不完全な僕達は。【完結】




あのきらめく夏の海から、季節は巡った。
厳かな空気の中で執筆された卒業式が終わり、校内は開放感と別れの寂しさが入り混じった独特の熱気に包まれていた。
美優は胸にしっかりと卒業証書の筒を抱え、人混みの中で一人の姿を探していた。

――伊澄奏多。

もう学校は終わった。これからは「先生」ではなく、一人の男の人として彼を呼べる。
そんな期待に胸を膨らませながら校舎を歩くが、伊澄の姿はどこにもない。
ふと、放課後によく二人で言葉を交わした図書室の存在が頭をよぎった。あそこなら、静かに美優を待ってくれているかもしれない。

美優は期待を胸に、静まり返った管理棟の階段を駆け上がった。
しかし、図書室の前に辿り着いた瞬間、美優の足がピタリと止まる。
いつもは固く閉ざされている重い木製のドアが、わずかに隙間を空けて開いていた。そして、その奥から、尋常ではない男女の口論が漏れ聞こえてきたのだ。

嫌な胸騒ぎが、冷たい刺となって心臓を突き刺す。
美優は息を殺し、吸い寄せられるようにドアの隙間から中を覗き込んだ。

本棚の影、薄暗い室内で向かい合っていたのは、伊澄先生と、保健室の有栖先生だった。
いつも冷静で綺麗な有栖先生が、なりふり構わず伊澄の胸元に縋りつき、怒りと悲しみに震える声を上げている。

「ちょっと奏多!どういうこと!?本気なの?!私達、婚約してるのよ!?春には式を上げる予定なのに!」

ドクン、と美優の心臓が大きく跳ねた。耳を疑う言葉に、全身の血の気が一気に引いていく。

「それは、静の親が勝手に決めた事でっ……!」

伊澄は有栖の手を振り払おうとしながら、苦悶の表情で言い返している。
だが、その弁明は美優の耳にはもう届かなかった。

「有栖先生と、伊澄先生が……婚約……?」

脳裏をよぎるのは、あの夏の海で優しく髪を撫でてくれた彼の手、愛おしそうに名前を呼んでくれた声。
すべてが嘘だったのだろうか。自分はただの、都合の良い遊び相手だったのだろうか。
視界が急激に歪み、足元から崩れ落ちそうなほどの衝撃が美優を襲う。

思考が完全に停止し、指先の力が完全に抜けた。

――カタン。

静まり返った廊下に、乾いた音が虚しく響く。
美優の腕から滑り落ちた卒業証書の筒が、無情にも床を転がっていった。