「おはよう」
「ここに来るの、久しぶりだね」
「そうだね」
私の言葉に頷きながら、前原くんが図書室の鍵を開ける。
野球部もまだ朝練をしているくらいの早朝。図書室どころか久しぶりに学校に来たのは、今日から新学期だから。
前原くんが職員室に鍵を取りに行ってる間に私が到着し、こうして図書室で一緒に勉強をする。それは、夏休み前と何も変わらない。
ただ、以前までと決定的に違うのは──。
「……前原くん」
「ん?」
図書室の長机にカバンを置いて、呼んだ名前。
向かい合った彼は顔を上げ、目と目が合ったそれだけで、恥ずかしくて顔が赤くなる。
「ううん!えっと……今日は自分の勉強していいからね!」
「ほら、課題全部やってきたし!」と、空白をほとんど埋めた問題集を見せる。すると、前原くんは「ありがとう」と返事しながら苦笑した。
あの肝だめし大会の日から、今日まで前原くんと会っていなかった。
『始業式の日はどうする? 朝、勉強する?』なんて、何でもないやり取りはスマホでしていたけど、実際に顔を合わせたのは久しぶり。
だから……私と前原くんの関係について、嫌でも意識しちゃう。
好きって言われて、私もって返事して、晴れて両想いになった。それってつまり、付き合いはじめたってことだよね……?
前原くんは私の彼氏になったんだよね……?
参考書を広げ、黙々と勉強する彼の顔をそっと覗き見る。すると視線に気付いたのか、前原くんは突然こっちを向いて……。
わわっ!
私は逃げるように俯いて、勉強するフリをした。
「……」
……何やってるんだろう。
目だけ動かして見てみれば、前原くんはまた参考書に視線を落としていた。
こうしていると、ただの友達だった頃と何も変わらない。付き合っていることを確かめたいのに、確かめられない。
自分の勇気のなさに、小さくため息をついた。
時間はただ静かに進んでゆくばかり。このまま何も聞けずに終わってしまいそう……と、肩を落とした時。
ガタンッ。
「っ!?」
静かすぎる空間に、突如響いた音。物思いにふけっていた私はびっくりして、思いっきりビクッとしてしまった。
「ごめん」
謝ったのは前原くんで、立ち上がった姿に、さっきの音はただ椅子を引いた音だと知る。
「う、ううんっ!」
何だか恥ずかしいと思いながら首を横に振ると、前原くんはクスッと笑った。そして、
「調べ物してくる」
「あ、うん……」
私を残して、本棚の並ぶ方へと歩いていってしまった。
ほんと、前原くんはいつもと何も変わらない。
ドキドキそわそわしてるのは、私だけのような気がする。……って、いうか。
こうも何も変わらないと、あの時の出来事が夢みたいに思えてくる。
もしかして本当に夢だったりして……。
いやいや、そんなはずないよ!
だってまだはっきり覚えてるもん。
でも、じゃあ何で前原くんは何も言ってこないの……?
考えれば考えるほど悪い方向に進んじゃって。いてもたってもいられなくなったわけは、ガタンッと前原くんよりも大きな音を立てて立ち上がった。
……やっぱり聞こう。じゃないとモヤモヤしすぎて、おかしくなっちゃいそう。
大丈夫、告白しようとしてたくらいなんだもん。確認することなんて簡単だよ。
自分で自分を励まして、私は前原くんを探して歩き出した。するとすぐ見付かった姿。
前原くんは辞書のような分厚い本をめくって、真剣な顔をして読んでいた。
……私が近くまで来てることには、どうやら気付いていないみたい。
よし……。
ごくんと唾を飲み込む。
私のことだからきっと、先に目を合わされちゃったら何も言えなくなる。だから、そうなる前に聞かなくちゃ。
こういうのって、勢いだ!
本棚の陰から飛び出した私は、そのまま前原くんの元まで一直線、小走りで駆け寄った。
「わっ! 望月さん!?」
突然現れた私に、驚いた声を前原くんが上げる。
「あっ、あのっ……」
ドクンドクンと大きく脈打つ鼓動。
ちゃんと聞かなくちゃ。
私達、付き合ってるんだよね……って。
いや、それよりまず、あの日のことを確認した方が良いかもしれない。
「あの、えっとねっ」
咄嗟に色々考えて、私が吐き出した言葉。それは、
「前原くんはいつ、私のこと好きになってくれたの?」
……って、え。
言った後に顔を引きつらせる。
自分でもどうしてこうなったのかわからない。
前原くんが本当に私のことを好きなのか、まずはそれを確かめようした。なのに、いつ好きになったのか……って。
いやいやいや、別に好きじゃないとか言われたらどうしよう!?
変な顔をされていたら、「今の忘れて」って言うつもりで、焦って前原くんの顔を見た。すると、
「えっと……急に何?」
困ったように言った、前原くんの顔は真っ赤。
あ、あれ……?
意外な反応に目をパチパチさせる。
これはもしかして、照れてる……?
何か……前原くん、かわいいかも。
「……いつ?」
今の今まで自分の発言を後悔していたはずなのに、前原くんの反応にいたずら心が目を覚ます。
「んー……引かない?」
「引かないっ!」
私が勢いよく応えると、前原くんは「じゃあ……」と、読んでいた本をパタンと閉じた。
「好きになったっていうか、気になったのは実はずっと前なんだ。……望月さんって、妹とかいる?」
「え?」
「入学式の日にさ、小学生の女の子と一緒に登校してなかった?」
「……」
聞かれて、そうだったっけ……と思い出す。
「……あ、そういえば。うちの近所の女の子と一緒に来たかも」
すぐ近くに住んでいて、私のことを本当のお姉ちゃんみたいに慕ってくれている、当時小学2年生だった女の子。
新学期の不安から、学校に行き渋っていたその子と途中までだけど、一緒に登校した覚えがある。
「でも、それがどうかした?」
私が首を傾げると、
「実はその後を歩いてたんだ」
前原くんは苦笑しながらそう言った。
「もちろんはじめは何とも思ってなくてさ、前に人が歩いてるな、くらいだったんだけど……。校門の前で望月さん、自分が巻いてたマフラーをその子に巻いてあげたんだ。頑張れ、気をつけて行くんだよって言って」
「それ見て、何かいいなって思った」と、続けて微笑んだ前原くん。その言葉と表情に、胸の鼓動がドキッと高鳴る。
正直、マフラーを貸してあげたとか、かけてあげた言葉とか、その時のことはそれほど鮮明に覚えていない。
だけど、前原くんはそんなに前から私のことを見ててくれたんだ……。そしてそれは、前原くんだけじゃなくて。
「望月さんだって寒がりなのに、本当に優しいよね」
「あっ、それ……!」
ふと思い出した出来事は、私が前原くんのことを意識したきっかけ。
同じ入学式の日、緊張して震えていると、カイロを差し出してくれたこと。
そっか!だから寒がっていると勘違いされたんだ。
「あのね、あのときねっ……」
頭の中で経緯が一本の糸のように繋がり、ずっと言いたかったお礼と、私が前原くんのことを好きになった、最初のきっかけ。そのふたつを興奮気味に伝えようとした。
ところが、ふたりだけの図書室にはうるさいくらい、響き渡ったチャイムの音。
「あ……」
前原くんが時計を見ながら声を漏らす。
いつの間にか、教室に戻らなきゃいけない時刻になっていた。
「気になるけど、続きは後にしよっか」
「うん……」
優しく言う前原くんの言葉に頷く。
本当は今すぐにでも言っちゃいたいけど、図書室の鍵を返しに行ったりしなきゃいけないもんね……。
前原くんは手にしていた本を棚へと戻して、私達は少し急いで机まで戻った。そして、広げたままにしていた勉強道具を慌てて片付ける。
楽しい時間はあっという間。話したいことが沢山あって、前原くんともっと一緒にいたくて、いくら時間があっても足りそうになくて、何だか落ち込む。でも……。
思い出したら、自然と顔がにやけちゃう。
まさか前原くんも同じだとは思わなかった。
同じ入学式の日に、お互いを意識していたなんて……。
両想いだったことすら奇跡みたいに嬉しかったのに、運命とか感じずにはいられない。
嬉しくて、幸せすぎて、
「望月さん」
「ん?」
名前を呼ばれた私は、とってもユルい顔を向けてしまった。すると、前原くんはキョトンとした後に苦笑して。
「教室ではいつも通りでいいから」
何でもない顔をして、そう言った。
「え……」
いつも通りでいい……それって、お互い話しかけたりしないってこと?
私が考えているうちに、前原くんは鞄を肩に下げ、鍵を持つ。そして、図書室の出入り口へと向かって歩き出した。
「待って! ダメだよ、そんなの……」
私は慌てて腕を掴んで引き止める。
今まで通り親しくないふりをするなんて、そんな都合のいいこと出来るわけがない。それを伝えようとしたけど、
「望月さん、田澤くんのこともあるでしょ」
「っ……」
前原くんに言われて、思い出す。
そうだった。私、田澤くんに告白されちゃってたんだ……。
「でもそれはっ」
本気か冗談かわからないような告白。それに、どっちにしろ私が田澤くんと付き合うことはない。
だから関係ないって、そう言おうとした……のに。
前原くんは、腕を掴んだ私の手を逆に掴んで、首を横に振った。
「だからこそ、だよ。田澤くんが望月さんに好意を持ってるからこそ、今まで通りにしてほしいんだ」
「……」
……ずるい。口には出して言えなかったけど、その言い方はずるいって、心の中で思った。
優しい前原くんのことだもん。
自分のためのように言いながら、私をかばって言ってくれてるんだって分かっている。
でも、確かに。いじめられていた前原くんのことを考えたら、確かに今はまだ下手に動かない方がいいのかもしれない。
「……わかった」
そう言われたら、頷くしかなかった。だって、前原くんが傷付けられる姿をもう見たくはない。
「ありがとう」
ホッとしたように微笑んで、前原くんは私の手を離し、図書室を出ようとした。それを、
「でもっ!」
私はまた掴み直し、引き止める。
前原くんのためにも、私達の関係は内緒にしておいた方がいいのかもしれない。だけど……。
「朱里たちにはちゃんと言う……言わせて!」
勢いあまって大きくなった声は、図書室中に響いた。
恥ずかしくなって俯くけど、言ったことには後悔はしていない。
せめて朱里たちには、親友と呼べる友達ふたりには、本当のことを話したい。
じゃないと、こうして前原くんと一緒にいる資格なんて、私にはないような気がした。
「望月さん……」
少し驚いたような声で、呼ばれた名前。
顔を上げると、前原くんは声の通り目を丸くしていて。
だけど、私と目が合うと困ったような……でも、嬉しそうにも見える微笑を浮かべ、
「無理はしなくていいから」
私の背中をそっと押して、抱き寄せた。
こうして誰よりも近い距離で触れ合うのは、二度目。
それでもやっぱりドキドキして、胸の奥から熱くなる。
緊張するけど嬉しくて、もう少し早くこうしたかったな……なんて思った。
「それじゃあ」
「うん……」
時間はあまり残されてはいなくて、私達は余韻に浸ることもなく、図書室を後にした。
そして前原くんは職員室に鍵を返しに、私は一足先に教室へと向かう。
嬉しそう、だったな……。
廊下を急ぎながら思い出すのは、最後に見せてくれた笑顔。
そうだよね……。
やっぱり隠されているのは嫌だよね。
自分がもし逆の立場だったら、親友にさえ秘密にされているのは、すごくショックだと思うから。
前原くんはすごく素敵な人だもん。朱里と梨花にそれをちゃんと伝えて、自分の気持ちを正直に話そうと決めた。
図書室での言葉に、嘘も迷いもなかった。
はずなのに──。
