小学生までは普通に友達もいて、みんなで野球したりゲームしたり、クラスの輪に入れないなんてことはなかった。
だけど中学生になって、授業が基礎から応用へと変わり始めたころ、自分が他の人よりも少しだけ、勉強が出来ることに気付いて。
少し復習をして臨んだテストが、学年1位。それを両親に話すと、すごいじゃないかと喜んでくれた。その時から勉強をするのが楽しくなって、塾にも通い始めて、父さんや母さんの期待に応えたいと思うようになった。でも……。
「つばさー!今日みんなでサッカーやるんだけど」
「ごめん、今日は……」
「は?お前また塾かよ。つまんねーやつだな」
遊びの誘いを断ってしまわなくてはならなくなり、いつしか友達と呼べるような関係の人はいなくなっていた。
それを寂しくなかったと言えば、ウソになる。だけど、孤立するのを感じながらも、これでいいんだとも思っていた。
自分はみんなと進む道が違うから。遊んでいる暇なんかないんだ……って。
そうして遊びの時間や友達を捨てて、挑んだ高校受験。
結果はまさかの……不合格だった。
「仕方ないわよ、翼はよく頑張ったわ」
落ち込む自分に母さんは笑顔で励ましてくれたけど、
「……だめだったの」
夜遅く帰宅した父さんに報告しながら、ため息をついていた。そして、それと同じころ。
卒業文集に載せる個人に宛てたクラスメートからのメッセージを、学校で書いていた時のことだった。
「何て書いたらいいかわかんないんだけど」
自分の名前が入った用紙を手にした女子が、そう声を上げた。「どうして?」と、首を傾げ声をかける先生。すると、
「だって前原くんって、勉強ばっかりしてて冷たいんだもん!」
ムスッとした顔をして、言われた言葉。
少し前ならそれほど気にとめなかったかもしれない。だけど、ちょうど受験に失敗したタイミングということもあり、その言葉はグサリと心の奥に突き刺さった。
自分はこれでいいんだ、間違っていないんだと思っていたけど、本当にそうだったんだろうか。
友達を失って、受験にも失敗して、挙句の果てには冷たいとまで言われて、何をやっているんだろう。
だけど、どんなに後悔しても今さら元の輪に戻ることも、生き方を変えることも出来なくて……そのまま中学校を卒業。
そして、合格していた公立の高校へと進学した。
そこで……君に出逢った。
「母さんごめん。大学受験は失敗しないかは」
入学式の朝。玄関で母さんにそう告げると、少し動揺した顔をされた。
「なに言ってるの。翼の好きなようにしていいんだから……。あ、はいこれ」
せっかく決意を口にしたというのに、話を逸らすみたいに渡されたのは、もうすでに温まった使い捨てカイロ。
「お父さんは仕事で無理だけど、入学式にはお母さんが行くからね」
ニコッと向けられた笑顔。
……本当はがっかりしてるくせに。
心の中でそう呟きながら「うん」と頷き、家を出た。
ごまかせられればごまかせられるほど、自分が惨めで可哀想になる。
「別に寒くなんかないのに……」
4月になったばかりの風は確かに冷たいけど、心の冷たい人間にはちょうど良いくらいだ。そんな皮肉じみたことを思いながら、ポケットにカイロを追いやった。
そのまま特に何かを考えるわけでもなく歩いていると、校門が見えてきたころに、ふと目についた人がいた。
これから3年間通う同じ高校の制服を着た、女の子。
見たことのない後ろ姿だったけど、たぶん同じ新入生じゃないかと思ったのは、制服も鞄も全て新品に見えたから。
でも、それだけなら特に意識はしなかった。
新入生らしき人の姿は他にも沢山あったわけで。
その中で彼女に目がいったのは……隣に赤いランドセルを背負った小学生の姿もあったから。
小学生の子の方はまだ低学年っぽくて、姉妹なのかなとか勝手に考えた。何にせよ、仲良く手を繋いで歩いている姿はあたたかくて、いいなぁと思った。
そして校門の前。足を止め繋いでいた手を離すと、小学生の女の子は寂しそうで不安そうで、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
どうするんだろう……と、見ていると、彼女は自分が巻いていたマフラーを外して、巻いてあげたんだ。
「頑張れ、大丈夫。気をつけていくんだよ」
優しい声が聞こえ、優しい笑顔が見えた。
自分にはない……あたたかさ。
フワッと桜の花びらが混じる風が吹いて、瞬発的に心を奪われた。
だけど、それだけじゃなかった。
この気持ちを決定的なものにしたのは、この直後。
あ……さっきの。
あらかじめ振り分けられていたクラスに向かうと、入ろうとしていた教室の前にさっきの女子がいた。
同じクラスだったんだと、少し嬉しく思いながら、彼女の後を追う。すると、どういうわけかその女の子は教室に入ったところで、ピタリと足を止めた。
どうしたんだろう……。
追い越すことも出来ず、かと言っていきなり話しかけることも出来ず、気付かれないように見ると、彼女の体は微かに震えていた。
あぁ……。
小学生にマフラーを貸してあげたから。それで寒くて震えてるんだ。
「ふっ……」
思わず小さな笑い声が漏れたのは、本当に優しい人なんだなぁと思ったから。自分も震えるほど寒がりなのに、マフラーを貸してあげるとか。
……あ。
気付くと何かしてあげられることはないかと、考えていた。そこでふと思い出したのは、今朝母さんが渡してくれた使い捨てカイロ。
ポケットの中に手を伸ばすと、放っていたそれは結構熱くなっていた。熱を少し逃すように振りながら近付いて、
「大丈夫?」
後ろから声をかけた。そして、
「はい」
振り向いた彼女に持っていたカイロを手渡した。
別に見返りとか下心があったわけじゃない。だけど、
「え……」
突然声をかけられ、カイロを手渡された彼女は当然のごとく驚いた顔をして、戸惑った声を上げた。その瞬間、ハッと我に返る。
自分自身の行動にびっくりして、それから急に恥ずかしくなって。
「っ、ずっと震えてたから」
言い訳でもするみたいにひと言そう告げると、逃げるように自分の席へと急いだ。
話したこともないのに、何してんだろ。知らない人にカイロなんかもらったって、気持ち悪いだけなのに……。
出来るなら時を戻してしまいたい。
そんなことを考えるほど後悔しながら、席に着いた。
でも、自分に時を戻す力がなくて本当に良かったと思う。なぜなら……。
やっぱり嫌われてしまっただろうかと確認するように、振り返ってみた。すると、自分の目に飛び込んできたのは、柔らかく微笑んだ、彼女の表情だった。
自分の手渡したカイロをぎゅっと握りしめて、彼女は、望月さんは微笑んでくれていた──。
その姿を見たとき、ぎゅうっと胸が押しつぶされそうになった。
冷たいと言われた自分。どんなに頑張っても、もう優しくなんかなれない気がしていた。
だけど、マフラーを巻かれた小学生と、カイロを渡した望月さんの笑顔が重なって見えて。
こんな自分のしたことでも、喜んでくれるんだと思うと嬉しかった。
本当に嬉しかったんだ……すごく。
何だかとても救われた気がしたんだ……。
そんな出来ごとをきっかけに、恋するのは簡単だった。
だけど、仲良くなるどころか、ろくに話も出来ず一年が過ぎ、2年生では別々のクラス。
3年では運良くまた同じクラスになれたけど、なかなか話す機会もないまま3ヶ月が経とうとしていた。──だから。
『前原、お前代わりにやっといて』
あの日、田澤くんに日直の仕事を任されたとき、戸惑いながらも嬉しかったんだ。
望月さんとふたりで話す機会が出来て、嬉しかった。そしてあの時、
『前原、悪りぃ』
田澤くんが引き返して来た、あの時──。
***
「レントゲンもCTの結果も異常はないので、特に心配するようなことはないでしょう」
病院の診察室。目の前に貼り出された何枚もの自分の脳の写真を見ながら「はい」と、頷いた。
教室でクラスメートに絡まれて、突き飛ばされた拍子に机の角に頭をぶつけた。
激痛が走り、出血しているのに気付いたときは、さすがにどうしようかと思ったけど、切り傷くらいで済んだことにホッとする。
「ありがとうございます」
騒ぎを聞いて駆けつけ、病院まで付き添ってくれた担任の先生。
先生もまた安心した様子で、診察してくれた医師にお礼を言うと、処方された薬とこれからの注意点を聞いて、一緒に診察室を後にした。
「前原くん、ごめんね……」
先生は何も悪くないのだけど、何だかとても責任を感じているようで、こっちの胸が痛む。
「お母さんにはさっき連絡させてもらったんだけど……」
言いにくそうに口を開いた先生。
「本当なら今日はこのまま帰ってもらうところなんだけど、前原くん今日で学校最後でしょ? その……もしよかったら、話をちゃんと聞かせてもらいたいの」
「もちろん前原くんさえ良ければの話ね」と、心配した表情で続けてくれた先生に、
「大丈夫です」
一瞬の迷いもなくそう返事したのは、自分もこのまま帰るわけにはいかなかったから。
授業中を含め今日の騒ぎのこと。それからそれは今日だけのことではなかったのか……つまり、前々からいじめられていたのかということを、学校へと戻る車中で聞かれ、先生に話した。そして……。
「教室で話をしてこようと思うから、前原くんは保健室で待機しててくれる?」
学校に戻って来ると、ちょうど6限目が終わる前の時刻で、先生によってガラリと開けられた保健室のドア。すると、
「あ、お帰りなさい」
待っていたのは白衣を羽織った保健室の先生と、望月さんだった。
「今望月さんが教室に戻ると混乱しちゃうかなって思って、保健室で待機してもらっていたの」
どうしてと聞く前に、説明してくれた先生。
「落ち着いたらまた呼びに来るから。じゃあ、お願いします」
「はーい」
友達みたいな雰囲気の保健室の先生にそう告げて、担任の先生はすぐに出て行った。
「とりあえず前原くん、座りなよ」
「あっ、はい」
望月さんの座る目の前。その場所にあった椅子を先生に引かれ、言われるがまま着席する。
「ケガの方は? 大丈夫?」
「はい。検査の結果、異常もなかったんで」
保健室の先生との会話の途中。
「良かった……」
今にも泣き出しそうなか細い声で、安堵の言葉を漏らしたのは、望月さん。
キョトンとした保健室の先生に、
「あっ……」
望月さんは恥ずかしそうにうつむいて、口をつぐんだ。
その姿に先生は、何か気付いたようにフッと笑顔を浮かべる。そして、
「あー……先生職員室に行かなきゃならないんだった」
かなりわざとらしい発言。でも、
「ちょっと行ってくるから、何かあったらここの電話で呼び出してくれる?」
少しお節介じみた気遣いは、正直すごく有難かった。なぜなら、自分が学校に戻ってきたのは望月さんと話をするためだったから。
「望月さ……」
「ごめんなさいっ!」
先生が出て行き、ふたりきりになった保健室。声をかけようとしたその瞬間、望月さんは立ち上がって頭を下げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
謝る声も、スカートの前で重ねられた手も震えている。
「どうして望月さんが謝んの」
「だって……」
ポタッと床に落ちた涙。
「どうして」なんて聞きながら、本当は涙の理由を知っている。
「……助けられなくてごめんとかって、思ってる?」
確かめるみたいにそう尋ねると、望月さんは一度顔を上げて。
「うっ……」
こくんと大きく頷いた。
「前原くんと仲良くしてたくせに、私、ずっと……」
勢いを増す涙に遮られ、最後まで続かない言葉。
「望月さん……」
……本当は知っていた。望月さんがずっと罪悪感に苛まれていること、本当はずっと前から気付いていた。
だからこそ教室では話さないようにしようと言ったり、自ら距離を置くようなことをしていたのだけど、それがまた望月さんを追い込んでいたのかもしれない。
そう思うと、今泣いている望月さんの姿を見ると、やりきれない気持ちでいっぱいになる。でも……。
「望月さんは何も悪くないよ。もともと……いじめられるきっかけを作ったのは自分なんだ」
「え……」
唐突とも言える発言に、望月さんは戸惑った表情を浮かべる。だけど、このことを伝えに戻ってきたと言っても過言ではなかった。
望月さんが責任を感じていること。やめてと叫んでくれたとき、それを痛いくらい感じたから、ちゃんと話しておこうと思ったんだ。
「望月さんは日直の仕事代わってくれって、僕が田澤くんに言われてたの覚えてる?」
「え、うん……」
「実はあの後さ、田澤くん戻ってきたんだ」
「えっ?」
思い返せば全部、あの時からはじまった。
あの時……あの放課後。
『前原、お前代わりにやっといて』
押しつけるようにそう言って、部活へと向かった田澤くん。でも実は、あの後すぐに戻ってきたんだ。
望月さんはちょうど掃除で使ったバケツの水を捨てに行っていて、教室にはいなかった。だから、知るはずもないけど、
『前原、悪りぃ。やっぱり俺がやるよ』
戻ってきた田澤くんはそう言って、ちゃんと日直の仕事をやろうとしたんだ。
元はと言えば、日直は田澤くんだったわけで、「わかった」とひと言返事すれば、それで済む話だった。だけど、相手が望月さんだったから──。
『何で? さっき急ぐからって言ってたじゃん』
わざと。わざと立てつくような言葉を選んだ。プライドの高い田澤くんのことだ。そうすれば、今さら何も言えなくなると思ったから。
そして、何となく……田澤くんも望月さんのことを気になっているような気がして、試す意味もあった。
『何でって……』
案の定、何も言えなくなった田澤くん。舌打ちをして、あからさまに苛立った顔を向けると、そのまま踵を返した。
田澤くんはクラスのリーダー的存在。こんなことをすればいじめられる可能性だってあること、最初からわかっていた。
わかっていて……わざとやったんだ。それくらい、望月さんと話すチャンスを逃したくなかった。それに……。
「このときにはもう転校が決まってて。……別にいじめられてもいいと思ったんだ」
どうせ友達なんていないし、限られた時間。
少しの間耐えればいいだけの話だと思った。
「だから言ってしまえば、自分のせいなんだ。助けられなかったとか、望月さんが気にすることじゃないよ」
「でも……」
一連の話を黙って聞いていた望月さんは戸惑った様子で。そっと自分の手に触れてきた。そして、
「でも、もしそうだったとしても、だからって見て見ぬフリしていいわけじゃないと思う……」
涙を浮かべて言ったその表情に、言葉に、ドキッとする。
何でだろう……。まるで心の中を見透かされてるみたいだ。
「ずるいな、望月さんは……」
せっかくカッコつけて強がろうとしてるのに、弱くさせる。持ち前の優しさで心を裸にさせる。
「前原くん……?」
堪えきれなくなりそうで思わずうつむくと、本人は何もわかってない様子で、どうしたのとばかりに名前を呼んだ。そんなところも含めて、本当にずるいよ。
「正直言うとさ……」
望月さんを悪く思ったりしてないし、いじめられたっていいと思ったのも事実。だけど、
「望月さんがやめてって叫んでくれたとき、すごく嬉しかったんだ」
助けて欲しいなんて思っていたつもりはないのに、すごくすごく嬉しかったんだ。
自分でも気付いていなかったけど、本音はずっとそうしてほしかったのかもしれない。
みんなの前で自分のことを認めてほしいと、思っていたのかもしれない。
「前に山本さん達に言うって言ってくれたときも、本当は嬉しかったんだ……」
無理しなくていいとか言いながら、本当は少し期待してしまっていた。堂々と望月さんの隣に居れるのを想像してしまったりもした。
「うん……うん、ごめんね。本当にごめんねっ……」
自分の手を握ったまま、泣きじゃくる望月さん。
違う。違うんだ。そうじゃなくて……。
責めたいんじゃなくて──。
「きゃっ……」
小さな悲鳴を望月さんが上げる。それは、握られた手を引き寄せて抱きしめたから。
何度こうしても、小さいなぁと思う。
そして……あたたかい。
「望月さんのこと、責めてるわけじゃないんだ」
責めるつもりで“嬉しかった”と、伝えているわけじゃなくて……。
「すごく感謝してる」
はじめは少し話せるだけで良かった。女の子が好きになる男の子なんか、だいたいスポーツ万能なクラスの中心にいるような奴で。
田澤くんが望月さんのことを好きだと知ったとき、勝ち目なんかないと思った。
だから……せめて思い出として、一緒に過ごした時間が欲しかった、それだけ。本当にはじめは、あの日直の時間だけで充分だったんだ。……それなのに。
望月さんが、田澤くんのことを好きなわけじゃないとか言うから。いじめられていても、話しかけてくれるから。少し勉強が出来るだけの自分をすごいと褒めてくれて、頼ってくれるから。心配して走って来てくれて、自分のために泣いてくれるから。
告白に頷いて、笑顔を向けてくれたから──。
嬉しいことは日を追うごとに重なって。望月さんに近付けば近付くほど、どんどん欲張りになっていった。
自分は冷たい人間だから、ひとりで良いと思っていたのに、いつしかひとりじゃ嫌になって。キミに隣にいてほしいと思うようになっていた。
人のあたたかさを教えてくれたのは、望月さん。
「嬉しい気持ちを沢山くれた望月さんには、本当に感謝してるんだ」
「だからもう泣かないで」と、言葉を続けるけど、
「うっ……」
顔を見た望月さんの目からは、涙がいっそう溢れ出す。
それを見て、自分の頬にも涙が一滴つたい落ちた。
こんな弱い人間で申し訳なく思う。
みんなの前で声を上げてくれたとき、どれほどの勇気が必要だったんだろうと考えると、胸の奥が苦しくなる。
だけど、今伝えたい言葉はひとつだけ。それは、
「ありがとう……」
ごめんよりも、感謝の気持ち。だって、
「望月さんは気付いてないと思うけど、何度も助けてもらったんだよ」
はじまりはあの入学式の日。あの日から、数え切れないほど望月さんの優しさに助けられた。
いじめだって、何だかんだ言って我慢出来ていたのは、望月さんの存在があったから。望月さんがいてくれたから、ひとりじゃなかったから、今日まで黙って学校に来れていた。それに……。
「将来の夢も、望月さんのおかげで見つかったんだ」
「夢……?」
「うん、教師になれたらいいなって」
今まで上の学校を目指していたのは、両親のためとか、見栄だった。
自分の将来なんて考えたこともなかった。そんな自分に夢を与えてくれたのは、望月さん。
「望月さんが教え方上手いって、教師に向いてるって言ってくれたから」
いじめられているような人付き合いの苦手な人間が、教師になりたいなんて自分でもどうかしてると思う。
でも、こんな自分だからこそ、伝えられることもあるような気がした。それを気付かせてくれたのは、他でもない望月さんだ。
そんなのお世辞だったのにと、びっくりされていたらどうしようか。そんな不安を抱きながら見ると、
「うんっ!なれるよ! 前原くんなら絶対、素敵な先生になれるよ!」
涙ぐんだ瞳を輝かせて。 保健室に響き渡るくらいの力強い声で。望月さんは大きく頷いてくれた。
「その顔……」
「えっ?」
一度はキョトンとしたけど、すぐにフッと笑う。
「望月さんのそういうところ、好きだよ」
「え……えっ!?」
思ったことを素直に口にすると、望月さんは真っ赤に顔を染めた。でもすぐに、
「どうしてあたしなの……?」
涙を堪えるようにぎゅっと下唇を噛んで、そう聞いてきた。
「……ちゃんと話聞いてた?」
「聞いてたよ! 聞いてたけど……でもっ……」
望月さんは、“納得できない”と言わんばかりの表情をする。
「意外と望月さんって強情なんだね」
「っ!」
からかうみたいに苦笑して言うと、少し拗ねた様子で顔を逸らされた。
でも……そうかもしれない。同じ時間を過ごしたぶんだけ、罪悪感や後悔が積もってしまったわけで。
数十分話したくらいでそれらの感情が消えるのなら、世界中の悲劇や争いはきっと起こらない。
何て言えば少しは納得してくれるかな……。顔を逸らしたままの望月さんを見つめながら、考えて。
思ったことは、見つけた答えは──。
「優しいか、優しくないかってさ……相手が決めることじゃない?」
ふたりきりの保健室。小さく問いかけた言葉に、望月さんは顔を向ける。
「相手が決めること……?」
「そう、接した相手が決めること。だってさ、自分で自分のこと優しいとか言う人って、だいたいろくでもないじゃん」
自分の言葉に望月さんは目をパチパチさせ、その次の瞬間、
「そうかも……」
言いながらふっと、苦笑にも似た笑顔を見せてくれた。
「やっと笑ってくれた」
それだけで満たされる心。だけど言った言葉は、笑わせるための嘘なんかじゃない。
「望月さんは優しいよ」
世界中の誰よりも。
自分にとって優しい人は、望月さん。
この学校に入学した日。クラス名簿を見て、“実優”って名前だと知ったとき、望月さんにピッタリだって思ったんだ。
そのときの気持ちは今も変わらない。
「そんなこと言ってくれるの、前原くんだけだよ……」
望月さんは涙を浮かべながら、やっと……はにかんだ笑顔を見せてくれた。それを見て、安心する。
自分が最後に見たかったのは、罪悪感でいっぱいの泣き顔じゃなく、笑顔だったから。望月さんにはずっと笑顔でいてほしかったから。
──でも、自分はひとつ大切なことを忘れていたのかもしれない。それは……。
それから少しして、担任の先生が呼びに来た。
教室での話を軽く説明してもらい、望月さんは保健室に残ったまま、自分だけが先生と教室へ戻ることになった。
──こんなの、別に望んでなんかいないけど。
そう思いながらも教壇に立たされ、クラスメートからの謝罪の言葉を受ける。
でも、それは本当にカタチだけ。先生に言われたから謝っているだけで、後悔する気持ちなんか彼らにないのは、目を見ればすぐにわかった。
だけど、そんなことを今さら追及しようとも思わない。なぜなら自分は明日にはこの学校はおろか、この町からもいなくなるんだから。
今さら打ち解けようなんて、とてもじゃないけど思わない。ただ……。
『じゃあ、ふたりとも教室に……』
保健室で先生がそう口を開いた瞬間。望月さんの表情は、灯りを消したように暗くなった。
それを察したのか先生は、望月さんをひとり保健室に残したわけなんだけど……。
そう……そうなんだ。望月さんはこれからも、この場所で過ごしていかなきゃならないんだ……。
事の発端である田澤くんにゆっくり視線を向けると、何か気まずいような顔をして逸らされた。
そして、まるで自分を睨むかのように見る、田澤くんと仲の良い女子の姿。望月さんの友達ふたりはと言うと、うつむいたまま顔を上げようとはしない。
クラスをこんなにしたのは、望月さんの周りをこんなにしたのは……自分。
だからこそ、不安にならずにはいられなかった。
何も変わらないこの教室で、自分がいなくなった後も、望月さんは過ごしていかなきゃならない。自分を庇って声を上げ、先生に全てを話してくれた望月さん。
結果としてその行動は、いじめの実態を先生に知らしめてしまったわけで。
残された望月さんがどうなるか……。
想像したとき浮かんだ風景。それは今まで自分が見てきた、ひとりぼっちの風景だった。
そんなの……絶対嫌だ。
クラスメートの謝罪。それから、どうしていじめがいけないのかっていう、どこかで聞いたような先生の話を聞きながら、ぎゅうっと握りこぶしをつくった。
