キミが『好き』だと言えなくて。

「望月さん、ちょっと来てくれる?」

帰りのホームルームが終わって、やっと帰れるとホッとした私に、声をかけて来たのは担任の先生だった。

「あ、はい……」

言われるがまま席を立ち、先生の後を追って教室を出る。

何だろう……。もしかして、クラス内で噂になっていることが、先生の耳にも入っちゃったんじゃないか。

そんなことを考えて、少しドキドキしていた。……でも。


「いきなりごめんね」

職員室に入った先生は、自分の席の椅子に腰かけ、口を開いた。

「望月さん、前原くんと一緒に朝、図書室で勉強してるんだって?」

「えっ?」

「上野先生から聞いたの」

上野先生は現代文の先生で、図書委員の担当。前原くんとの勉強は誰にも言ってなかったはずなのにと、一瞬ドキッとしたけど、毎朝鍵を貸してくれるのは上野先生で、すぐに経緯を納得した。

「それでね……」

先生は一旦私から目を離し、手にしていたプリントの束をペラペラとめくる。それはさっきのホームルームで集めた、進路希望調査用紙。

……と、いうことは。

体の前で重ねていた手を、ぎゅっと握る。

たぶんこれから怒られるんだ……。だって、前原くんの志望校はとんでもなく偏差値の高いところ。

合格出来たらかなりすごいことだし、先生が応援しないわけがなくて、『邪魔しないであげて』って、言われるんだと思った。

そしてそれは、私自身も少し心配していたことで、反論出来ないっていうか、怒られちゃっても仕方ないと思った。ところが、先生が私の前に差し出したのは、前原くんの進路希望調査表ではなく、自分のもの。

最も、他人の進路希望を軽々しく見せることはしないと思うけど……でも。

「望月さんの進路は、本当にこれでいいの?」

「え……」

先生の問いかけは予想もしなかったもので、私は思わず目を丸くした。

「いや、だって勉強してるんでしょう? てっきり少し上を目指すんだと思ってたんだけど……」

そう言って先生が目を向けたプリントには、それほど努力しなくても入れるだろう短大の名前。

卒業後、特にやりたいことが見つかってない私は、とりあえずといった感じで梨花と同じ短大を希望していた。

「望月さんは英語がなぁ……って、先生も思ってたんだけど、今日の休み明けテスト、よく出来てた。このまま頑張れば、もう少し上も目指せると思うの」

ペラッと小さな音を立てて、先生はプリントを再度私の前に差し出した。

「もう一回、考えてみてくれる?」


***


「……」

返却されたばかりのプリント。それを見ながら教室へと戻るため、私は廊下を歩いていた。

まさか自分の進路のことを言われるとは、思ってもみなかった。しかも、もう少し上を目指したら、なんて。

すごいな……前原くんは。

正直言うと、今日の休み明けテストでは、私自身も手応えを感じていた。田澤くんのことや渡辺さんのことで、100%集中することは出来なかったけど……それでも、以前とは比にならないくらい、スラスラと問題が解けた。

それは、間違いなく前原くんのおかげ。夏休み前から今日まで、前原くんが教えてくれたから……。

学校が始まって今日1日。あまり良いことがなく、むしろ悪いことばかりで、すっかり落ち込んでいたけど、最後の最後で良いことが起きた。

先生に褒められたこと、もう少し上を目指そうと言われたこと、早く前原くんに伝えたい。

早く“ありがとう”が言いたくて、私は足を急がせた。なのに──。


「だから! 変な言いがかりはやめてってば!」

私が教室に戻ると、怒った様子で張り上げた声が響いた。

「言いがかりじゃない! さっき先生が話してたの、ちゃんとこの耳で聞いたんだから!」

部活に行ったり、もう既に帰ったりで、人数の減った教室。その中心で言い合いをしていたのは梨花と、クラスメートの女子。

梨花の隣には朱里もいて、クラスメートの女子の隣には、渡辺さんの姿もあった。それだけで、嫌な予感は充分した。

「あ……」

私の姿に気付くなり、梨花が小さく声を上げて、予感は確信へと変わりかける。

「……どうしたの?」

今さら逃げるわけにもいかなくて、私は震えそうになる声を絞り出した。すると、

「ごめん、実優……」

申し訳なさそうに謝ってきた梨花。そして、

「前原と実優が付き合ってるんじゃないかとか、変なこと言ってくるから……」

渡辺さん達を睨み付けるようにして、そう続けた。

「えっ……」

ドキッと鼓動が跳ねる。何で……って思ったときには、クラスメートが既に口を開いていた。

「さっき先生と話してるの聞いたよ。あいつと毎朝勉強してるんでしょ?」

私に向けられた冷たい目。

「勉強とか言って、ホントは違うことしてたりして」

「やだ、あの前原と?」

渡辺さんの周りで、クスクスと馬鹿にするような笑い声が起こる。

「だからいい加減なこと言うのやめなって」

「そうよ!」

私を庇って、声を荒げる朱里と梨花。

どうしてこんなことに……。
戸惑うばかりで立ち尽くす私に、

「じゃあ、どうしてあいつと勉強なんかしてたの?」

質問を投げかけてきたのは渡辺さん。

「望月さん、本当は前原と付き合ってるんじゃないの……?」

そう問いかける口元は笑っていた。

渡辺さんが好きなのは田澤くんで、私が前原くんと付き合っていようがいまいが、関係ないはず。むしろ、単純に考えれば付き合っている方が、都合がいいはずだ。
でも……そんなのもう関係ないんだって、渡辺さんの表情を見て分かった。

“田澤くんに告白された”

それだけでもう、私は彼女に嫌われてしまっていて。
ただ単に私を困らせ、傷付けたいだけなんだ……。

「黙ってないで何とか言ったら?」

両腕を組んで威圧的な渡辺さんの声が、教室に響く。

「前原と付き合ってるわけないじゃん! ね、実優」

そう言って、私の腕をぎゅっと抱きしめたのは梨花。
疑うことなく私を真っすぐ見る、ふたりの眼差しが突き刺さる。

……言わなくちゃ、本当のこと。
朝、前原くんと勉強していることも、付き合っていることも、渡辺さん達が言っていることは……全部真実なんだって。

「わ、私は……」

腕を抱きしめる梨花の手に、空いた片方の手でそっと触れ、私は本当のことを言おうとした。……でも。

真実を言ったら、ふたりはどんなを顔するだろう。
だって目の前のふたりは、私が前原くんと付き合っているだなんて、きっと少しも思っていない。
だからこうして、渡辺さん達に言い返してくれているわけで……。

もし、私が本当に前原くんと付き合ってるって言ったら……?

間違いなく、今のふたりの立場はなくなる。
そしたら、ふたりは私のことをどう思うんだろう。

本当のことを言ったら、ふたりは……。

「実優?」

一度口を開きながら、なかなか続きを言おうとしない私に、朱里が声をかける。

……私ね、前原くんのことが好きなんだ。

ずっとずっと言えなかったけど、今日こそ朱里と梨花にはちゃんと言おうって決めた。親友のふたりには言おうと思った。だけど……。

思い出したのは今日1日、渡辺さんの友達を中心に無視されたこと。

……怖かった。まるでいじめられているようで、ちょっとしたことがすごく怖かった。

それでも、何とか笑顔で過ごせたのは、朱里と梨花がいたから。ふたりがそばにいてくれて、味方してくれたから、大丈夫だった。

今も、こうして庇ってくれて、すごくすごく嬉しい。

私はふたりを失いたくない。
ひとりぼっちにはなりたくない。
いじめられたくない。

私は──。

「……うん、付き合ってない。前原くんと付き合ったりしてないよ」

自分で最低だと思った。言いながら胸の奥が鋭くズキンと痛んだ。それなのに、

「ほら、やっぱり!」

顔をパッと明るくして、勝ち誇ったように渡辺さん達を見る梨花。朱里もまた同じで、そんなふたりの様子に心の底からホッとする自分がいた。

「っ、じゃあ何で一緒に勉強なんかしてたのよ!?」

渡辺さんの隣に立ったクラスメートが、焦ったように声を上げる。

「それは……」

嘘をつくのにいっぱいいっぱいで、そこまで考えていなかった私。咄嗟には何も浮かんでこなくて、口ごもりかけた……その時だった。

「先生に頼まれただけだよ」

静まり返った教室に響いた声。聞き覚えのありすぎる声にビクッとして、振り返ると、教室の引き戸の前に立っていたのは、前原くんだった。

なん……で……。

まるで石のように固まる体。目を見開いたまま、立ち尽くすばかりの私と目を合わせたあと、前原くんはすぐにパッと顔を逸らして。

「英語、苦手だから教えるようにって、先生に頼まれたんだ」

言いながら、目の前の自分の机から鞄を持ち上げた。

「は、何それ。先生に言われたからって、前原とふたりで勉強してたの? きっも!」

「頼まれたからってさぁ、前原と一緒に勉強しようと思う?」

背後から聞こえる罵声と、クスクスと響く嘲笑。

や……やめて。

言い返すことも前原くんの顔を見ることも出来なくて、私はぎゅっと目を閉じた。すると、

「望月さんは、あんた達と違って優しいから」

静かに、でも真っすぐ聞こえた前原くんの声。

え……。

驚いた私が目を開けると、

「は?」

明らかに苛立った声が、後ろから聞こえて。

「前原のくせに何言ってんの?」

一歩、こっちへと近付く気配。
ただならぬ雰囲気に、どうしようと焦った次の瞬間。

「……何やってんの?」

前原くんの立つ方とは反対側から、声をかけてきたのは、田澤くん。

教室にいた誰もが、まさかの人物の姿にびっくりした。だけど、一番動揺したのはきっと渡辺さんだった。

「今日ミーティングあるって言ってなかったっけ?」

田澤くんに冷やかな声で言われた渡辺さんは、「あっ!」と声を上げ、

「みんな待ってる」

「ご、ごめんっ!」

慌てた様子で私達に背を向けた。

助かった……と、言っていいのかわからない。現れた人が人なだけに、広がるのは複雑な気持ちばかり。それに……。

チラッと向けられた田澤くんの視線に、気付きながら私はわざと目を逸らした。すると、急いでいたのもあったんだろう。

そのまま何も言わずに田澤くんは出て行き、彼を追いかけるように、渡辺さんも教室を後にした。そして、

「あ、ちょっと! 菜々子!」

何だか取り残されてしまったといった、渡辺さんの友達たち。

「……っ」

グループのリーダーを失った彼女らは、とってもバツの悪そうな表情を浮かべ、「行こう」と逃げるようにまた教室から出て行った。

「……」

さっきまでの騒動が、まるで嘘のように突然静まり返る教室。残ったのは、私と朱里と梨花。それから、前原くん。

苦手な人たちはみんな目の前からいなくなったのに、残ったのは大好きな人たちなのに、全く心は休まらない。

それどころか、バクバクと強く脈打つ鼓動。居心地がすごく悪くて、吐いてしまいそうな気持ち悪ささえも感じる。

その理由は、自分が一番わかってる。
うそを……ついた。

前原くんと付き合ってなんかいないって、はっきりと言ってしまった。それを、前原くん本人に聞かれてしまった。

……違うの。
前原くんのことを好きな気持ちは本当なの。

それなのにウソをついてしまったのは、朱里達を、友達を失いたくなくて。だから……。

ほんの十数秒。頭の中ではぐるぐると、彼に対する言い訳を必死に考えていた。だけど──。

「実優、大丈夫?」

そっと肩に触れてきた梨花。 本来ならホッとするところなはずなのに、私はドキッとして肩を振るわせた。
そんな私の様子に、キョトンとした梨花の目がゆっくりと動く。視線が向けられようとした先は、前原くん。

「あ……」

何か勘ぐられた気がして、私は咄嗟に言葉を探した。でも、

「望月さん」

教室に響いた前原くんの声。

「迷惑かけて、ごめん」

優しく……微笑むようにそう言い残して、前原くんは教室を出て行った。


三人だけになった教室。

「……前原って、言うときは言うんだね」

ポツリ、呟くみたいに言ったのは朱里。

「思ったよりいい奴じゃん……」

続けて梨花が言う。

……そう、そうだよ。前原くんはいい人。
みんなが思っているより優しくて強くて、ずっとずっと素敵な人だよ。

私が一番知ってる。私が一番近くでみていた。それなのに──。

なんてことを私はしてしまったんだろう。
ふたりの言葉に頷くことすら出来ない。

前原くんは自分のことなんてかえりみず、私を庇ってくれたのに、私は……私は──。

「実優?」

隣に立った梨花が、声をかける。


『朱里たちにはちゃんと言う……言わせて!』

今朝の、図書室での自分の発言が頭の中で響いて。
その言葉に微笑んだ、前原くんの表情が思い浮かんで。

『迷惑かけて、ごめん』

さっきの前原くんの言葉。

私は込み上げ溢れそうになる声を堪えて、ぎゅっと下唇を噛んだ。

だって、こんなの卑怯だ。一番最低な嘘をついて裏切った。

そんな私に、泣く資格なんかないのに──。