美優は息を殺し、なるべく音を立てないようにゆっくりと足を動かした。相良に気づかれないよう、書架の間をすり抜けて気配を消して歩く。
けれど、焦りからか、視線がどうしても相良の方へと向いてしまっていた。
曲がり角に差し掛かったその時、死角になっていた書棚から少しだけ飛び出していた本の背表紙に、美優のスクールバッグが引っかかった。
――バサバサッ!
静まり返った図書室に、本が何冊かカーペットの床へと崩れ落ちる音が派手に響き渡った。
「あっ……」
美優の口から、小さく動揺した悲鳴が漏れる。
当然、その物音に気づかないはずはなかった。戸棚の近くで頬杖をついていた相良が、弾かれたようにこちらを振り返る。
書架の影で本を前に立ち尽くす美優の姿を捉えた瞬間、相良は大きく目を見開いた。
「え?! 姫野?!」
その声には、明らかな驚きと、それ以上の焦りが混じっていた。
「あはは、えーっと……」
完全に気まずくなった美優は、引き攣った笑みを浮かべながら、誤魔化すように慌てて床へしゃがみ込んだ。落ちた本に手を伸ばす。
すると、相良もすぐに椅子から立ち上がり、長い足を引いて美優の元へと駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
そう声をかけながら、相良はごく自然な動作で美優と同じように床へ膝をつき、一緒に本を拾い上げてくれた。普段の気だるげなクラスメイトの姿からは想像もつかないほど、その手つきは優しかった。
二人がかりで拾ったため、散らばった本はすぐに片付いていく。
そして、床に残された最後の一冊に、お互いが同時に手を伸ばした。
ふっと、美優の白い指先に、相良の少し無骨で温かい手が重なる。
「……っ!」
肌と肌が触れ合った瞬間、美優の胸の奥を、今まで感じたことのない奇妙な衝撃が駆け抜けた。驚きのあまり、美優は思わず息を呑んで手を引っ込める。
相良もハッとしたように手を離し、少しきまり悪そうに頭を掻いた。
「あー、わりぃ」
照れて笑う彼の笑顔を見た瞬間、美優はなんだか、急に胸の緊張が解けていくのを感じた。完璧な見た目だけの仮面も、みじめな噂話を聞いてしまったショックも、彼のその不器用な優しさの前に、どうでもよくなってしまったのだ。
「ううん、全然」
美優の唇から、自然な笑みが零れ落ちた。自分でも不思議なくらい素直だと思った。
相良は拾い上げた本を美優の腕に抱えさせると、少しだけきまずそうに視線を斜め下へと逸らした。首筋をさすりながら、躊躇いがちに口を開く。
「……さっきの、もしかして聞いてた?」
張り詰めた沈黙。美優は抱きしめた本に少しだけ力を込め、小さく瞬きを繰り返した。
隠す必要は、もうなかった。
「……うん。相良くん、優しいんだね。ありがと」
美優は相良の瞳を真っ直ぐに見つめ、優しく微笑んだ。
そんな美優の笑顔を、相良は眩しいものを見るように、少しだけ目を見開いて見つめていた。
夕暮れの図書室に差し込むオレンジ色の光が、二人の影を静かに床へと落としていく。



