「実優っ!」
教室に入ったとたん、大きく呼ばれた名前。
私の姿を見るなり、朱里と梨花が駆け寄ってきた。
「あ、ふたりともおはよう……って、え?」
挨拶もなしに、いきなり腕を掴んだのは梨花。
入ってきたばかりなのに、そのまま教室の外と引っ張り出された。そして廊下の隅。
「どういうこと!?」
手を離してくれたと思ったら、ガシッと真正面から両肩を掴まれ、揺さぶられた。
「え、何が?」
梨花の隣には真顔の朱里。何だかただ事じゃない雰囲気を感じながら、でも何を言っているかわからなくて、聞き返す。すると、
「田澤に告られたって本当なのっ!?」
「……えっ」
思ってもみなかった内容に、ドクンッと鼓動が跳ねた。
「なっ、何でそれ……」
「よくわからないけど、噂になってる。……ていうか、その様子だと本当なんだ?」
「っ……」
朱里の問いかけに、言葉を詰まらせる。
あの告白が本気か冗談かはわからないけど、告白されたのは本当。でも……。
私が口を開こうとした瞬間、
「もう何で言ってくれなかったの!?;」
梨花が怒ったように頬を膨らませた……と思ったら、すぐにフッと微笑んで。
「実優、おめでとう!」
私の体をぎゅーっと抱きしめた。
「え……」
おめでとう……って。
「まさか実優がねぇ」
言いながらクスクスと笑う朱里。
ふたりから漂うのは、祝福ムード。
……ちょっと待って。
もしかして勘違いされてる……?
「ご、ごめんっ」
私は半ば無理やり、梨花の腕の中から脱出した。そして、
「私は田澤くんと付き合ってないし、これから付き合うつもりもないよ?」
ふたりに向かって声を張り上げた。
「「え……?」」
案の定、驚いた顔をする朱里と梨花。
たぶん、言うならこのタイミングしかない。
この際、はっきり言わなくちゃ。
「私はっ……」
前原くんのことが好きなんだって、ふたりに言おうとした。だけど、それは最後まで言葉に出来なかった。なぜなら……田澤くんが立っていたから。
野球部の友達たちと一緒に階段を上がってきた田澤くんが、鉢合わせるかたちで目の前に立っていた。
「あ……」
慌てて目を逸らし、口ごもる。すると朱里と梨花も田澤くんに気付いたみたいで、「あっ」っていう顔をした。
気まずい空気。その時、私を助けてくれるみたいに鳴ったのは、チャイムの音。
「こらー、早く教室入れー」
別のクラスの担任が歩いて来るのが見えて、私達はバタバタと教室の中に駆け込んだ。
ひとまず、助かった。でも……どうしよう。
何だか、とってもややこしい展開になっちゃった気がする……。
ぐるぐると回る頭の中。逃げるように自分の席まで足を運んだ私は、鞄と腰を下ろして小さく息を吐いた。……だけど。
「ねぇねぇ望月さん」
呼ばれて反射的に振り向くと、
「おい」
田澤くんが、名前を呼んだであろう男子の肩を掴んで止めていて。不意に田澤くんと目が合った私は、慌てて顔を逸らした。
そういえば、噂になってるとか言ってたっけ……。
もうすぐ先生が来ることもあって、みんな比較的静かではあるけど、意識してみれば、ものすごく視線を感じる気がする。
ううん、視線だけじゃない。
ひそひそと話し声も聞こえる気がする。
あぁ、もうやだっ!
注目されるのに慣れてない私は、ただただ恥ずかしくて。俯いて、机の下の膝の上、ぎゅっと握りこぶしを両手で作る。
前原くん、もう来てるよね……。
思いがけないところで広まっていた、田澤くんの告白。
今の状況を、前原くんは一体どう思うだろう。
変な誤解とか、されてなきゃいいけど……。
彼のことが気になりながらも、クラスメート達の好奇心の目が突き刺さるようで、姿を確かめることさえ出来なかった。
でも、噂の的となった私に向けられたのは、好奇の目だけじゃない。それをすぐに思い知ることになった。
***
「校長先生も言われてたけど、3年生にとってこれからの時期はとっても大事なものになります!」
始業式が終わって、体育館から教室へと戻ってきた、残りの時間。担任の先生が一枚のプリントを配ってから、いつになく真面目な顔で、声を張り上げた。
回ってきたばかりのプリントに目をやれば、一番上に書かれた文字は『進路希望調査』。
これからの時期が大事だって理由は、受験が関わってくるからだって、嫌でもわかる。
「夏休み前にも話しましたが、今の段階で考えている進路を書いてください」
先生の言葉に合わせて、一斉にペンケースを開く音が教室に響いた。私もシャーペンを一本取り出す……けど。
高校を卒業して、春からどうするか……。正直、そんな先のことよりも、私の頭の中は今起きていることでいっぱい。
あと数分で終わる授業時間。休憩になったら、また朱里達に囲まれるはずで、何て答えよう……。
なんて、他のことを考えていたものだから、第一希望の短大の名前さえ間違えて書いてしまった。
えっと消しゴムは……。
ポーチ型のペンケースの中をガサゴソと探って、見つけた消しゴムを取り出すと、誤字を消そうとした。ところが、
「あっ……」
変に手に力が入って、落としてしまった。
弾むようにして転がった消しゴムは、斜め前の席に座る女子のかかとにぶつかって止まった。
チラッと足元を確認するクラスメート。
「渡辺さ……」
椅子の下まで手を伸ばすのも何だし、拾ってもらおうと声をかけようとした。だけど、その瞬間。
渡辺さんは私の落とした消しゴムを、つま先でポンと蹴った。
えっ……。
軽く飛んで更に転がっていった消しゴムは、随分と前にいってしまって、もう手なんて届かない。
確かに消しゴムに気付いてくれたような気がした。なのに……。何だか、ざわざわする心の中。
いやいや、足がぶつかっただけだよね……。
言い聞かせるよう思っていると、授業の終わりを知らせるチャイムがちょうど鳴った。
「じゃあ、帰りのホームルームで集めるので、それまでに書いておいて下さい」
先生の言葉のあと、日直が号令をかけて、授業は終わる。そして休憩に入るなり、斜め前の席の渡辺さんは、仲の良いクラスメートの元に駆け寄っていった。
やっぱり気付いてなかったんだ……。
そのまま消しゴムを拾いに行った私は、くっ付いたホコリを軽くはらいながら、ホッとする。
ちょっとだけドキッとした。嫌な想像が頭を過ぎった。
でも、考えすぎだったみたい。
友達と笑顔で教室を出て行く渡辺さんの姿を確認して、自分の席へと戻ろうとする。そこへ、
「実優ー」
仁王立ちで目の前に立ちはだかった人は、梨花と朱里。
そうだった……。
さっきまで頭の中の大半を占めていたことを、一瞬にして思い出す。
「えっと……」
ちゃんと本当のことを話そうとは思う。だけど、何から話せばいいのか……まだ言葉はまとまっていない。
それにここは、田澤くんも前原くんも、クラスメートみんながいる教室。
そして何より、一歩ずつ近寄ってくるふたりの威圧感がすごくって。
「ちょっとトイレ行ってくる!」
私は逃げるように、教室を飛び出した。
「あっ、待て!」
すかさず追いかけてくるふたり。
話したくないわけじゃないんだってばー!
心の中で叫ぶけど、追いかけられると逃げたくなってしまう。
とりあえずトイレまで行こう!
そこで落ち着いて話そう!
そう決めた私はとりあえず走り続けて、女子トイレの手洗い場へと入ろうとした。だけど、
足を踏み入れようとした直前で止まる。だって……。
「ああ、望月さん?」
不意に聞こえてきたのは、自分の名前。そして、
「そうそう!あいつマジでムカつくんだけど!」
続けられたのは、悪意に満ちた言葉。
それほど親しくない人なのに、声で誰だかすぐわかったのは、さっき気にしていた人だったから。
「ぼけーっとして天然ぶってさぁ、あれ絶対計算だよね」
「うんうん、田澤くんも騙されてるんだよー」
「菜々子の方が絶対お似合いだし!」
本人が聞いているとも知らず、次々と浴びせられる言葉。菜々子っていうのは渡辺さんの名前で、会話の内容から、どういうことなのか容易に理解出来た。それから……。
勘違いじゃなかった。やっぱりわざと、だったんだ……。
手のひらの中、そのまま持ってきてしまった消しゴムを、私はぎゅっと強く握る。そこへ、
「菜々子のやつ……!」
突然耳に入ってきた声。 振り返って確かめようとすると、怖い顔をして女子トイレに進もうとする梨花がいた。
「だめっ!」
私は咄嗟に腕を掴んで引き止める。
「何で!?」
「だって……」
この様子だと、私の悪口を聞いてしまったんだろう。梨花の隣には朱里もいる。
「別に何かされたわけじゃないし、あんまり騒ぎにしたくない……」
「でもっ!」
「梨花」
頭に血が上った梨花を、諭すように名前を呼んだのは朱里。梨花は開いた口を、ぐっと我慢するように一度閉じると、
「わかったよ。じゃあ行こう」
掴んでいた私の手を逆に掴んで引いて、歩き出した。
「行こうって、どこに?」
「1階のトイレ!」
「あのままあそこに行くわけにはいかないでしょ!」と、続ける梨花。
「え、あ……」
そっか、私がトイレに行くって言ったから。
本当は逃げちゃっただけ……なんだけど、梨花の気遣いを無駄にはしたくなくて、私はそのまま1階まで行くことにした。
「大丈夫?」
「菜々子って田澤のことが好きだったんだね」
廊下を歩きながら、朱里が声をかけてくれ、一歩前を進みながら梨花が言った。
田澤くんがクラスの中心の男子ならば、女子は渡辺さん。明るくハキハキとした性格で、リーダーシップに溢れてて、野球部のマネージャーも務めていることから、田澤くんとは仲が良かった。それこそ、実は付き合っているんじゃないかって噂を聞くくらい。
だから渡辺さんが田澤くんに好意を寄せていることには驚かなかったけど、まさか自分が彼女に疎まれる存在になるなんて、思いもしなかった。
でも、田澤くんに告白されたって、そういうことだ。
信じられなくて、今日の今日まで何かの冗談だと思っていたから考えもしなかったけど、彼のことを好きな女子は沢山いるわけで。そんな彼に告白されたと聞けば、当然疎ましく思われる。
「まぁ、菜々子が相手となると、ちょっと面倒くさいね。……もしかして、だから? だから田澤とは付き合わないの?」
「え?」
くるっと回って、こっちを向いた梨花。私が返事するより先に、
「気にすることないよ! 何か言われたりされたら、あたしが菜々子に言ってあげるから!」
両肩をぎゅっと掴んで、そう言ってくれた。
本当は違う。田澤くんのことに、渡辺さんのことは関係ない。それを伝えるのは簡単なはずなのに、私の頭の中はさっき聞いた悪口でいっぱいになっていて。
「ありがとう……」
不安と、味方してくれるふたりへの感謝で、ひと言そう返事するのが精一杯だった。
そんな私の気持ちを汲み取ったのか、それからふたりは必要以上に田澤くんのことを聞き出そうとはして来なかった。そして、私自身も前原くんのことを伝えるどころじゃなくなってしまった。
クラスのリーダー的存在の渡辺さん。相手が相手だけに面倒だと言った梨花の言葉通り、大っぴらには何もしてこないけど、彼女の友達を中心に、さり気なく無視されたりした。
明らかに今までとは違う、数人の冷たい視線。
良い意味でも悪い意味でも目立たず、これといったトラブルを起こすこともなく、平穏に過ごしてきた私は、初めて向けられた悪意にビクビクしていた。
ちょっとした出来ごとでさえも気になって……早く1日が終わることを願った。……だけど。
