萌華が嵐のように去っていった後、美優は一人、黙々とペンを動かして社会の課題を終わらせた。ノートを閉じ、バッグにしまい込むと、すぐには立ち上がらずに大きく息を吐く。
図書室はすっかり静まり返っていた。美優はなんとなく名残惜しさを感じて、広い書架の間をあてもなく歩き回る。
その時、端の方にある古い木製の戸棚が目に留まった。ガラス越しに背表紙を眺めていた美優は、ある一冊の本を見つけて思わず足を止める。
それは、中学時代の図書室で、伊澄先生にお勧めされて何度も繰り返し読んでいた小説だった。
懐かしさに胸が締め付けられ、吸い寄せられるように戸棚を開けてその本を手に取る。色褪せた表紙に触れるだけで、あの秘密基地のような狭い図書室の空気が蘇るようだった。
「これ、借りていこうかな……」
そう呟き、カウンターへ向かおうとした時だった。
戸棚のすぐ近く、死角になっている閲覧席から、低く下品な笑い声が聞こえてきた。それは他クラスの男子生徒たちの声だった。聞き覚えのある声に、美優の足がピタリと止まる。
「そういえばお前、少し前まで姫野と付き合ってたんだろ? ぶっちゃけ、どこまでいったわけ? ヤッたのかよ?」
心臓がどくり、と嫌な音を立てた。声の主は、立石先輩の後にほんの数週間だけ付き合った、他クラスの男子だった。
「おいおい、声がデカいって。ヤッてねーよ」
「マジかよ、早すぎ。俺らの賭け、お前のせいで負けたじゃん」
「せめてヤるもんヤっとけよなー。あの顔とスタイルで、宝の持ち腐れだろ」
下卑た笑い声が静かな図書室に響く。美優は本を抱きしめたまま、動くことができなかった。
「いや、マジで無理だって」
元カレの男子が、うんざりしたようにため息をつく。
「キスくらいはしたんだろ? どうだったんだよ、教えろよ」
「……しょうがねーだろ。あいつ、名前負けするくらい、中身めっちゃ冷てぇんだもん。何しても全然響かねぇし、ロボットと付き合ってるみたいで気持ち悪くなってさ。だから別れたんだよ」
「うわ、マジか。あんなに完璧そうなのに、中身は冷血人間かよ。ないわー」
楽しげに遠ざかっていく男子たちの足音を、美優はただじっと聞いていた。
胸の奥が、ちくりと鋭く痛んだ。
今まで、断るのが面倒だからと、誰の告白でも安易に受け入れてきた。傷つけないように、求められる恋人としての役割は淡々とこなしてきたつもりだった。
けれど、そんな自分の身勝手で曖昧な態度が、巡り巡って今、最悪な形で仇となったのだ。
自分の心が動かないことへの報いだとしても。
男子たちの間で賭けの対象にされ、都合のいい玩具のように品定めされ、最後には「冷血人間」と蔑まれる。
「……っ」
完璧な女子高生として振る舞ってきた美優にとって、それは想像以上に深く、鋭いショックとなって、その場に突き刺さっていた。抱きしめた小説の角が、冷たい指先に痛いほど食い込んでいた。



