「きたっ……! 同時、同時だよ美優っ!」
応援席の最前列で、萌華が美優の肩を何度もバシバシと叩きながら絶叫した。
第三走者の男子たちが死力を尽くして第四コーナーを駆け抜けてくる。優希のクラスも、伊澄先生が助っ人に入ったクラスも、まさに紙一重、ほぼ同着のスピードで最終ストレートへと突入していた。
「頼んだぞ、相良ーーー!」
「伊澄先生、お願いしますっ!」
怒号のような歓声が響き渡る中、優希と伊澄先生はほぼ同時にバトンを受け取った。
パシィィン! と鋭い音がシンクロする。
二人は火花を散らすような爆発的な加速で、一歩も譲らぬまま同時にスタートを切った。
美優は息をすることさえ忘れたように、拳をぎゅっと握りしめてその光景を見つめていた。首元に巻いたマフラータオルの生地を、破れそうなほど強く指先で掴む。
(もう、なんで二人がこんなことになってるの……!)
不安と緊張で胸がはち切れそうだった。二人が話していた内容までは聞こえなかったけれど、あの尋常ではない張り詰めた空気を見れば、このレースにただならぬ意味があることくらい、美優にも本能的に分かっていた。
二人は恐ろしいほどのトップスピードを維持したまま、トラックを早々と駆け抜けていく。完璧なフォームで疾走する優希の横で、伊澄先生も大人のプライドを剥き出しにして、必死の形相で地面を蹴っていた。
グラウンド中央の朝礼台の上から、実況の生徒がマイクを通して興奮気味に叫ぶ。
『おおっとーーー! これは凄まじい大接戦だ! 理科の助っ人・伊澄先生も全力疾走! 2組の若きエース相良くんも引かない! 両者一歩も譲りません、がんばれーーー!』
運動場全体のボルテージが最高潮に達し、地鳴りのような声援が二人を包み込む。
そして、全校生徒と教師たちが見守る中、ついに決着の瞬間が訪れた。
「優希くん……っ!!」
美優が喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ、その直後だった。
ゴール直前のわずか数メートル、優希が凄まじい勢いで一歩前に身体を突き出し、伊澄先生よりも一瞬早く、胸で白いゴールテープを切り裂いた。
「やったぁぁぁぁーーーー!!」
2組の応援席から爆発的な大歓声が沸き起こる。
美優は驚きと安堵で大きく目を見開いたまま、動けなくなっていた。
少し遅れてゴールラインを越えた伊澄先生は、肩を激しく上下させながらその場にゆっくりと座り込んだ。流れる汗を拭いながら、どこか清々しい、けれど完全に敗北を認めたような爽やかな苦笑いを浮かべる。
「はぁ、はぁ……あー、惜しかったなぁ……。やっぱり現役の高校生には敵わないか」
先生の周囲に生徒たちが駆け寄り、「先生お疲れ様です!」「惜しかった!」と声をかける。
一方、1位をもぎ取った優希もまた、荒い息を吐きながら少し離れた地面に膝をついていた。額からあごへと垂れる大量の汗を、体操服を捲り上げた手首でゴシゴシと力任せに拭い去る。
優希は肩を揺らしながら、座り込む伊澄先生のほうをじっと見据えた。その瞳は、勝利の熱を帯びながらも、冷徹に約束の履行を迫っていた。
「はぁ……はぁ……。俺の、……っ勝ち、ですね」
掠れた、けれど周囲の喧騒に掻き消されない確かな声が、伊澄先生へと突き刺さる。
伊澄先生は優希のその視線を受け止めると、ふっと寂しげに微笑み、小さく頷いてみせた。
二人の男の間で交わされた約束通り、美優の過去の鎖は、今度こそ完全に断ち切られたのだった。



