立石先輩と付き合い始めてから、数日が経った。
学校帰りに並んで歩く。スマートフォンに届く、他愛のないメッセージに返信する。周囲から見れば、それは微笑ましい「恋人同士の日常」そのものだった。
時折、先輩は「美優ちゃん」と嬉しそうに破顔して、大きな手で美優の手を包み込んできた。美優はそのたびに、拒むことなく静かに握り返す。
けれど、胸の奥は驚くほど静かだった。
ときめきなんて、ひとかけらもない。悲しいくらいに、心臓の鼓動は一つも速くならなかった。
「……美優ちゃん?」
そんな美優の温度の低さに、先輩は少しずつ、けれど確実に不安を募らせていった。美優を覗き込む先輩の瞳に、焦りのような色が混じるのを、美優は冷ややかに察していた。
何度目かのデートの日、外はあいにくの雨だった。
二人は薄暗い映画館にいた。スクリーンには、恋人たちが愛を語り合う美しいシーンが映し出されている。
ふいに、先輩の手が美優の指先に触れ、そのまま強く握りしめられた。
「今日の美優、ほんと可愛い」
耳元で、掠れた甘い声が囁かれる。映画の雰囲気も相まって、普通の女子高生なら顔を真っ赤にしてうつむく場面だろう。
だが、美優はスクリーンの光を瞳に反射させたまま、淡々と言葉を返した。
「先輩、ありがとうございます」
その声には、照れも、動揺も、喜びすらも含まれていなかった。ただの丁寧な挨拶のようだった。
映画館を出て、雨が上がった夕暮れの街を歩く。
オレンジ色の光が差し込む公園のベンチに、二人は腰掛けた。
静寂の中、ついに痺れを切らした先輩が、美優の肩を掴んで真っ直ぐに見つめてきた。その瞳は、今にも泣き出しそうなほど切羽詰まっている。
「……俺がキスしたら、ちょっとは意識してくれるんじゃないかな」
すがるような声だった。
先輩の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
美優は拒まず、ただ静かに目を閉じた。
重なる、柔らかい唇。
少しだけ震えている先輩の吐息。
やがてお互いの唇が離れ、先輩は確かめるように美優の顔を覗き込んだ。
美優はゆっくりと目を開けた。
その表情は、キスをする前と何一つ変わっていなかった。頬が赤くなることも、呼吸が乱れることもなく、ただガラス玉のような瞳で先輩を見つめ返している。
「……っ」
先輩は息を呑んだ。
その顔が、驚きと深い絶望でみるみる歪んでいく。
自分の全力の好意も、肌の温もりも、美優の頑なな世界の境界線を一歩も越えられなかった。その残酷な事実に、立石先輩は言葉を失い、ただ大きなショックに打ちひしがれていた。



