「久しぶりだな。綺麗になってて、最初は気が付かなかったよ」
伊澄先生は、美優に振り払われた自分の掌を見つめながら、ひどく悲しそうな顔をして笑った。その声音は相変わらず優しくて、だからこそ美優の耳には、毒のように悍ましく響く。
「やめて下さい、そういうの……」
美優は激しい嫌悪感と恐怖に耐えかねて、ぎゅっと目を瞑り、顔を大きく逸らした。
そんな美優の拒絶を気にも留めない様子で、伊澄先生はさらにもう一歩、距離を詰めてくる。その瞳には、少しばかり執着の色が混じり始めていた。
「美優、俺は今までずっと君に謝りたかったんだ。あんな別れ方になってしまって、ずっと後悔してた。だから、俺の話を――」
「美優、こんな所で堂々と浮気かな?」
張り詰めた渡り廊下に、唐突に、驚くほど爽やかでよく通る声が響き渡った。
「っ……!」
美優は心臓が跳ね上がるのを感じながら、弾かれたように声のした方へと振り返る。
そこには、渡り廊下の壁に背中をもたれかけ、悠然と腕を組んでいる優希の姿があった。彼はいつものように綺麗な顔に薄い笑みを浮かべている。けれど、その瞳の奥は、全く笑っていなかった。
「優希くん……っ!?」
美優が驚きに目を見開く中、優希は壁から背を離し、ゆっくりとした足取りで美優の元へと歩いてきた。その歩調には、微塵の迷いもない。
優希は美優のすぐ隣を通り過ぎ、教壇に立つ時よりもずっと至近距離で、伊澄先生の前に立ちはだかった。そして、目の前の教師を冷たく見下ろしながら、クスッと低く笑う。
「新しく就職してきた社会人が、初日から早速生徒を誑かすなんて、ずいぶん面白いジョークですね」
「な……っ」
優希の容赦のない言葉に、伊澄先生の顔が微かに引きつる。
美優は、二人の間で火花が散るのをただ見つめることしかできなかった。心臓のバクバクとした動揺が止まらない。
(優希くん……もしかして、私と先生のことに感づいてる……?)
そんな美優の不安を察したのか、優希は一歩下がり、怯える美優の肩をそっと、だけど力強く自分の身体へと引き寄せた。彼の大きな手のひらから伝わる体温が、震えそうだった美優の身体を優しく支えてくれる。
優希は美優を庇うように抱きすくめながら、伊澄先生に向かって氷のように冷たい微笑みを向けた。
「伊澄先生、でしたっけ? ――美優は俺の彼女なんで、あまり近づかないでもらえますか」
真っ直ぐに向けられた明確な敵意と牽制。
伊澄先生は息を呑み、信じられないものを見るように目を見開いた。
「彼氏……」
先生はポツリとそう呟くと、優希の腕の中にいる美優を縋るような目で見つめた。しかし、美優は優希の胸元に顔を埋めるようにして、伊澄先生から完全に視線を逸らした。
繋がれた優希の掌から伝わる強い鼓動が、美優に伊澄先生と戦う勇気を与えてくれていた。



