「──実優、実優!」
「え?」
「何してんの、もうみんな戻ってきたって!」
こっちこっちと手招きする朱里と梨花。
さっきまで隣にいたはずなのに、気付くといつの間にか、少し離れた場所から私を呼んでいた。
「あ、うん!」
座っていた石畳みから腰を上げ、ふたりの元へと駆け寄る。
「もー、さっきから何ボーッとしてるの?」
「そういえば、もうあんまり怖がってないよね」
「「もしかして、やっぱり……」」
声を揃え、にたーっと嫌な笑みを浮かべて、私を見るふたり。
「──っ、だから何もないってば!」
何を言わんとしているかわかって、私はふたりの背中を進行方向へと押した。
私が田澤くんとペアだったから、何かあったんじゃないか……って、戻ってきてからそればっかり。
肝だめしのスタート地点で、ゴールでもある小さな神社。その中心に私達をはじめ、クラスメートみんなが集まる。
最後のペアが今しがた戻ってきたみたいで、
「えーと、それじゃあ……」
学級委員の男子が、締めの挨拶を始めた。
円形に並ぶ輪の中、私が顔を上げられないのは、この中に田澤くんがいるから。
朱里達にはああ言ったものの、本当は何もなくはなかった。田澤くんに、告白されてしまった……。
あれから、私の返事を聞かないまま、田澤くんはすぐに歩き出し、どうしたらいいかわからなかった私は、とりあえず黙って後を追いかけた。
会話はあのときだけ。それからは何も喋っていない。
どうしよう……。返事はすぐじゃなくていいって言われても、いつどのタイミングで話しかけたらいいのかわからない。
それに、そもそも信じられない。
田澤くんが私を好きだなんて、そんなこと。
考えれば考えるほど、悩んで、困る。
でもそれは、田澤くんへの返事だけのことじゃなくて……。
……あれ?そういえば。
上げられずにいた顔を、私はパッと上げる。
最後のペアが戻ってきて、参加したクラスメート全員が今ここに集まっているはず。だけど、いない人がひとりいた。
前原くんが……どこにもいない。
まさか……。
嫌な予感がして視線を動かすと、クスクスと何か堪えるように笑っている男子達の姿が目についた。
やっぱり……。
その男子達は、いつも前原くんをいじめているグループ。どういうことなのか容易に見当がついて、許せなくて、私はぎゅうっと握りこぶしをつくる。……だけど。
「……って、ことで! 今日は解散で!」
え、待ってよ!
終わりを告げる発言に心の中で声を上げるけど、口に出してないものは誰にも聞こえない。
終わったという雰囲気で、一気にざわつく周囲。
「何だかんだで楽しかったねー」
「そうだね」
隣に立った朱里と梨花も、言いながら当然のように帰る方向を向く。
待ってよ……待って。
前原くんはきっとまだ、道の途中にいる──。
「実優?」
ふたりに遅れて、立ち尽くしたままの私。
「どうしたの?」と、言わんばかりの声を朱里にかけられて、迷った。
前原くんに終わったことを教えてあげなくちゃって思う。だけど、もし素直にそれを行動に移したら、朱里や梨花達はどう思う……?
「実優?」
もう一度、今度は梨花に声をかけられて。
「……あ、ごめんっ」
私は咄嗟に朱里達の待つ、帰る方向へとつま先を向けてしまった。
一度そうしてしまったら、もう帰る他ない。
集まった女子達に、適当にバイバイと手を振ってから、朱里と梨花と一緒に神社を出た。
長い階段を下りた先に広がった道は、街灯がきちんと等間隔に設置されていて、明るい。
夜といえど、交通量も普通にあって、車が通り過ぎたりするのを見ると、ホッとした。
だけど、同時にすごく罪悪感。
前原くんは、あの暗闇にひとり……。
ペアの人が一緒にいても、すごく怖くて心細かった。
じゃあ、ひとりの前原くんは一体今どんな思いをしているんだろう。
もし彼の立場だったら……って、想像してみる。
私だったら、耐えられない。
怖くて泣いてしまって。でも、震えてきっとその場から動けなくなっちゃう。
前原くんは男子だから、私みたいに泣いちゃうことなんて、まずないと思うけど。それに、ある程度時間が過ぎれば、終わったことを察して帰ると思うけど。
……でも。
「あっ、あのねっ!」
私は足を止めて、朱里と梨花に思いきって声をかけた。
本当のことは言えない。だから、
「ごめん、ちょっとさっきのコンビニに寄って帰るから……」
咄嗟に考えた、嘘。
「じゃ、わたし達も付き合うよ」
「もう遅いし」と続けて、ふたりはこっちに足を向けようとしてくれた。だけど、ついて来られたら困る。
「ううんっ! お母さんが迎えに来てくれてるみたいだから!」
私が言うと、「そうなの? それじゃあ……」とふたりは納得してくれた。
「気をつけてね!」
「うん、朱里達もね!」
バイバイと手を大きく振って、私はふたりに背を向けた。そして、今歩いてきた道を急いで戻る。
そのまま神社まで帰ったら、まだ誰か残っているかもしれない。
そう思った私は、肝だめしをした道を逆から進もうと考えた。でも、
「っ……」
あの不気味な脇道の入り口。そこで思わず足を止める。
だって、灯りのひとつもない。
わかっていたことだけど、この道をひとりで進んでいくなんて……怖くて不安すぎる。
前原くんは本当にまだ残ってるのかな……。
もしかしたらもう帰っちゃってるんじゃないの?
あまりの恐怖に引き返すことも考えた。
だけど、ここまで来たちゃったんだもん。
大丈夫。一本道だったから迷うことはない。それに──。
ええいっ!
心の中で大きく叫んで、私は飛び込んでいった。
自分のしていることが信じられない。
前原くんが帰っていたら、どうするんだろう。
だけど……でも!
「前原くんっ」
月明かりだけが照らす道。立ち止まったら動けなくなりそうで、私は走りながら彼の名前を呼んだ。
虫の鳴き声しか聞こえない静寂の中。まだ帰っていないのなら聞こえるはず。
お願い。
早く、早く届いて! 返事して!
「っ、前原くんっ!」
さっきどの辺りで会ったとか、自分が今どのくらい走ったとか、全然わからなくて。
もしかしたら本当に会えないんじゃないかって、弱気になりかけた……そのときだった。
「望月さんっ!?」
向かい側から聞こえた声。最初姿は見えなかったけど、お互いに走って近付いて、すぐに顔までハッキリと見えた。
「よ、良かったぁ……」
「何で望月さんがここに?」
両膝に手をついて安堵する私とは対照的に、びっくりした顔を向けるのは前原くん。
やっぱりまだ帰ってなかったんだ。
会えて本当に良かった……。
「肝だめし、もう終わったから……。前原くん、知らないと思ってっ……」
走ったせいで息が切れて、途切れ途切れになる言葉。それでもちゃんと聞き取ってくれて。
「それを教えにここまで……?」
前原くんの問いかけに、私はこくんと頷いた。
自分自身で良いことをしたとか、感謝してほしいとか思っていたわけではないけど、前原くんはきっと『ありがとう』って、言ってくれるものだと思っていた。だけど、
「……」
目の前に立っているはずの前原くんからは、何の言葉も聞こえない。
あ、あれ……?
もしかして、引いちゃってる……とか?
パッと顔を上げてみると、前原くんは目を真ん丸にしてキョトンとしていた。
「あ、えっと……」
「望月さん」
「はいっ!」
名前を呼ばれて、ピンと背筋を伸ばす。
余計なお世話だとか、さすがに気持ち悪いとか言われたらどうしよう。
怖くてドキドキして、胸元にやった手にぎゅっと力を入れた……その時。
「それ」
「へ?」
「こんなとこまで来なくても、それで連絡くれれば良かったのに」
そう言って前原くんは、私の手元を指差した。
私がぎゅっと握りしめていたものは……灯り代わりに使っていた、自分のスマホ。
「……あ、あっ!」
指摘されてやっと気付いた。
そうだ、スマホ!前原くんの連絡先を知っているんだから、通話でもLINEでもしてみれば良かったんだ!
必死すぎて、考えもしなかった。
とても簡単に解決する手段があったのに、こんな所まで必死に走って来ちゃった。
恥ずかしくて口をパクパクさせながら、顔を真っ赤に染める。すると、
「ふっ……」
目の前の前原くんが、小さく笑った。
「ば、馬鹿だって思ってる?」
「ちょっとだけ」
あまりに素直な答えに、漫画ならガーンッて言葉が私の上に乗っかっている。
あぁ……やっぱり……と、ショックを受けていると、
「でも、嬉しかった。望月さんが来てくれて嬉しかったよ」
「ありがとう」と続けて、前原くんは優しく微笑んだ。
その瞬間、胸の奥から熱くなる。
さっきまで怖くて怖くてどうしようもなかったはずなのに、ひとりじゃなくても怖かった道なのに……今は全然怖くない。
私の目に映って思考を奪うのは、前原くんの笑顔だけ。
もし、スマホで連絡が取れることに気づいていたとしても、私はきっとここまで走ってきていた。
だって私……この笑顔が見たかった。
前原くんに会いたかった──。
自覚すれば苦しくて、ふるふると首を横に振るのが精いっぱい。そんな私にもう一度微笑んで、
「帰ろう。送るよ」
前原くんは、空いていた私の片手を取った。
「えっ……」
繋がれた手にドキッとして、思わずこぼれた声。
もちろん嫌なんかじゃなかった。
むしろ嬉しかった……のに、
「あ、ごめんっ」
前原くんは慌てて、私の手を離してしまった。そしてそのままフイッと、背を向けて歩き出した。
「あっ」
勘違いさせてしまったと焦った私は、前原くんを追いかけて呼び止めようとする。だけど、
「「あのっ」」
Tシャツの裾を掴んで、声をかけたその瞬間。
前原くんはクルッとこっちに振り返って、お互いの声が重なった。
「わっ、ごめん!」
思いがけず近付いた顔に、今度は私からパッと離れる。
「いや、こっちこそ……。で、何?」
「あ、えと……前原くんこそ何?」
さっきの誤解を解こうとしていたはずなのに、急には出てこなかった言葉。
質問を質問で返された前原くんは、「えーっと……」と、言い出しにくそうな声を出す。
ごめんなさいと心の中で謝罪しつつ、何だろう……と、いつもと少し違う彼の様子に、ドキドキしながら続きを待った。すると前原くんは、私と一度目を合わせた直後、すぐに逸らして。
「望月さんはどうすんの?」
「どうするって?」
「田澤くんのこと」
「えっ、あっ!?」
びっくりしすぎて、声が裏返る。
田澤くんのことっていうのは、多分あの告白のこと。
そうだった。前原くんに会うことに一生懸命で忘れていたけど、そのことについても気になっていたんだ。
あのとき、返事しそびれちゃったから……だから。
「どうするも何も……たぶん冗談だよ」
未だに実感がわかない。だって、田澤くんに好かれてるなんて、やっぱりとても思えない。
考えられるのは、冗談とか罰ゲームとか。
……うん、それだ。
それで間違いないって、自分自身の中で納得しかけた……時だった。
「田澤くんは本気だと思うよ」
前原くんの静かな声が、響いた。
私は「え……?」と、思わず目を大きくする。
「田澤くんは本気だよ」
「……」
逸らした目を私に向けて、真剣な眼差しで言った後、前原くんは背中を向けた。そして、ザク、ザク……と小さな足音を立てて、歩いていく。
田澤くんは本気……って、それはどういうこと?
本気だから、真剣に考えてあげてってこと……?
どうして前原くんがそんなことを言うんだろう。
胸の奥が締め付けられるみたいに、きゅうっと苦しくなる。
こんなの私の勝手だけど、前原くんにはそんなこと言って欲しくなかった。
だって私は……。
私が好きなのは──。
「前原くんっ!」
気付いたときには名前を呼んでいて、前原くんは振り返った。
「あのっ……」
脳裏をよぎったのは、『好き』の二文字。
だけど、口にする寸前で止める。
それは私が口しちゃいけない言葉。
だって……言えてない。
他人の目ばかり気にして、親友だと思っている朱里や梨花にすら、前原くんを好きだと言えてない。
それどころか、ホッとしてしまった。
図書館で勉強したとき、見かけた女子が梨花じゃなくてホッとした。こんな私に、好きだと言う資格はない。
……わかってる。
わかってるよ。だけど──。
「あのね、さっき言おうとしてたことなんだけどっ……」
自分がどんなにずるいことを言おうとしているかわかっている。だけど、ほんの少しでも気持ちを誤解されてしまうのは嫌だった。
「手、握ってくれたの、嫌だったんじゃなくて嬉しかった! びっくりしちゃったけど、嬉しかったの!」
「……」
私を見る前原くんの目は、真ん丸。それは私の発言に対してなのか、私が泣きそうな顔をしているからなのか、どちらかわからないけど……。
「だって私ね、私──」
前原くんのことが好きだから。
とうとう告げてしまおうとした……その時。
「待って!」
前原くんが声を上げて、私の言葉を遮った。そして、
「ごめん、もうひとつ言いたいことがあった」
「……」
真面目な顔で言う前原くん。
どうしてこのタイミングなんだろう……。意を決して言おうとしていた瞬間だっただけに、気分が下がる。
もしかして、迷惑ってことなのかな。
だからわざと話を逸らそうとしてるのかな……。
嫌な考えに、私は彼から目を逸らして、「何?」と小さく訊ねた。
「話の途中だったのにごめん」
ほら、やっぱり……。
前原くんは優しいから、なるべく私が傷付かないように、遠回しにフってくれたんだ。
そう思った私は何とか笑顔を作って、「ううん」と、首を横に振った。……だけど。
「どうしてもこれは自分から言いたくて……。望月さんのことが、好きなんだ」
「だから、田澤くんに先越されちゃって気になってた」と、続ける前原くん。
……え、ちょっと待って。
今、前原くん何て言った?
私のことが好きだって言った……?
「うそ……」
「嘘じゃないよ。優しい望月さんのことが、ずっと前から好きだった」
「っ……!」
前原くんの言葉に胸がつまる。
予想していたのが逆の展開だっただけに、とても信じられなくて、両手で口元を抑える。そして小刻みに震える、自分の体。
「ごめんね、急にこんなこと言って」
前原くんの口調は、そんな私をそっと撫でるように優しくて。私はふるふると首を横に振った。
そして、やっと理解するのは、前原くんが私の告白を遮った理由。
私からじゃなくて自分から、好きだと言ってくれたんだ。
「ありがとうっ……私もだよ……」
嬉しくて嬉しくて、泣きながら何とか口にしたそれは、震えて消えてしまいそうなか弱い声だった。
だけど、小さな足音を響かせながら、前原くんは歩いてきてくれて。
「嬉しい」
私の身体を優しく抱きしめてくれた。
月明かりだけが照らす、暗い夜の山道。
不気味で怖くて嫌だったはずなのに……ずっとこの場所にいたいって思っていた。
前原くんとふたり、今このときで時間が止まればいいのにって、本気でそう思った──。
