「晩ご飯までには帰るから!行ってきまーす」
夏休みに入ってすぐの、平日。私は少し早めの昼食をとってから準備して、家を出た。
『勉強しに行くのに、やけにオシャレするのね』と、嫌味ったらしくお母さんに言われた服装は、ドット柄のレイヤード風トップスに、プリーツミニスカート。
きっと、本当は街にでも遊びに行くと思われちゃったんだろう。でも、勉強するのは嘘じゃない。
ただ、一緒に勉強する相手が、好きな男の子っていうだけ……。
“好き”って心の中でちょっと思っただけなのに、顔から急に熱くなって、私はごまかすように足を急がせた。
今日は以前から約束していた、前原くんと図書館で勉強をする日。前原くんとの約束の時間は午後2時。
私が家を出たのが1時過ぎと充分早く、先に着くと思っていた……のに。
「あれっ?」
図書館の入り口でバッタリ出くわした人。それは他の誰でもない、前原くんだった。
さっき時間を確認したけれど、約束までまだ20分近くもあった。それなのにどうしてこんなに早く……?
そう疑問に思ったのは、どうやら私だけじゃないみたい。
「早いね」
「うん……って、前原くんこそ!」
「あぁ、うん。そうなんだけど……」
言いながら、私の姿を確認するように見る前原くん。
「もしかして今日、他に用事とかあった?」
「えっ?」
何のこと?って思ったけど、すぐにお母さんから言われた言葉が頭をよぎった。
「あ、別に今日は他に何もないんだけど……」
そんな目一杯のオシャレをしたつもりもない。だけど、目の前の前原くんはTシャツというラフな格好。
勉強しに来ただけなのに、やっぱり気合い入れすぎ?
浮いて見えちゃってるのかな……。
急に不安になってきて俯き気味になりつつも、前原くんの反応を確認するようにチラリと視線を向けた。すると、
「や、望月さんが変とかそういうわけじゃなくて……。その……」
言いづらそうに目を逸らし、言葉を濁す前原くん。
「何ていうか……かわいいから」
「……え?」
「まぁ、とりあえず入ろう」
確認する間もなかった。前原くんはすぐに私背を向け、先に図書館の中へと入ったから。
私も彼の後を小走りで追いかける、けど……。
胸の鼓動がドキドキして、しょうがない。
かわいいって、言ってくれた……?
広い館内を迷うことなく進んで、机が並ぶスペースまで歩いていった前原くん。
「この辺でいい?」
他の人の邪魔にならないように、小声で前原くんは問いかけてくれたけど、席よりも気になったのは彼の様子。
ちょっとだけ赤くなってるように見えるのは、気のせいかな……?
「望月さん?」
「あっ、うん、ここでいいよ!」
ハッとした私は、目の前の机にトートバックを下ろした。
結局、さっきの言葉を確かめることは出来なかったけど、少し照れたみたいな表情が答えのような気がして、嬉しくなった。
「それじゃあ……英語だったっけ」
向かい合って、空いていた隅の席に座った私達。言いながら前原くんは、見慣れた英語の教科書と夏休みの課題集を机の上に置いた。
「望月さんがわからないのってどの辺?」
「えっとね……このあたりなんだけど」
自分の課題集の全く答えが分からず、回答欄が空白のままのページを開いて、前原くんに見せる
「あ、確かにちょっと厄介なところだ。ここは……」
問題を読みあげて、小声で文章の成り立ちから説明してくれる前原くん。
学校の図書室でも教えてもらっているけど、前原くんの説明はいつもわかりやすい。それから……。
「……で、ここはこういう訳し方になるんだけど。望月さんわかった?」
「あっ、うん!」
問いかけられて、少し慌てて頷く。
やばい、ちょっとボーっとしちゃってたかも。
聞いてないとか思われちゃったかな……。
探るように見ると、前原くんは特に何も気にしてない様子で説明を続けていて、ホッとする。
前原くんの教え方は、すごく丁寧でわかりやすい。そして、前原くんの声は、聞いていてすごく心地良い。
同じ英文でも、学校の先生が読むと退屈なのに、前原くんが読むと聞き入ってしまう。
それは、私が彼のことを好きだからなのかもしれない。だけど、低すぎず高くもない声は聞き取りやすく、大嫌いな英語のはずなのに、もっと聞いていたいって思う。
「前原くんってさ……先生とか向いてるよね」
「え?」
まだ説明の途中だったのに、ついもれてしまった心の声。当然のように前原くんは、私の顔を見る。
「や、えっとごめん!いつもすごく分かりやすく説明してくれるから……」
これじゃ聞いているんだか、聞いていないんだかわからない。
慌てた私が言うと、前原くんはキョトンとした顔を笑顔に変えて、「ありがとう」と言った。
「そんなこと言われたの、はじめてだ」
少しはにかんだ表情が、私の胸をきゅうっと締め付ける。
「あのね……」
嘘や冗談じゃなくて。教師とか誰かに何かを伝える仕事が向いてるって、本当に思った。
それをそのまま伝えようとした……その時だった。
「望月さん、顔伏せて」
「え?」
「いいから早く」
急に変わった前原くんの声色。さっきまで穏やかだったのに、急に張り詰めた緊張感のあるものになって。
な、何……?
私は戸惑いながらも言われた通り、俯くみたいに顔を伏せる。そのまま数秒間。
「もういいよ」と言われた声に顔を上げると、
「あ、あれ?」
目の前には、見慣れない顔の男の子。私の反応に「ん?」と、その男の子は首を傾げる。
それもそのはず。目の前に座っているのは前原くんで、変わっていない。彼の後ろや隣に、誰が他の人がいるわけでもない。
ただ、さっきまでと決定的に違うのは……。
「前原くん、メガネ……」
そう、数秒前までしていたメガネを、どういうわけか前原くんは外していた。
はじめて見る彼の素顔。二重の目は思った以上に大きく、でも全体的なバランスはすごく整っている。
メガネをかけているときから、薄々気付いてはいたけれど、前原くんって美男子っていうか、かなりイケメン……。
思わず見惚れてしまっていた私を、彼の言葉が現実へと引き戻す。
「今、山本さんっぽい人が通った」
「えっ、どこ!?」
「そこの……本棚の間」
言われて直ぐさま目を向ける。山本っていうのは、梨花の苗字だ。
何で梨花が図書館なんかに……?
ドキドキと脈打つ鼓動が早くなり、シャーペンを持ったままの手のひらには、じんわりと汗さえかいていた。だけど……。
「前原くん……」
彼の言う女の子の姿を確認した私は、肩の力をストンと抜いた。
「あの人、梨花じゃないよ」
髪型とか背格好が、確かに梨花に似てる。だけど梨花とは別の人だった。
「なんだ……ごめん」
私の言葉に、前原くんもホッとしたように苦笑する。 そして、外していたメガネを再びかけた。
いつも通りの見慣れた彼の顔。もう少し素顔を見ていたかったなぁ……なんて呑気に思いながら、首を横に振って『ありがとう』と、言おうとした。
でも、言いかけて止まる。
だって、ねぇ……何に対しての『ありがとう』なの……?
穏やかだった声をピンと張り詰めたものに変えて、顔を伏せるように私に言った前原くん。自分自身はメガネを外して、気付かれないように気を配った。
誰にって、それは……梨花に。
私の友達に、気付かれないように。
「なんか色々あって中断させちゃったね。続きから説明して大丈夫?」
「……」
「望月さん?」
何事もなかったかのように話す前原くん。
その声は相変わらず優しくて……胸の奥が苦しくなった。
何が『ありがとう』なんだろう。
どうして堂々としていられなかったんだろう。
私は……何をしているんだろう。
***
「今日は本当にありがとう。前原くんのおかげで、結構わかるようになったよ」
オレンジ色に染まりかけた空。図書館を出てすぐのバス停に立って、勉強を教えてくれた前原くんにお礼を言う。
「本当に送っていかなくて大丈夫?」
「うん、だって前原くん自転車あるじゃん」
「まあ、そうなんだけど……」
そう言って彼が見つめるのは、駐輪場から押してきた自転車。前原くんはほんの少し何かを考えた後、
「……一緒に乗って帰る?」
「へっ!?」
彼の口から出た言葉に、私は驚いて声を裏返した。
「い、一緒にって、後ろに乗ってってこと!?」
前原くんの後ろに私。想像してドキドキと胸の鼓動が早くなる。だけど、
「そう……でも、やっぱ無理か」
私はまだ何の返事もしていない。なのに、小さく苦笑する前原くん。
膨らんだ気持ちが、一瞬にしてしぼむ。
無理っていうのは、自転車の二人乗りが禁止されているからだろうか。それとも……。
「あ、あの……」
あれからずっと、モヤモヤしてる。
気まずくなるのはわかっているけど、このまま何も言わないわけにはいかないような気がして、口を開いた……その時。
背後から聞こえてきた、大きなエンジン音。
「あ、バス来た」
前原くんの言葉に振り返ってみると、こっちに向かって走ってくるバスの姿があった。
「一本前のやつ、まだ来てなかったんだ」
「そうみたいだね……」
私がこくんと頷き返している間にも、バスはみるみる近付いてきて。
「じゃあバスの方が断然早いし安全か。気をつけて」
前原くんがそう言ってくれたときには、もう目の前に停車していた。
結局何も言えないまま、バスに乗り込み外を見ると、前原くんが小さく手を振ってくれていた。私は微笑んで振り返すけど、胸の奥がちくんと痛む。
前原くんが心を開いてくれればくれるほど、嬉しい。
もしかしたらっていう期待さえ、してしまいそうになる。でも……。
「それって絶対脈アリだって! 早く告っちゃいなよ!」
走り出したバスの中、後方から聞こえてきた声にビクッとした。少し顔を動かして見てみると、反対側のつり革を掴んで話す女子高生ふたり組。
「そうかなぁ~」と言いながら、知らない制服を着た女の子が、まんざらでもなさそうに返事していた。
告白……か。
私もいつか、前原くんに自分の想いを伝えられたらって思っていた。今日みたいに勉強を教えてくれたり、かわいいって言ってくれたり、優しくしてくれるから……少なくとも嫌われてはいないんだと思う。
だけど、でも、告白なんて……できない。
だって私……。
「っ……」
こみ上げる感情に顔をしかめた瞬間、ブブッと短く震える振動が太ももに伝わった。
スカートのポケットからスマホを取り出すと、今届いたばかりの一件の通知。
えっ……?
そこに表示された名前を見て、一瞬ドキッとしたのは【梨花】からだったから。図書館であんなことがあった後で、まさか……なんて思うけど。
違う違う。
梨花じゃないって確認したもん。
友達の顔を間違えるわけないと自分に言い聞かせ、メッセージを確認すると、やっぱり何でもないことのようだった。
【やっほー!今なにしてる?】
【ごめん、出かけてて気付かなかった。今バスの中だよ】
ホッとしながら返信すると、待っていたのかすぐに既読がついた。そして、
【そっかー。じゃあ後からまた電話かけるけど、来週の土曜の夜って空いてる?】
秒で返ってきた梨花からの返事。 夜……って、どこかで夏祭りでもあったっけと、考えながら、【たぶん大丈夫】と返事をした。
すると、またすぐに届いた梨花からの返事に、私はピタッと固まった。
【良かったー!クラスのみんなで肝だめししようってことになったらしいよ!】
