新たな恋は意外な場所からやってくる

「先生、結婚しました」

 朝のホームルーム中、左手に輝く指輪を見せびらかしながら報告したのは、唯桜の担任である林田健斗だった。教室中から拍手とおめでとうという明るい声が飛び交う。ただ、唯桜一人を除いては。

 唯桜が初めて林田先生に出会ったのは中学三年の夏休み、霧山大学付属高校の学校見学会の時だった。

 唯桜が通っていた中学では、夏休みの課題として「最低三校の学校見学へ行く」というものがあった。特に何も考えていなかった当時の唯桜は、来校者全員にプレゼントがあるとパンフレットに書かれていた霧山大学付属高校の見学へ行くことにした。この学校は進学コース、総合コース、商業コース、工業コース、調理コースの全5コースがある私立高校だ。漠然と大学進学を考えていた唯桜は、進学コースの説明会に申し込んだ。

 灼熱の太陽が照り付ける8月4日、唯桜は電車に乗って見学会に向かった。

 駅に着き、見学者専用のスクールバスに乗ると、山の中腹にある高校へと到着した。在校生に案内されて体育館に向かい、そこでこの高校全体の詳しい説明を聞いたあと、コースごとに分かれて教室へ向かった。

 その時、進学コースの体験授業担当だった林田健斗先生に一目ぼれした。先生の担当は数学だった。

 今でも僕は、その時受けた授業を鮮明に覚えている。

 当時、勉強がそこまで好きであったわけではない僕は、家から近い適当な公立高校へ行こうと思っていた。しかし、この出会いが僕——北村唯桜(きたむらいお)の運命を動かした。そこから志望校を公立から私立に切り替え、漠然としか考えていなかった大学進学を本格的に意識するようになった。

そして、林田先生が担任となる進学コースへ合格した。

しかし、入学してから先生に好意を伝える勇気もなく、ただただ見つめているだけの日々。正直、それだけでもよかった。先生の授業を受けて、ホームルームで先生の雑談を聞き、同じ空間にいられるだけで幸せなはずだった。

突然の結婚報告により、一緒にいられるだけで幸せなんて嘘だと気づいた。みんなが祝福している中、下を向いて泣いているのを悟られないようにするのが精一杯。

これが北村唯桜、人生で初めての失恋だった。

それから僕は、全く勉強に身が入らなくなった。

特に林田が担当していた数学の成績の下がり具合は顕著だった。今まで毎授業質問に行き、補習にも欠かさず参加していたのに、結婚報告を皮切りに補習をさぼりがちになった。

それから先生に「悩み事でもあるのか」と心配され、話しかけられる頻度が増えた。「お前のせいだよ」という身勝手な気持ちを表に出さないことで精一杯で、「なんでもないです」と苦笑いを続ける日々。

先生と話す機会が増えるうれしい気持ちもあった。けれどそれ以上に、話すたびに忘れようと必死になっている恋心を掘り起こされて、その気持ちに押しつぶされそうになる。先生から離れたくて、2年から進学コースを外れ、総合コースへ進むことにした。

頑張るモチベーションを失った僕は、2年から心を入れ替えて頑張ろうなんて気にはとてもならなかった。
基本的に一年次とクラスは変わらず、コース変更により数人だけが入れ替わる。

すでに仲良しグループは形成されていて、その中に2年から入った僕が溶け込めるはずもなく、しっかりクラスで孤立し、教室での居場所を失っていた。

昼休憩くらいは誰もいないところでご飯を食べたい。そんな気持ちから、学校の敷地にある山を散策し始めた。

そして、学校で唯一誰も近づかない山奥の建物を発見した。ここを見つけてからの2週間、毎昼休憩ここに来ていた。

学校で息ができるのはここだけだ。新鮮な空気を取り込むため、秘密基地に着くといつも深呼吸をする。そして建物の影に入り、ゆっくりご飯を食べる。30分の昼休憩が終われば、このオアシスから地獄へ逆戻りだ。

こんな日常が2年間も続くかと思うと、憂鬱だった。