気になっていた遠藤の顔を思い出す。
田所さんも、ハッと我に返ったように、僕らに向き直り、再び口だけで笑顔を作った。
大きく息を吸った後、「妻が決めたことですから」と一息に答えた。
それでも、納得のいかない様子の遠藤だったが、僕が代わりに話を引き取ることにして、質問を続けた。
「その日のことについて、お話を聞かせてもらえませんか?」
その日と口にした瞬間、長女の穂乃果さんの肩が、わずかに揺れたように見えた。
事前取材のため、僕らがリビングに訪れたあとも、少し離れたダイニングテーブルにずっと座っていた。
事前のメールでは、まだ15歳だと聞いていたが、実際に会ってみると、高い身長と整った顔立ちのせいか、同年代の少女よりも、ずっと大人びて見える。
「その日というのは?」
奥さんの美智子さんが、口を開く。
全く検討がつかないという口ぶりではなく、話を前に進めるための橋渡しのような、優しい口調だった。
美智子さんは、元教師だと聞いていた。教壇に立つこの人は、こんな風に柔らかに生徒に語りかけていたのかも知れない。
「つまり・・・」
質問の文言を考えながらもう一度、穂乃果さんの方へと目を移す。
家族3人で暮らすには、十分に広い家だ。自分の部屋はあるはずなのに、僕らが取材に訪れてからずっと、学校帰りの制服のまま、空っぽのダイニングテーブルに向かい、スマートフォンを見ている。
「奥様がご家族に初めてお話をした日のことをお聞かせいただけますか?」
僕が話を先に進めると、見間違いようがないほどハッキリと、穂乃果さんの肩が震えた。
こちらの会話に興味がないフリをしながら、さっきからスマートフォンを操作する手は止まっている。冷静に振る舞っているように見せても、大人を騙しきれない。そのアンバランスさが、今は悲しく見えた。
「もちろん、びっくりはしましたけど」
田所さんは、電気工事の仕事で日焼けした太い腕を組みながら答えた。
僕よりも一回り以上年上のご主人だが、まだ配偶者との別れを覚悟するには早すぎる。
早すぎる、田所さんに向けた言葉なのに、途端に切先を変えて僕にも向かう。
今回の取材は、奥さんの方から、プロデューサーに連絡があった。深夜に見たドキュメンタリー番組の誠実さに心打たれ、ぜひ取材してほしいと、制作会社を調べて連絡をしてきたのだ。
どこまでが本音なのか、掴めずにいたが、密着取材をしてほしいという願い自体は、本音だったと、今日初めて会って確信した。
わたしが安楽死をする瞬間を映像に残して欲しいと、メールには書いてあった。
