いつもは早くても、予鈴が鳴る15分ほど前。だけど今日は30分以上も早く。並んだ下駄箱の棚の影から、そっと覗く。
私の目に映るひとりの、眼鏡をかけた男子は、前原くん。
胸に手を当て、ドキドキと緊張する鼓動を落ち着かせて、声をかけようとした……瞬間だった。
「おはよ、実優」
「きゃっ!」
ポンッと肩を叩かれて、びっくりして悲鳴を上げた。
振り返ってみると、後ろに立っていたのはキョトンとした朱里。
「こんな早くに珍しいじゃん。何してんの?」
「あ……いや、別に……」
不思議そうに訊ねられて、口ごもる。
困った私が逃げるように「朱里は?」と聞き返すと、
「昨日、体育館にシューズ忘れて帰っちゃって」
これから取りに行こうと思ってさ……と、続けられた。
***
「あー……あったあった! ごめんね、付き合わせちゃって」
早朝の静かな体育館。日中は煮え返るくらい暑くなるのに、まだ涼しいと感じられる空間に、朱里の声が響く。
「ううん、特に用事とかなかったし」
口ではそう言いながら、心の奥ではちょっとガッカリしてる。だって、前原くんに『おはよう』って、言えなかった。
スニーカーを脱いで、上履きへと手を伸ばしていた前原くん。朱里に声をかけられて、私が視線を戻したときには、彼の姿はなくなっていた。
驚いて大きな声を上げちゃったから、私が見ていたことに気付かれちゃったかもしれない。
声をかけるつもりだったんだけど、どう思われたかなって、少し不安になる。
とりあえず、今日も挨拶すら出来なかったや……と、小さく肩を落とした時だった。
「……もしかしてさぁ、また前原に声かけようとしてた?」
「えっ」
他には誰もいない静かな空間に響いた、彼の名前と言葉。私が返事するよりも早く、朱里は少し呆れたように息を吐いて。
「放っときなって言ったよね。男子のいじめなんて、そのうち飽きたらすぐ終わるよ」
「だから……ね?」と、まるで子どもにでも言い聞かせるように、朱里は私の頭を撫でた。
「……」
どうしてそこまで分かっていて、気付かないんだろう。
どうして私が前原くんを“好き”だとは、思わないんだろう。
朱里はただ、前原くんがいじめられているから、私が気にしてあげているんだと思ってる。
ただの同情。それ以上の感情があるなんて、これっぽっちも思っていない。
一度ならず二度までも、そんな風に言われたら、まるでダメなことだと言われているみたい。
前原くんを好きになることが、いけないことだと言われているみたい……。
「そろそろ梨花も来るね、教室戻ろっか」
大きな壁掛け時計を見ながら言った朱里に、こくんと頷く。前原くんのことについては、わざと返事しなかった。
本当は、朱里たちに前原くんのことを相談したい。
好きになっちゃったんだけど、どうしたらいいかなって、普通の初恋みたいに素直に相談してみたい。
でも、ふたりの様子からして、とてもじゃないけど本当のことは言い出せない。
だってもう、ふたりが前原くんのことを悪く言うのは聞きたくないから。
「ふたりともおはよー……って、あれ?どっか行ってたの?」
教室前の廊下で、タイミング良く出くわした梨花。
玄関とは逆の対面から向かってきた私達を見て、小さく首を傾げた。
「あぁ、うん。体育館にシューズ忘れて帰っちゃってさ。ちょうど玄関で会ったから、取に行くの付いて来てもらってたの」
「そうなんだー。実優が早いとか珍しい」
「ね」
顔を見合わせ、クスッと小さく笑うふたりに、「私だってたまには早く来るよ」と、頬を膨らます。
でも、今日早起きしたのには、ちゃんと理由があって……。本当は前原くんに、挨拶がしたかった。
彼への想いに気付いたあの日。心配した梨花に送られ帰宅した私は、これからどうしたらいいのか、ずっと考えていた。
前原くんに嫌われてしまったかもしれない。でも、だからってこのままなんて、絶対に嫌で。
とにかくもう一度、話がしたいと思った。
前原くんと、話がしたい。その為にもまず、挨拶でもいいから声をかけよう、そう決意したのだけど……。
朱里たちと何でもない話をしながら、足を踏み入れた教室。ふたりの目を盗むように、密かに私が目を向けたのは、入ってすぐの前原くんの席だった。
いつもそこで静かに読書をしていた姿は、ない。
教室の中を見渡してみても、彼はいない。
さっき玄関で見たから、学校には来ているはずなんだけど。一体どこに行っちゃったんだろう……。
挨拶をしようと思っていても、最近いつもこう。
どちらかと言えば遅刻がちな私とは違って、朝早い前原くん。
少し前までは、ホームルームが始まるそのときまで、自分の席で本を読んでいた。それが最近、時間になるまでどこかに行っているみたいで。
放課後は放課後で、私が梨花たちと一緒にいるうちに、いつの間にかいなくなってしまってる。
だから、話なんておろか挨拶をするタイミングさえも、なかなかなくて。今日こそはと思って、自分からタイミングを作るつもりで早く来たのに、結局こうなってしまっている。
少し傾いた前原くんの席にそっと手をかけて、さり気なく位置を直した時だった。
「実優ー、何してんの? 早くおいでよ」
「あっ、うん!」
先に行ってしまった梨花に呼ばれて、私は慌ててふたりに駆け寄った。
***
「ほんっとにごめん!」
両手を合わせてギュッと目をつむり、心から申し訳なさそうに梨花に謝られたのは、その日の放課後のこと。
「そんなに気にしなくてもいいよ」
校門を出てすぐの場所で、笑って私が言うと、「でも……」と、梨花が言葉を濁らせた。
本当は今日これから、梨花と駅前で遊ぼうって話になっていた。
それがついさっき、【今日時間空いたから、今から会えない?】って、彼氏さんからスマホに連絡が届いたみたい。
「実優が先約だから!」と、口では言ってくれたけど、梨花の表情は彼氏に会いたい気持ちが見え見えだった。
だから、「遊ぶのはまた朱里もいる時にしようよ」と、私から提案してあげたのだ。
「早く行かないと彼氏さん待ってるんじゃない?」
「うん、そうなんだけど……。 あー、明日朱里に怒られるだろうなぁ」
しゅんとする梨花。朱里がもし私との約束を取り消して、梨花が彼氏と会ったと知ったら、確かに怒り出すだろう。
「大丈夫だよ。朱里には内緒にしておいてあげるから」
「本当っ!?実優!愛してる!」
私が言うと、パァッと表情を輝かせ、梨花は抱きついてきた。
「実優に彼氏が出来たときは、あたしに遠慮しなくていいからね?っていうか、いつでも協力するから!」
「あ、ありがと……」
ギュッと手を握られて、苦笑いを浮かべつつも頷く。すると、
「それじゃあまた明日ね!」
さっきまでの浮かない表情が嘘みたいに、梨花はとても嬉しそうな笑顔を向けて、大きく手を振った。
私に“彼氏が出来たときは”か……。
そんな日がいつか来るのかな……って、手を振り返しながらぼんやりと考える。
思い出すのは、やっぱり前原くんのこと。
好きな人……前原くんに自分の気持ちはおろか、話しかけることすら出来ずにいる私が、そういう関係を作ることが出来るんだろうか。
梨花の姿が見えなくなって、梨花とは逆方向の道に向き直った私は、ゆっくりと足を進める。
急に予定がなくなって、時間がぽっかりと空いてしまった。
どうしよう。ひとりになってしまったけれど、駅前の方にでも寄り道してみようかな……なんて考えながら、顔を上げた瞬間だった。
「……え」
私の目に飛び込んできた人。その姿に、思わず足を止める。
学校を出て、すぐの場所にあるバス停。そこに立っていたのは、他の誰でもない前原くんだった。
前原くんって、バス通学だったっけ。それとも、これからどこか行くのだろうか……なんて、そんなこと今はどうでもいい。
それは、絶好のチャンスだった。
前原くんに声をかける、絶好のチャンス──。
今しかないと思って、足を前に進めようとした。なのに……。
──あ、あれ?
ピタッと地面にくっついたみたいに、動かない足。
自分で自分の足元を見てみれば、小刻みに震えていた。
また無視されちゃったらどうしよう。
そもそも、嫌われちゃったかもしれないのに声をかけて、前原くんは迷惑だと思わない……?
予想もしていなかった唐突な巡り合わせに、心の準備が出来ていなかったせいか、怖いと思った。
だけど、怖いけど……ここで声をかけなかったら、絶対にものすごく後悔する。
私は大きく息を吸い込むと、震える足を無理矢理前へと動かした。
どんどん縮まっていく距離に、前原くんは気付いていない。このまま目も合わなかったらと、少し不安に思った時。
誰かが近づいてきた気配に気付いた様子で、こっちに顔を向けた前原くん。その瞬間、私と目と目が合って……。
あの時と一緒だった。
玄関で無視されてしまった……あの時と。
近付いてくる私に気付きながら、目を逸らしたのは前原くん。怖れていた展開に、胸の奥を切り付けられた……そんな感覚にさえ陥った。
だけどそれでも、あのときと決定的に違ったのは、
「まっ、前原くんバイバイっ!」
どうせ嫌われているなら、もうどうにでもなってしまえ。私はバス停を通り過ぎる瞬間、しっかりと聞こえるように声をかけた。
前原くんがどんな顔をしたのか分からなかったのは、私が逃げたから。「バイバイ」って、言うだけ言って、走り去るみたいに通り過ぎた。
「っ、はっ……はっ……」
あんなに重かった足を嘘のように動かし、私がやっと立ち止まったのは、前原くんからは見えない曲がり角を曲がったところ。
息が上がって、強く脈打つ鼓動が苦しい。
目を逸らされたのに挨拶なんかして、きっとものすごく変な奴だと思われたと思う。それに、話をすることは叶わなかった。
あの時のことを説明することも、謝ることも、まだ出来ていない。せっかくのチャンスだったのに、何やってるんだろうと、そのまま力なくしゃがみ込む。
……でも、根本的には何も解決していないけど。前原くんに、声をかけることが出来た。
変なやつだと思われても、前原くんが私のことを嫌いになっていたとしても、私は前原くんのことを嫌いなんかじゃないって、せめてそれが伝わっていればいいなと思った。
そして次こそは、ちゃんと話がしたい。そう思った私に次のチャンスは、それから数日後に到来した──。
私の目に映るひとりの、眼鏡をかけた男子は、前原くん。
胸に手を当て、ドキドキと緊張する鼓動を落ち着かせて、声をかけようとした……瞬間だった。
「おはよ、実優」
「きゃっ!」
ポンッと肩を叩かれて、びっくりして悲鳴を上げた。
振り返ってみると、後ろに立っていたのはキョトンとした朱里。
「こんな早くに珍しいじゃん。何してんの?」
「あ……いや、別に……」
不思議そうに訊ねられて、口ごもる。
困った私が逃げるように「朱里は?」と聞き返すと、
「昨日、体育館にシューズ忘れて帰っちゃって」
これから取りに行こうと思ってさ……と、続けられた。
***
「あー……あったあった! ごめんね、付き合わせちゃって」
早朝の静かな体育館。日中は煮え返るくらい暑くなるのに、まだ涼しいと感じられる空間に、朱里の声が響く。
「ううん、特に用事とかなかったし」
口ではそう言いながら、心の奥ではちょっとガッカリしてる。だって、前原くんに『おはよう』って、言えなかった。
スニーカーを脱いで、上履きへと手を伸ばしていた前原くん。朱里に声をかけられて、私が視線を戻したときには、彼の姿はなくなっていた。
驚いて大きな声を上げちゃったから、私が見ていたことに気付かれちゃったかもしれない。
声をかけるつもりだったんだけど、どう思われたかなって、少し不安になる。
とりあえず、今日も挨拶すら出来なかったや……と、小さく肩を落とした時だった。
「……もしかしてさぁ、また前原に声かけようとしてた?」
「えっ」
他には誰もいない静かな空間に響いた、彼の名前と言葉。私が返事するよりも早く、朱里は少し呆れたように息を吐いて。
「放っときなって言ったよね。男子のいじめなんて、そのうち飽きたらすぐ終わるよ」
「だから……ね?」と、まるで子どもにでも言い聞かせるように、朱里は私の頭を撫でた。
「……」
どうしてそこまで分かっていて、気付かないんだろう。
どうして私が前原くんを“好き”だとは、思わないんだろう。
朱里はただ、前原くんがいじめられているから、私が気にしてあげているんだと思ってる。
ただの同情。それ以上の感情があるなんて、これっぽっちも思っていない。
一度ならず二度までも、そんな風に言われたら、まるでダメなことだと言われているみたい。
前原くんを好きになることが、いけないことだと言われているみたい……。
「そろそろ梨花も来るね、教室戻ろっか」
大きな壁掛け時計を見ながら言った朱里に、こくんと頷く。前原くんのことについては、わざと返事しなかった。
本当は、朱里たちに前原くんのことを相談したい。
好きになっちゃったんだけど、どうしたらいいかなって、普通の初恋みたいに素直に相談してみたい。
でも、ふたりの様子からして、とてもじゃないけど本当のことは言い出せない。
だってもう、ふたりが前原くんのことを悪く言うのは聞きたくないから。
「ふたりともおはよー……って、あれ?どっか行ってたの?」
教室前の廊下で、タイミング良く出くわした梨花。
玄関とは逆の対面から向かってきた私達を見て、小さく首を傾げた。
「あぁ、うん。体育館にシューズ忘れて帰っちゃってさ。ちょうど玄関で会ったから、取に行くの付いて来てもらってたの」
「そうなんだー。実優が早いとか珍しい」
「ね」
顔を見合わせ、クスッと小さく笑うふたりに、「私だってたまには早く来るよ」と、頬を膨らます。
でも、今日早起きしたのには、ちゃんと理由があって……。本当は前原くんに、挨拶がしたかった。
彼への想いに気付いたあの日。心配した梨花に送られ帰宅した私は、これからどうしたらいいのか、ずっと考えていた。
前原くんに嫌われてしまったかもしれない。でも、だからってこのままなんて、絶対に嫌で。
とにかくもう一度、話がしたいと思った。
前原くんと、話がしたい。その為にもまず、挨拶でもいいから声をかけよう、そう決意したのだけど……。
朱里たちと何でもない話をしながら、足を踏み入れた教室。ふたりの目を盗むように、密かに私が目を向けたのは、入ってすぐの前原くんの席だった。
いつもそこで静かに読書をしていた姿は、ない。
教室の中を見渡してみても、彼はいない。
さっき玄関で見たから、学校には来ているはずなんだけど。一体どこに行っちゃったんだろう……。
挨拶をしようと思っていても、最近いつもこう。
どちらかと言えば遅刻がちな私とは違って、朝早い前原くん。
少し前までは、ホームルームが始まるそのときまで、自分の席で本を読んでいた。それが最近、時間になるまでどこかに行っているみたいで。
放課後は放課後で、私が梨花たちと一緒にいるうちに、いつの間にかいなくなってしまってる。
だから、話なんておろか挨拶をするタイミングさえも、なかなかなくて。今日こそはと思って、自分からタイミングを作るつもりで早く来たのに、結局こうなってしまっている。
少し傾いた前原くんの席にそっと手をかけて、さり気なく位置を直した時だった。
「実優ー、何してんの? 早くおいでよ」
「あっ、うん!」
先に行ってしまった梨花に呼ばれて、私は慌ててふたりに駆け寄った。
***
「ほんっとにごめん!」
両手を合わせてギュッと目をつむり、心から申し訳なさそうに梨花に謝られたのは、その日の放課後のこと。
「そんなに気にしなくてもいいよ」
校門を出てすぐの場所で、笑って私が言うと、「でも……」と、梨花が言葉を濁らせた。
本当は今日これから、梨花と駅前で遊ぼうって話になっていた。
それがついさっき、【今日時間空いたから、今から会えない?】って、彼氏さんからスマホに連絡が届いたみたい。
「実優が先約だから!」と、口では言ってくれたけど、梨花の表情は彼氏に会いたい気持ちが見え見えだった。
だから、「遊ぶのはまた朱里もいる時にしようよ」と、私から提案してあげたのだ。
「早く行かないと彼氏さん待ってるんじゃない?」
「うん、そうなんだけど……。 あー、明日朱里に怒られるだろうなぁ」
しゅんとする梨花。朱里がもし私との約束を取り消して、梨花が彼氏と会ったと知ったら、確かに怒り出すだろう。
「大丈夫だよ。朱里には内緒にしておいてあげるから」
「本当っ!?実優!愛してる!」
私が言うと、パァッと表情を輝かせ、梨花は抱きついてきた。
「実優に彼氏が出来たときは、あたしに遠慮しなくていいからね?っていうか、いつでも協力するから!」
「あ、ありがと……」
ギュッと手を握られて、苦笑いを浮かべつつも頷く。すると、
「それじゃあまた明日ね!」
さっきまでの浮かない表情が嘘みたいに、梨花はとても嬉しそうな笑顔を向けて、大きく手を振った。
私に“彼氏が出来たときは”か……。
そんな日がいつか来るのかな……って、手を振り返しながらぼんやりと考える。
思い出すのは、やっぱり前原くんのこと。
好きな人……前原くんに自分の気持ちはおろか、話しかけることすら出来ずにいる私が、そういう関係を作ることが出来るんだろうか。
梨花の姿が見えなくなって、梨花とは逆方向の道に向き直った私は、ゆっくりと足を進める。
急に予定がなくなって、時間がぽっかりと空いてしまった。
どうしよう。ひとりになってしまったけれど、駅前の方にでも寄り道してみようかな……なんて考えながら、顔を上げた瞬間だった。
「……え」
私の目に飛び込んできた人。その姿に、思わず足を止める。
学校を出て、すぐの場所にあるバス停。そこに立っていたのは、他の誰でもない前原くんだった。
前原くんって、バス通学だったっけ。それとも、これからどこか行くのだろうか……なんて、そんなこと今はどうでもいい。
それは、絶好のチャンスだった。
前原くんに声をかける、絶好のチャンス──。
今しかないと思って、足を前に進めようとした。なのに……。
──あ、あれ?
ピタッと地面にくっついたみたいに、動かない足。
自分で自分の足元を見てみれば、小刻みに震えていた。
また無視されちゃったらどうしよう。
そもそも、嫌われちゃったかもしれないのに声をかけて、前原くんは迷惑だと思わない……?
予想もしていなかった唐突な巡り合わせに、心の準備が出来ていなかったせいか、怖いと思った。
だけど、怖いけど……ここで声をかけなかったら、絶対にものすごく後悔する。
私は大きく息を吸い込むと、震える足を無理矢理前へと動かした。
どんどん縮まっていく距離に、前原くんは気付いていない。このまま目も合わなかったらと、少し不安に思った時。
誰かが近づいてきた気配に気付いた様子で、こっちに顔を向けた前原くん。その瞬間、私と目と目が合って……。
あの時と一緒だった。
玄関で無視されてしまった……あの時と。
近付いてくる私に気付きながら、目を逸らしたのは前原くん。怖れていた展開に、胸の奥を切り付けられた……そんな感覚にさえ陥った。
だけどそれでも、あのときと決定的に違ったのは、
「まっ、前原くんバイバイっ!」
どうせ嫌われているなら、もうどうにでもなってしまえ。私はバス停を通り過ぎる瞬間、しっかりと聞こえるように声をかけた。
前原くんがどんな顔をしたのか分からなかったのは、私が逃げたから。「バイバイ」って、言うだけ言って、走り去るみたいに通り過ぎた。
「っ、はっ……はっ……」
あんなに重かった足を嘘のように動かし、私がやっと立ち止まったのは、前原くんからは見えない曲がり角を曲がったところ。
息が上がって、強く脈打つ鼓動が苦しい。
目を逸らされたのに挨拶なんかして、きっとものすごく変な奴だと思われたと思う。それに、話をすることは叶わなかった。
あの時のことを説明することも、謝ることも、まだ出来ていない。せっかくのチャンスだったのに、何やってるんだろうと、そのまま力なくしゃがみ込む。
……でも、根本的には何も解決していないけど。前原くんに、声をかけることが出来た。
変なやつだと思われても、前原くんが私のことを嫌いになっていたとしても、私は前原くんのことを嫌いなんかじゃないって、せめてそれが伝わっていればいいなと思った。
そして次こそは、ちゃんと話がしたい。そう思った私に次のチャンスは、それから数日後に到来した──。
