「よーい……」の合図を待つ、静かな緊張感が漂うトラックの最終コーナー付近。
リレーのバトンが回ってくるのを待つ間、優希は軽く身体を動かしながら、すぐ隣のレーンに立つ伊澄先生に視線を向けた。その優しい瞳は、いつもクラスで見せる爽やかなものとは一線を画す、冷徹な光を宿している。
優希はアキレス腱を伸ばしながら、周囲に聞こえないほどの低い声で伊澄先生に話しかけた。
「伊澄先生。まだ美優のこと、引きずってるんですか? 未練たらたらで、最高に情けないですね」
クスッと、小馬鹿にするような笑みを唇の端に浮かべる。
一方の伊澄先生も、優希の挑発に動じることなく、ゆっくりと腕を伸ばして準備運動を続けていた。そして、いつもの穏やかな、だけどどこか底冷えするような大人の声を優希に返す。
「未練、なんて言葉で簡単に片付けないでくれるかな。美優は俺のことを忘れることができない。それは俺も同じなんだ。……子どもには、関係のない話だよ」
「美優はもう、俺の彼女なんです。これ以上、邪魔しないでもらえますか?」
優希の言葉に、明確な独占欲と敵意が宿る。二人の間で、目に見えない激しい火花がバチバチと飛び散った。
すると、伊澄先生は準備運動を終え、優希の方を向いて大人の余裕に満ちた薄い笑みを浮かべた。
「じゃあ……少し面白い勝負でもするか? このリレー、どちらかのクラスが負ければ、美優の前から完全に身を引く。これでどうだ?」
「っ……!」
教師という立場を利用した、どこまでも身勝手で、だけど確実な挑発。優希は悔しさにキリッと奥歯を強く食いしばった。
もしここで断れば、美優への想いがその程度だと思われてしまう。それに、自分の手でこの男に引導を渡せるチャンスでもある。優希は拳をぎゅっと握りしめ、伊澄先生を射抜くようにじっと見つめた。
「その勝負……受けて立ちますよ。俺が勝ったら、二度と美優に近づかないでください」
優希の低い覚悟の言葉と同時に、第三走者が第四コーナーを回ってくるのが見えた。
「相良ーーー! 頼んだぞーーー!」
クラスメイトの絶叫とともに、バトンが優希の元へと迫る。美優の気持ちを背負った優希と、過去の執着を捨てきれない伊澄先生。二人の男の、プライドを懸けた極限のバトルが、今まさに幕を開けようとしていた。



