「でも私……相良くんのこと、まだよく分かってないというか……好きかどうかも、わからないよ?」
美優は戸惑いを隠せないまま、なんとかそれだけの言葉を絞り出した。
これまで付き合ってきた男子たちに言ってきたのと同じセリフ。けれど、あの時のような温度のない淡々とした響きはどこにもなかった。今の美優の声は、自分の冷たさに怯え、相良を傷つけることを恐れるように、かすかに震えていた。
普通の男子なら、ここで表情を曇らせるか、プライドを傷つけられて身を引く場面だろう。
しかし、相良は違った。彼は美優の頬に添えていた手を優しく離すと、いつものようにくしゃっと目を細めて笑った。
「うん、最初からそんなの分かってるよ」
相良の声には、焦りも不安も一切なかった。夕暮れの教室に、彼の真っ直ぐな言葉が響く。
「でもさ、姫野が俺のことを好きになる確率は、ゼロパーセントじゃないと思ってる。それに……俺が姫野のことこれから先、嫌いになるなんてこと、絶対にないから」
そう言って胸を張る相良の瞳には、揺るぎない確信が満ちていた。
美優のガラスのような瞳が、激しく揺れ動く。
胸の奥のざわめきが、どんどん大きくなっていくのを止められなかった。
(なんで、相良くんは……いつもそんなに、自信に満ち溢れているんだろう……)
美優は相良を見つめながら、彼と自分との間にある、決定的な違いについて考えていた。
相良くんは、クラスの誰からも慕われる人気者で、頭も良くて、優しくて、格好いい。誰に対しても分け隔てなく真っ直ぐで、彼こそが本当の意味での『完璧な存在』に近いのだ。
それに比べて、自分はどうだろう。
周りから「完璧な女子」と持て囃されているけれど、その中身は、中学時代のトラウマから逃げ出し、誰とも向き合おうとしない空っぽの冷血人間だ。立石先輩やこれまでの男子たちが絶望して去っていったように、いつか相良くんも、私の本当の姿を知れば愛想を尽かすのではないか。
そんな恐怖が、頭をもたげる。
けれど、それと同時に、今までにない小さな光が胸の奥に灯るのを感じていた。
(それでも……相良くんの傍にいたら、これから先の私は、何か変われるのかな……)
いつかこの冷たい時計の針が完全に進み出して、もう一度、世界がキラキラと輝く日が変わるかもしれない。そんな、自分でも驚くほどの淡い期待が、美優の背中をそっと押した。
美優は抱きしめていた資料に少しだけ力を込め、相良の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……いいよ」
小さく、けれど明確な同意の言葉が、美優の唇から零れ落ちた。
「マジで?!」
相良の顔が一瞬でパッと輝き、少年のような満面の笑みが咲く。
誰かを好きになる恐怖を抱えたまま、それでも一歩を踏み出した美優。そして、その冷たい心をすべて包み込もうとする相良。
二人の恋の物語が、赤く染まる夕暮れの教室から、静かに幕を開けた。



