これといったイベントもなく、何度かの放送当番をこなすうちに、気づけばもう7月上旬になっていた。いや、正確に言うなら、期末テストと三者面談という、長期休み前の恒例行事を乗り切ったところだ。
テストの結果は、赤点ギリギリというわけではないが、かといって良くもない。平均点をやや上回るくらいの、可もなく不可もない点数だった。
三者面談でその成績表を渡された際、担任からは「地元の公立大学を目指すなら、もっと頑張らないと厳しいぞ」と発破をかけられたが、正直言ってその選択肢は頭になかった。
理由はいくつかある。まず、その大学に全く惹かれないからだ。地元と言いつつ片道1時間半はかかるし、ネットの口コミを調べても「こじんまりしている」「校舎が古い」という声で溢れかえっていた。
設置されている学部も、文学部と、一体何を勉強するのか分からない「地域環境学部」の二つしかない。文学部は本や文学について学ぶのだろうと想像がつくが、地域環境学ってなんなんだ。地域の環境について学ぶのか? それは社会学のような文系の分野なのか、それとも地球温暖化などを扱う理系の分野なのだろうか。名前だけでは何の判別もつかない。
なぜここまで「古い校舎」にこだわるかというと、高校受験での苦い経験があるからだ。当時の私は一生懸命勉強して、自分の持ち得る偏差値より上の高校に合格した。しかし、入学してみたら最悪だった。パンフレットの「輝け青春!」という文言や、オープンキャンパスで案内された最新の別館にまんまと騙されていたのだ。
実際は、別館を使う機会はほぼ皆無だ。それに体育館にエアコンはないし、4階南側のトイレは使い物にならない。本校舎には何ヶ所も亀裂が入っているのに、職員室だけはリフォームされてピカピカだった。そんなこと、入学するまでまったく知らなかった。高校の青春をボロ校舎の「自称進学校」に費やしてしまったのだから、大学生活まで無駄にするわけにはいかない。また必死に勉強を頑張って、たどり着く場所がボロ校舎だなんて絶対にごめんだ。二度と同じ過ちを繰り返したくはない。
そもそも、うちの先生たちは生徒のレベルを過信しすぎだ。通常の定期テストでさえ、平均点が赤点を下回るような惨状なのだ。学年トップクラスでさえその大学は合格圏内ギリギリだろうに、私にそこを目指せと言うなんて無謀すぎる。そういう身の丈に合わない指導ばかりしているところが、生徒から「自称進学校」と揶揄される原因なのだろう。
かといってほかの選択肢といえば、私立大学が二つ、自宅から通える範囲にあるものの、毎年同級生の三分の一くらいがそのどちらかに進学する。それはそれでなんだか気が進まない。高校で顔を合わせていた人たちが大学でも一緒なのは、大学へのわくわく感がちょっとなくなる。できれば知っている人が少ない進学先を選びたい。そんなことなら就職すればいいのかもしれないが、まだ学生をやっていたい。どうせ大学を卒業したら就職することになるだろうから、ちょっとでも長く、学生として親のすねをかじって暮らしていたい。ということは、専門学校や短期大学も視野に入れなければならないのだろうか。専門学校は一度入学したら、大きな方向転換が難しいと聞く。やりたいことは何もないのに、無理やり何かを極めるためだけに専門学校を選ぶのは大博打だといえる。もし合わなかったときの、先が思いやられる。残りの選択肢である短期大学は、そもそもうちの学校からは進学する人があまりいないそうだ。先生もあまり情報を持っていないと言っていた。進学者の多くは女子で、実質女子大のようなものらしい。そもそもそんな勇気はない。高校まで共学で生きてきた身としては、なじめないのではと不安がよぎる。ああ、考えるだけで頭が痛い。ずんと重くなった頭を振り、思考ごと宙に放り投げた。
それにしても暑い。私は今日も高校に続く坂を登っていた。手に持っているハンディファンは昨日充電し忘れたため、いつもより動きが鈍い。送風の役目をほとんど果たしておらず、荷物と化している。前髪がはりつき、ベタベタする。あとでちゃんと拭っておかないと肌荒れしてしまうから要注意だ。そもそも、なんで学校と坂はセットなんだろう。しかも上り坂の頂上にあるのが相場である。毎日山登りをしている気分だ。ふと道の脇に目をやると、一ヶ月前にはあんなに鮮やかに咲き誇っていた紫陽花が、容赦ない日差しに焼かれて茶色く縮こまっていた。すっかり水分を奪われたその無残な姿は、干からびかけている今の私のようで妙な親近感すら湧いてくる。連日テレビでは「異例の猛暑に注意」と報道されているが、毎日これだけ暑いのが当たり前になると、猛暑ってなんだっけ? となってくる。「注意」とエアコンの効いたスタジオで言われても、こっちは猛暑の中、毎日山登り通学しなければならないのだ。高校入学前よりも、確実にたくましくなったふくらはぎを軽く揉む。肌はじっとりと汗をまとい指を離してくれない。ペタッとした感触が、私を一層不機嫌にさせる。やたらと声が通るセミたちが、こちらを見下し嘲る。
夏の不快感は、なぜこうも幾重にも折り重なっているのだろう。どれか一つ欠けたところで、季節の役割は十分に果たせるはずなのに。重い足取りでなんとか坂を登りきり、今度は校舎の階段を一段一段上っていく。山登りのあとの階段なんて、地獄でしかない。私たち生徒は「山登りからの階段地獄」という修行に耐えて、やっと教室にたどり着いていることを、先生たちは理解するべきだ。それに免じて、朝一の小テストとかナシにならないだろうか。ああ、とにかく暑い。もうすぐ夏休みなんだから、しばらく修行ともおさらばできるはず。ただ無心でこの険しい道のりを上り続けている。
そんなことどうでもいいのだが、いやどうでもよくはないが、もっとビッグニュースがあった。そらたんの卒業コンサートの日程が決まったのだ。8月30日。オルタンシア史上最大のキャパシティである「埼玉文化スタジアム」で行われることが発表された。
埼玉文化スタジアムといえば、女性アイドルの登竜門と呼ばれる巨大な野外スタジアムだ。一切の屋根がなく、どこまでも広がる空と、夏の終わり特有の気まぐれな夕立で知られている。天気が良ければ夕焼けから夜空へのグラデーションが絶景らしいが、ゲリラ豪雨に見舞われるとメンバーがずぶぬれになり、ステージには子供プールぐらいの深さにまで水がたまるそうだ。ほかのアイドルたちの「伝説の雨ライブ」となった過去の映像も何度か見たことがある。
卒業コンサートまでは2か月を切っており、なかなかスピード感のある卒業だ。相場がどれくらいなのかは私にもはっきりとわからないが、卒業まで2か月しかそらたんの姿を見られないのは短すぎる。そらたんの卒業に関しては気になる部分も多いが、とにかく時間がない。目いっぱいに光るそらたんをしっかり目に焼き付けておかなければ。
それにしても初スタジアム! すごいなあ。すごく広いんだろうなあ。そんなステージの真ん中で歌うメンバーたちを想像するだけで胸が躍る。卒業コンサートじゃなかったら、もっとよかったんだけどな。1期生のみんなにもそのステージで踊ってほしかったな、なんて。卒業していったメンバーたちの顔が浮かんでしまって、ワクワクした気持ちが少しずつナイーブになってくる。今そらたんの卒業について考えるのはやめよう。
やっとたどり着いた教室の扉を開け、まっさきに教室の奥へ視線を向ける。しかし、そこにいるはずの涼花の姿がない。もしかして休みだろうか。
涼花の席と同じ列の一番前。窓際左端の自席につき、スマホを開く。
メッセージアプリの一覧から涼花の名前を探す。トーク画面を開き、「今日は休み?」とメッセージを送った。画面の右側に、ぽつんと吹き出しがあらわれる。
画面を切り替え、SNSを開き、池田そらの卒業コンサートの日程発表から一夜明けたタイムラインを眺める。親指で画面を下にひっぱると、くるりと一回転する矢印が出現し、また新しい情報たちが流れてくる。「スタジアムおめでとう!」という歓喜の声に混じって、「絶対チケット取れない」「倍率えぐそう」といった嘆きも散見された。まあ、今のオルタンシアの勢いを考えれば、チケットが取れなさそうという意見には私も完全に同意だが。
いくら好きなもののことだからといって、そういう情報に踊らされて朝からヒートアップしすぎるのはよくない。私は冷静に画面をスクロールし続けた。
再び画面を切り替えて涼花とのトーク画面を開くが、既読さえついていなかった。すぐにチャイムが鳴り響き、一日のはじまりを告げる合図となった。ホームルームが始まり、担任の口から涼花が欠席であることが事務的に告げられた。体調不良らしいが、詳しいことはわからない。
午前中の授業の合間に何度か机の下でスマホを盗み見たが、私が送ったメッセージの横には、相変わらず既読の文字はなかった。具合が悪いなら仕方ないとは思うけれど、スタンプひとつくらい、返信してくれてもいいのに。
行き場のない小さな不満が、胸の奥でチクリと疼いた。
やがて4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、待ちに待った昼休みがやってきた。教室内が一瞬にして活気づき、あちこちで机をくっつけ合う乾いた音が響き始める。
いつもなら、私は自分の椅子を引きずって、列の一番後ろにある涼花の席へと移動する。でも今日、そこに彼女はいない。がらんとした涼花の席をぼんやりと見つめたあと、私は自席に座ったまま、リュックの中でやけに目立つ巾着を引っ張り出した。
夏休みは来週の木曜日からで、最終登校日は水曜日。つまり今日は、夏休み前最後の土日を目前に控えた金曜日だ。残り一週間を切り、いつもより一層浮足立っている周りから聞こえてくる楽しげな話し声や笑い声が、今日はやけに耳障りで、同時に自分だけが透明になったような気分になる。一人で食べるご飯は、決して味がしないわけではないけれど、ただの「栄養補給」という作業みたいで味気なかった。
別にほかのクラスメイトと仲が悪いわけではない。プリントを忘れたら見せ合いっこしたりするし、休みが続くと心配にもなる。だが、一緒にご飯を食べるグループはすでに決まっているから、あえて他の輪に入ったりはしない。誰かの邪魔になるのも気が引けるので、ひとりでご飯をかきこむ。いつものお母さんの作ったお弁当。今日はシューマイが1個だ。お母さんの気まぐれだろうか。さっきご飯を口に詰めたばかりだが、シューマイも無理やり詰め込んでみる。
「そんなにご飯を口に詰めたらリスみたいだよ〜」
いつか言われた、その能天気な声が脳内で再生され、無意識にお箸の動きが止まる。いつもなら、ここで涼花が私のおかずをひょいっと横取りしながら笑うのだ。彼女の声が聞こえない昼休みは、ひどく無音に感じた。
なぜか泣きそうになる。涼花がいないだけで、教室がこんなにも広く、時間が経つのが遅く感じるなんて思いもしなかった。
そんなことを考えていると、壁にかかった時計の秒針が回り、分針がカチリと動いて12時10分を刻んだ。だが、お昼の放送をはじめるチャイムが鳴らない。時計の秒針は下半分の6を回り、ついには頂点の12までたどり着いた。それを5回ほど繰り返したあと、ようやくチャイムが鳴った。
5分って意外と長いんだな。スマホを見ていると一瞬なのに。手元のブラックアウトした液晶画面は光らない。返信はまだなかった。
遠くのスピーカーからは、今日の放送当番が流すK-POPが響き始めた。雨こそ降っていないものの、このじっとりと肌にまとわりつく梅雨特有の重い空気に流すには、少々ポップすぎる気がする。キャッチーなメロディと軽快なリズムが特徴的だが、サビらしき部分で繰り返している言葉がなにか聞き取れない。英語だと思う。
聞けば聞くほど、
「とっぴー、とっぴー」にしか聞こえない。
とっぴーなんて、言葉があるのだろうか。本当はなんと言っているのか、スマホを開いて検索すれば数秒でわかることだろうけど、そんな気すら起きなくて思考を放棄する。
もしここに涼花がいれば、絶対この謎のフレーズに食いついていたはずだ。「ねえみさき、今とっぴーって言ったよね? とっぴーって何!?」と目を輝かせ、しまいには箸を持ったまま体を揺らし、自分でも「とっぴー♪」と適当な節をつけて歌い始めていただろう。そして私は、「そんな言葉ないでしょ」と呆れながらも、つい笑ってしまっていたはずだ。
彼女がいれば、この意味不明なノイズも「二人だけのくだらない笑い話」に変換されたのに。一人で聞く陽気な音楽は、ただ鼓膜を滑り落ちていくだけの無機質な音の羅列でしかなかった。底抜けに明るいアップテンポな曲調が、私のどんよりとした気分との温度差をさらに浮き彫りにしていく。
ふと窓の外に目を向けると、いつの間にか空は分厚い鉛色の雲に覆われ、しとしとと雨が降り出していた。朝はあんなに晴れていて、うだるような暑さだったのに。
リュックの底に折り畳み傘を常備しているから、ずぶ濡れで帰る事態にはならない。朝お母さんに何度も言われたから、入れておいたものだ。傘があるから濡れるという物理的なダメージはないはずなのに。ガラス越しににじむ灰色の空と、ツーッと流れていく水滴の数をぼんやりと数えていると、ぽっかりと穴の空いたような今日の気分と相まって、どんよりとした憂鬱さが胸の奥のほうまでじわじわと広がっていった。
結局、その日は涼花からの返信がないまま、学校が終わった。
昼休みに窓を濡らしていた雨は、ホームルームが終わる頃にはすっかり上がっていた。出番を待っていたリュックの中の折り畳み傘は、いつかの昼休みの私の箸先と同じように、すっかりお役御免となってしまった。
雨上がりの湿った匂いが立ち込める中、いつも二人で歩く帰り道が、今日はやけに長く感じる。一人のときと二人のときでは、同じ距離の道でも体感時間が違うのではないだろうか。誰か論文を書いて発表してほしい。
ポケットの中でスマホが振動するたびに、少しだけ期待して画面を見てしまう。しかし通知は決まって、ニュースアプリの速報か、どうでもいい公式アカウントからの宣伝だった。涼花に追いLINEをするか悩むが、ウザがられたくないのでやめておく。明日会ったときに「返信なかったじゃん」ってすねてやる。
一人で歩く通学路は、ただの単調な風景でしかなかった。すっかり枯れ果ててしまった坂道の紫陽花も、どこかの家から漂ってくる夕飯の匂いも、涼花がいれば「あーあ、枯れちゃったね」「お腹すいたね」と意味を持つ出来事に変わるのに。今はただ、通り過ぎていくだけの無機質な情報だ。
下り坂の先の、いつもの踏切までたどり着く。今日は電車が来る気配はなく、遮断機は上がったままだった。立ち止まる理由もなく、すんなりと線路をまたぐ。いつもなら「ガチャ成功!」と顔を見合わせて喜ぶところだが、一人で無音の踏切を渡るのは、ひどくハズレを引いた気分だった。
今日は静かだ。カンカンという警報音も、体を揺らしながら話す涼花の声も聞こえない。涼花がいなければ、自分の日常はこんなに退屈なのかと実感する。SNSのフォロワーや、一緒にお昼ごはんは食べないクラスメイト。そことは一線を画す場所に、涼花がいる。
踏切を通り過ぎて駅に向かい、やってきた電車に乗り込む。開かないほうの扉付近を確保し、壁にもたれかかった。いろいろ研究した結果、実はこの場所が一番涼しかったりするのだ。
ふと、窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりと眺める。以前、父親に不意に横顔の写真を撮られたとき、自分の顔が絶望的に平面的だったことを思い出した。
よく見るアイドルの横顔は、激しいライブ中であれ番組の何気ない切り抜きであれ、完璧な立体感を保っている。洗面所の鏡で自分の正面の顔だけを見て「意外と私、アイドルいけるのでは?」なんて勘違いしそうになるが、本物のアイドルとは骨格からして次元が違うのだろう。
テレビの中でキラキラと輝くそらたんたちと、窓ガラスに映るのっぺりとした自分。住む世界が全く違うのだと、何度目かの現実を突きつけられていた。私には何もないからこそ、非日常を見せてくれるアイドルに惹かれるのかもしれない。
でも、涼花は違う。彼女は私の日常で、私と同じ世界にいる等身大の女の子のはずだ。それなのに、そらたんが突然卒業を発表して手の届かないところへ行ってしまったように、涼花までこのままフッと消えてしまうのではないか。紫色の浴衣を選ぼうとしていた彼女の姿がフラッシュバックし、得体の知れない不安が冷房の風と共に肌を粟立たせた。
最寄り駅に着き、クーラーが効きすぎた電車から、熱気が籠もるホームへと投げ出される。背中から腕にかけてゾクッと悪寒が走り、自分の体が思ったよりも冷え切っていたことに気がついた。電車の中の人工的に循環する冷気も、外の生ぬるい熱風も、どちらも不快でたまらない。
ふと前を歩くスーツ姿のサラリーマンらしき人に目をやると、その足の長さに圧倒された。顔が異常に小さい。八頭身ぐらいあるんじゃないだろうか。身長もたぶん180センチは超えている。
そんな圧倒的なスタイルの違いを見せつけられると、自分がいかにちっぽけで平凡な「一般人」であるかを、またしてもダメ押しで突きつけられた気がした。
改札を抜け、駅のロータリーに出たときだった。
ポツリ、と額に冷たいものが落ちた。
見上げると、いつの間にか空は再び分厚い鉛色の雲に覆われている。昼休みのように「しとしと」なんて可愛らしいものではない。ポツリ、ポツリという雨粒は、あっという間にアスファルトを叩きつけるザーザーという激しい雨音に変わった。
結局、リュックを前掛けにして、中から折り畳み傘を出す羽目になるが、底に埋もれた傘に手が届かない。リュックの底がどれくらいなのかはわかっているのに、ずっと奥深くまで底があるかと錯覚するくらい、傘に手が届かなかった。リュックの裏地が黒なのに、黒の傘を入れてきたのが失敗だった。リュックは荷物を詰めすぎているのか不格好な形になっていた。むやみにリュックの中をまさぐっていると、なにか硬い金属のようなもので手の甲をひっかいてしまった。たぶんペンケースにつけたキーホルダーだ。一度リュックから手をだすと、手の甲に赤い線が走り、その周りも摩擦で赤みがかっている。血は出ていないが痛い。もう傘をさすのをやめてしまおうか、とやけになるが、この土砂降りで濡れて帰るのは御免なので、もう一度リュックに手を突っ込む。するとやっと見つけた傘らしき感触。たぶん傘の骨のところだ。力まかせに引っ張ると、傘と一緒にペンケース、ポーチ、ハンディファンがリュックからこぼれ、そのまま地面に落ちた。ポーチがたまたま水たまりの上に落下してしまい、拾うのがおっくうになってしまうくらいには浸かっていた。ポーチの中にはなにを入れていたっけ。電気製品は入れていなかったはずだが覚えていない。もう何も考えたくなくて、人差し指と中指でつまみ上げ、チャックをあけることもなくそのままリュックに突っ込んだ。母親に言われて仕方なく入れた折り畳み傘。こんなことになるくらいなら、いっそ傘を持ってこなかったほうが幸せだったかもしれない。私の今日の運勢は、とことん最悪らしい。
顔をあげると、前を歩いていたあの完璧な後ろ姿のサラリーマンも灰色の雨景色に溶けて見えなくなった。傘の柄を握りしめながら、再び手元のスマホに視線を落とす。5分が10分になり、やがて15分が経っても、ブラックアウトした画面が通知で光ることはなかった。
「……そりゃそうか」
誰に言うともなく小さく呟いて、私はスマホをリュックに放り込んだ。もうどこに期待するだけ無駄なのだ。高校のパンフレットに踊っていた『輝け青春!』という文言と同じ。詐欺だ。勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっている自分が一番滑稽で、惨めだ。
傘を打つ激しい雨音だけが、やけに大きく響いていた。
重い玄関のドアを開けると、生ぬるい家の中の空気がまとわりついてきた。
「おかえりなさい。雨、ひどかったんじゃない?」
キッチンから顔を出したお母さんが、エプロンで手を拭きながら声をかけてくる。
「……ん」
「傘持ってたから大丈夫だった? あ、そういえば今日の夕飯なんだけどね。あっ、思い出した。この間の面談で言われたプリント、まだ机に出しっぱなしだったわよ。先生が言ってたあの大学のこと、お父さんにも一応話しといたから。もう高校生になったんだし、少し真面目に考えないと……」
よりによって進路の話。聞きたくない。明日ならちゃんと話すから。だから、どうか今日だけはその話はしないでほしい。
お母さんの口からとめどなく溢れ出る日常の報告と、少し先の未来への小言。悪気がないのは分かっている。普段なら適当に相槌を打つが、今の私にはそのエネルギーすらなかった。今はなにを言われてもすべてがとげとなり、私を刺激する。私の頭の中や、ぽっかり空いた心の穴を、無神経な言葉でこれ以上かき回されたくなかった。
「……うーん。あとでね」
それだけを返し、濡れた靴を脱ぎ捨てる。ぐっしょりと水分を吸った靴下が、フローリングにペチャッと不快な音を立てた。私が歩いた跡が点々と残っていく。土砂降りで靴の中までずぶ濡れになっていたのだ。このままだと、どこを歩いたのか全部お母さんにばれるだろう。
「ちょっと、ちゃんと聞いてるの?ねえ足洗ってきて、足跡がついているから」
ほら来た。
背中越しに飛んでくる母親の声を「聞いてる」とだけ濁して振り切り、二階にある自室へと続く階段を重い足取りで上がった。
バタン、といつもより強くドアを閉め、外部からの情報を遮断する。今はなにも見たくも聞きたくない。外の激しい雨音も母親の声もここには届かない。静寂が部屋を満たした。
視界の端にオルタンシアのポスターが目につく。小学校のときに壁に貼ったものだから色褪せている。1期生しか写っていないポスターは、そこだけ時間が止まっているようだ。あの頃に戻れたら。アイドルは、自分の歌いたい曲を歌って、好きな色の衣装を着て、自分が歌いたい場所で歌っているのだと思っていた、あの頃に戻れたなら。アイドルも私も、まっさらで何でもできる、なんにでもなれると本気で思っていたあの頃に。壁を埋めているオルタンシアのポスターは、ただそこにあるだけで、私を慰めてはくれない。ただの印刷物で平面的で無機質だ。リュックを床に投げ飛ばし、そのままベッドに仰向けに倒れ込む。ベッドが沈み、もう起き上がれない。ポケットを探ってスマホを取り出す。一緒にポケットに入っていたポケットティッシュが飛んで行った。スマホの画面は、相変わらず冷たい真っ暗な闇のまま、私になんの知らせも届けてはくれなかった。
テストの結果は、赤点ギリギリというわけではないが、かといって良くもない。平均点をやや上回るくらいの、可もなく不可もない点数だった。
三者面談でその成績表を渡された際、担任からは「地元の公立大学を目指すなら、もっと頑張らないと厳しいぞ」と発破をかけられたが、正直言ってその選択肢は頭になかった。
理由はいくつかある。まず、その大学に全く惹かれないからだ。地元と言いつつ片道1時間半はかかるし、ネットの口コミを調べても「こじんまりしている」「校舎が古い」という声で溢れかえっていた。
設置されている学部も、文学部と、一体何を勉強するのか分からない「地域環境学部」の二つしかない。文学部は本や文学について学ぶのだろうと想像がつくが、地域環境学ってなんなんだ。地域の環境について学ぶのか? それは社会学のような文系の分野なのか、それとも地球温暖化などを扱う理系の分野なのだろうか。名前だけでは何の判別もつかない。
なぜここまで「古い校舎」にこだわるかというと、高校受験での苦い経験があるからだ。当時の私は一生懸命勉強して、自分の持ち得る偏差値より上の高校に合格した。しかし、入学してみたら最悪だった。パンフレットの「輝け青春!」という文言や、オープンキャンパスで案内された最新の別館にまんまと騙されていたのだ。
実際は、別館を使う機会はほぼ皆無だ。それに体育館にエアコンはないし、4階南側のトイレは使い物にならない。本校舎には何ヶ所も亀裂が入っているのに、職員室だけはリフォームされてピカピカだった。そんなこと、入学するまでまったく知らなかった。高校の青春をボロ校舎の「自称進学校」に費やしてしまったのだから、大学生活まで無駄にするわけにはいかない。また必死に勉強を頑張って、たどり着く場所がボロ校舎だなんて絶対にごめんだ。二度と同じ過ちを繰り返したくはない。
そもそも、うちの先生たちは生徒のレベルを過信しすぎだ。通常の定期テストでさえ、平均点が赤点を下回るような惨状なのだ。学年トップクラスでさえその大学は合格圏内ギリギリだろうに、私にそこを目指せと言うなんて無謀すぎる。そういう身の丈に合わない指導ばかりしているところが、生徒から「自称進学校」と揶揄される原因なのだろう。
かといってほかの選択肢といえば、私立大学が二つ、自宅から通える範囲にあるものの、毎年同級生の三分の一くらいがそのどちらかに進学する。それはそれでなんだか気が進まない。高校で顔を合わせていた人たちが大学でも一緒なのは、大学へのわくわく感がちょっとなくなる。できれば知っている人が少ない進学先を選びたい。そんなことなら就職すればいいのかもしれないが、まだ学生をやっていたい。どうせ大学を卒業したら就職することになるだろうから、ちょっとでも長く、学生として親のすねをかじって暮らしていたい。ということは、専門学校や短期大学も視野に入れなければならないのだろうか。専門学校は一度入学したら、大きな方向転換が難しいと聞く。やりたいことは何もないのに、無理やり何かを極めるためだけに専門学校を選ぶのは大博打だといえる。もし合わなかったときの、先が思いやられる。残りの選択肢である短期大学は、そもそもうちの学校からは進学する人があまりいないそうだ。先生もあまり情報を持っていないと言っていた。進学者の多くは女子で、実質女子大のようなものらしい。そもそもそんな勇気はない。高校まで共学で生きてきた身としては、なじめないのではと不安がよぎる。ああ、考えるだけで頭が痛い。ずんと重くなった頭を振り、思考ごと宙に放り投げた。
それにしても暑い。私は今日も高校に続く坂を登っていた。手に持っているハンディファンは昨日充電し忘れたため、いつもより動きが鈍い。送風の役目をほとんど果たしておらず、荷物と化している。前髪がはりつき、ベタベタする。あとでちゃんと拭っておかないと肌荒れしてしまうから要注意だ。そもそも、なんで学校と坂はセットなんだろう。しかも上り坂の頂上にあるのが相場である。毎日山登りをしている気分だ。ふと道の脇に目をやると、一ヶ月前にはあんなに鮮やかに咲き誇っていた紫陽花が、容赦ない日差しに焼かれて茶色く縮こまっていた。すっかり水分を奪われたその無残な姿は、干からびかけている今の私のようで妙な親近感すら湧いてくる。連日テレビでは「異例の猛暑に注意」と報道されているが、毎日これだけ暑いのが当たり前になると、猛暑ってなんだっけ? となってくる。「注意」とエアコンの効いたスタジオで言われても、こっちは猛暑の中、毎日山登り通学しなければならないのだ。高校入学前よりも、確実にたくましくなったふくらはぎを軽く揉む。肌はじっとりと汗をまとい指を離してくれない。ペタッとした感触が、私を一層不機嫌にさせる。やたらと声が通るセミたちが、こちらを見下し嘲る。
夏の不快感は、なぜこうも幾重にも折り重なっているのだろう。どれか一つ欠けたところで、季節の役割は十分に果たせるはずなのに。重い足取りでなんとか坂を登りきり、今度は校舎の階段を一段一段上っていく。山登りのあとの階段なんて、地獄でしかない。私たち生徒は「山登りからの階段地獄」という修行に耐えて、やっと教室にたどり着いていることを、先生たちは理解するべきだ。それに免じて、朝一の小テストとかナシにならないだろうか。ああ、とにかく暑い。もうすぐ夏休みなんだから、しばらく修行ともおさらばできるはず。ただ無心でこの険しい道のりを上り続けている。
そんなことどうでもいいのだが、いやどうでもよくはないが、もっとビッグニュースがあった。そらたんの卒業コンサートの日程が決まったのだ。8月30日。オルタンシア史上最大のキャパシティである「埼玉文化スタジアム」で行われることが発表された。
埼玉文化スタジアムといえば、女性アイドルの登竜門と呼ばれる巨大な野外スタジアムだ。一切の屋根がなく、どこまでも広がる空と、夏の終わり特有の気まぐれな夕立で知られている。天気が良ければ夕焼けから夜空へのグラデーションが絶景らしいが、ゲリラ豪雨に見舞われるとメンバーがずぶぬれになり、ステージには子供プールぐらいの深さにまで水がたまるそうだ。ほかのアイドルたちの「伝説の雨ライブ」となった過去の映像も何度か見たことがある。
卒業コンサートまでは2か月を切っており、なかなかスピード感のある卒業だ。相場がどれくらいなのかは私にもはっきりとわからないが、卒業まで2か月しかそらたんの姿を見られないのは短すぎる。そらたんの卒業に関しては気になる部分も多いが、とにかく時間がない。目いっぱいに光るそらたんをしっかり目に焼き付けておかなければ。
それにしても初スタジアム! すごいなあ。すごく広いんだろうなあ。そんなステージの真ん中で歌うメンバーたちを想像するだけで胸が躍る。卒業コンサートじゃなかったら、もっとよかったんだけどな。1期生のみんなにもそのステージで踊ってほしかったな、なんて。卒業していったメンバーたちの顔が浮かんでしまって、ワクワクした気持ちが少しずつナイーブになってくる。今そらたんの卒業について考えるのはやめよう。
やっとたどり着いた教室の扉を開け、まっさきに教室の奥へ視線を向ける。しかし、そこにいるはずの涼花の姿がない。もしかして休みだろうか。
涼花の席と同じ列の一番前。窓際左端の自席につき、スマホを開く。
メッセージアプリの一覧から涼花の名前を探す。トーク画面を開き、「今日は休み?」とメッセージを送った。画面の右側に、ぽつんと吹き出しがあらわれる。
画面を切り替え、SNSを開き、池田そらの卒業コンサートの日程発表から一夜明けたタイムラインを眺める。親指で画面を下にひっぱると、くるりと一回転する矢印が出現し、また新しい情報たちが流れてくる。「スタジアムおめでとう!」という歓喜の声に混じって、「絶対チケット取れない」「倍率えぐそう」といった嘆きも散見された。まあ、今のオルタンシアの勢いを考えれば、チケットが取れなさそうという意見には私も完全に同意だが。
いくら好きなもののことだからといって、そういう情報に踊らされて朝からヒートアップしすぎるのはよくない。私は冷静に画面をスクロールし続けた。
再び画面を切り替えて涼花とのトーク画面を開くが、既読さえついていなかった。すぐにチャイムが鳴り響き、一日のはじまりを告げる合図となった。ホームルームが始まり、担任の口から涼花が欠席であることが事務的に告げられた。体調不良らしいが、詳しいことはわからない。
午前中の授業の合間に何度か机の下でスマホを盗み見たが、私が送ったメッセージの横には、相変わらず既読の文字はなかった。具合が悪いなら仕方ないとは思うけれど、スタンプひとつくらい、返信してくれてもいいのに。
行き場のない小さな不満が、胸の奥でチクリと疼いた。
やがて4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、待ちに待った昼休みがやってきた。教室内が一瞬にして活気づき、あちこちで机をくっつけ合う乾いた音が響き始める。
いつもなら、私は自分の椅子を引きずって、列の一番後ろにある涼花の席へと移動する。でも今日、そこに彼女はいない。がらんとした涼花の席をぼんやりと見つめたあと、私は自席に座ったまま、リュックの中でやけに目立つ巾着を引っ張り出した。
夏休みは来週の木曜日からで、最終登校日は水曜日。つまり今日は、夏休み前最後の土日を目前に控えた金曜日だ。残り一週間を切り、いつもより一層浮足立っている周りから聞こえてくる楽しげな話し声や笑い声が、今日はやけに耳障りで、同時に自分だけが透明になったような気分になる。一人で食べるご飯は、決して味がしないわけではないけれど、ただの「栄養補給」という作業みたいで味気なかった。
別にほかのクラスメイトと仲が悪いわけではない。プリントを忘れたら見せ合いっこしたりするし、休みが続くと心配にもなる。だが、一緒にご飯を食べるグループはすでに決まっているから、あえて他の輪に入ったりはしない。誰かの邪魔になるのも気が引けるので、ひとりでご飯をかきこむ。いつものお母さんの作ったお弁当。今日はシューマイが1個だ。お母さんの気まぐれだろうか。さっきご飯を口に詰めたばかりだが、シューマイも無理やり詰め込んでみる。
「そんなにご飯を口に詰めたらリスみたいだよ〜」
いつか言われた、その能天気な声が脳内で再生され、無意識にお箸の動きが止まる。いつもなら、ここで涼花が私のおかずをひょいっと横取りしながら笑うのだ。彼女の声が聞こえない昼休みは、ひどく無音に感じた。
なぜか泣きそうになる。涼花がいないだけで、教室がこんなにも広く、時間が経つのが遅く感じるなんて思いもしなかった。
そんなことを考えていると、壁にかかった時計の秒針が回り、分針がカチリと動いて12時10分を刻んだ。だが、お昼の放送をはじめるチャイムが鳴らない。時計の秒針は下半分の6を回り、ついには頂点の12までたどり着いた。それを5回ほど繰り返したあと、ようやくチャイムが鳴った。
5分って意外と長いんだな。スマホを見ていると一瞬なのに。手元のブラックアウトした液晶画面は光らない。返信はまだなかった。
遠くのスピーカーからは、今日の放送当番が流すK-POPが響き始めた。雨こそ降っていないものの、このじっとりと肌にまとわりつく梅雨特有の重い空気に流すには、少々ポップすぎる気がする。キャッチーなメロディと軽快なリズムが特徴的だが、サビらしき部分で繰り返している言葉がなにか聞き取れない。英語だと思う。
聞けば聞くほど、
「とっぴー、とっぴー」にしか聞こえない。
とっぴーなんて、言葉があるのだろうか。本当はなんと言っているのか、スマホを開いて検索すれば数秒でわかることだろうけど、そんな気すら起きなくて思考を放棄する。
もしここに涼花がいれば、絶対この謎のフレーズに食いついていたはずだ。「ねえみさき、今とっぴーって言ったよね? とっぴーって何!?」と目を輝かせ、しまいには箸を持ったまま体を揺らし、自分でも「とっぴー♪」と適当な節をつけて歌い始めていただろう。そして私は、「そんな言葉ないでしょ」と呆れながらも、つい笑ってしまっていたはずだ。
彼女がいれば、この意味不明なノイズも「二人だけのくだらない笑い話」に変換されたのに。一人で聞く陽気な音楽は、ただ鼓膜を滑り落ちていくだけの無機質な音の羅列でしかなかった。底抜けに明るいアップテンポな曲調が、私のどんよりとした気分との温度差をさらに浮き彫りにしていく。
ふと窓の外に目を向けると、いつの間にか空は分厚い鉛色の雲に覆われ、しとしとと雨が降り出していた。朝はあんなに晴れていて、うだるような暑さだったのに。
リュックの底に折り畳み傘を常備しているから、ずぶ濡れで帰る事態にはならない。朝お母さんに何度も言われたから、入れておいたものだ。傘があるから濡れるという物理的なダメージはないはずなのに。ガラス越しににじむ灰色の空と、ツーッと流れていく水滴の数をぼんやりと数えていると、ぽっかりと穴の空いたような今日の気分と相まって、どんよりとした憂鬱さが胸の奥のほうまでじわじわと広がっていった。
結局、その日は涼花からの返信がないまま、学校が終わった。
昼休みに窓を濡らしていた雨は、ホームルームが終わる頃にはすっかり上がっていた。出番を待っていたリュックの中の折り畳み傘は、いつかの昼休みの私の箸先と同じように、すっかりお役御免となってしまった。
雨上がりの湿った匂いが立ち込める中、いつも二人で歩く帰り道が、今日はやけに長く感じる。一人のときと二人のときでは、同じ距離の道でも体感時間が違うのではないだろうか。誰か論文を書いて発表してほしい。
ポケットの中でスマホが振動するたびに、少しだけ期待して画面を見てしまう。しかし通知は決まって、ニュースアプリの速報か、どうでもいい公式アカウントからの宣伝だった。涼花に追いLINEをするか悩むが、ウザがられたくないのでやめておく。明日会ったときに「返信なかったじゃん」ってすねてやる。
一人で歩く通学路は、ただの単調な風景でしかなかった。すっかり枯れ果ててしまった坂道の紫陽花も、どこかの家から漂ってくる夕飯の匂いも、涼花がいれば「あーあ、枯れちゃったね」「お腹すいたね」と意味を持つ出来事に変わるのに。今はただ、通り過ぎていくだけの無機質な情報だ。
下り坂の先の、いつもの踏切までたどり着く。今日は電車が来る気配はなく、遮断機は上がったままだった。立ち止まる理由もなく、すんなりと線路をまたぐ。いつもなら「ガチャ成功!」と顔を見合わせて喜ぶところだが、一人で無音の踏切を渡るのは、ひどくハズレを引いた気分だった。
今日は静かだ。カンカンという警報音も、体を揺らしながら話す涼花の声も聞こえない。涼花がいなければ、自分の日常はこんなに退屈なのかと実感する。SNSのフォロワーや、一緒にお昼ごはんは食べないクラスメイト。そことは一線を画す場所に、涼花がいる。
踏切を通り過ぎて駅に向かい、やってきた電車に乗り込む。開かないほうの扉付近を確保し、壁にもたれかかった。いろいろ研究した結果、実はこの場所が一番涼しかったりするのだ。
ふと、窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりと眺める。以前、父親に不意に横顔の写真を撮られたとき、自分の顔が絶望的に平面的だったことを思い出した。
よく見るアイドルの横顔は、激しいライブ中であれ番組の何気ない切り抜きであれ、完璧な立体感を保っている。洗面所の鏡で自分の正面の顔だけを見て「意外と私、アイドルいけるのでは?」なんて勘違いしそうになるが、本物のアイドルとは骨格からして次元が違うのだろう。
テレビの中でキラキラと輝くそらたんたちと、窓ガラスに映るのっぺりとした自分。住む世界が全く違うのだと、何度目かの現実を突きつけられていた。私には何もないからこそ、非日常を見せてくれるアイドルに惹かれるのかもしれない。
でも、涼花は違う。彼女は私の日常で、私と同じ世界にいる等身大の女の子のはずだ。それなのに、そらたんが突然卒業を発表して手の届かないところへ行ってしまったように、涼花までこのままフッと消えてしまうのではないか。紫色の浴衣を選ぼうとしていた彼女の姿がフラッシュバックし、得体の知れない不安が冷房の風と共に肌を粟立たせた。
最寄り駅に着き、クーラーが効きすぎた電車から、熱気が籠もるホームへと投げ出される。背中から腕にかけてゾクッと悪寒が走り、自分の体が思ったよりも冷え切っていたことに気がついた。電車の中の人工的に循環する冷気も、外の生ぬるい熱風も、どちらも不快でたまらない。
ふと前を歩くスーツ姿のサラリーマンらしき人に目をやると、その足の長さに圧倒された。顔が異常に小さい。八頭身ぐらいあるんじゃないだろうか。身長もたぶん180センチは超えている。
そんな圧倒的なスタイルの違いを見せつけられると、自分がいかにちっぽけで平凡な「一般人」であるかを、またしてもダメ押しで突きつけられた気がした。
改札を抜け、駅のロータリーに出たときだった。
ポツリ、と額に冷たいものが落ちた。
見上げると、いつの間にか空は再び分厚い鉛色の雲に覆われている。昼休みのように「しとしと」なんて可愛らしいものではない。ポツリ、ポツリという雨粒は、あっという間にアスファルトを叩きつけるザーザーという激しい雨音に変わった。
結局、リュックを前掛けにして、中から折り畳み傘を出す羽目になるが、底に埋もれた傘に手が届かない。リュックの底がどれくらいなのかはわかっているのに、ずっと奥深くまで底があるかと錯覚するくらい、傘に手が届かなかった。リュックの裏地が黒なのに、黒の傘を入れてきたのが失敗だった。リュックは荷物を詰めすぎているのか不格好な形になっていた。むやみにリュックの中をまさぐっていると、なにか硬い金属のようなもので手の甲をひっかいてしまった。たぶんペンケースにつけたキーホルダーだ。一度リュックから手をだすと、手の甲に赤い線が走り、その周りも摩擦で赤みがかっている。血は出ていないが痛い。もう傘をさすのをやめてしまおうか、とやけになるが、この土砂降りで濡れて帰るのは御免なので、もう一度リュックに手を突っ込む。するとやっと見つけた傘らしき感触。たぶん傘の骨のところだ。力まかせに引っ張ると、傘と一緒にペンケース、ポーチ、ハンディファンがリュックからこぼれ、そのまま地面に落ちた。ポーチがたまたま水たまりの上に落下してしまい、拾うのがおっくうになってしまうくらいには浸かっていた。ポーチの中にはなにを入れていたっけ。電気製品は入れていなかったはずだが覚えていない。もう何も考えたくなくて、人差し指と中指でつまみ上げ、チャックをあけることもなくそのままリュックに突っ込んだ。母親に言われて仕方なく入れた折り畳み傘。こんなことになるくらいなら、いっそ傘を持ってこなかったほうが幸せだったかもしれない。私の今日の運勢は、とことん最悪らしい。
顔をあげると、前を歩いていたあの完璧な後ろ姿のサラリーマンも灰色の雨景色に溶けて見えなくなった。傘の柄を握りしめながら、再び手元のスマホに視線を落とす。5分が10分になり、やがて15分が経っても、ブラックアウトした画面が通知で光ることはなかった。
「……そりゃそうか」
誰に言うともなく小さく呟いて、私はスマホをリュックに放り込んだ。もうどこに期待するだけ無駄なのだ。高校のパンフレットに踊っていた『輝け青春!』という文言と同じ。詐欺だ。勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっている自分が一番滑稽で、惨めだ。
傘を打つ激しい雨音だけが、やけに大きく響いていた。
重い玄関のドアを開けると、生ぬるい家の中の空気がまとわりついてきた。
「おかえりなさい。雨、ひどかったんじゃない?」
キッチンから顔を出したお母さんが、エプロンで手を拭きながら声をかけてくる。
「……ん」
「傘持ってたから大丈夫だった? あ、そういえば今日の夕飯なんだけどね。あっ、思い出した。この間の面談で言われたプリント、まだ机に出しっぱなしだったわよ。先生が言ってたあの大学のこと、お父さんにも一応話しといたから。もう高校生になったんだし、少し真面目に考えないと……」
よりによって進路の話。聞きたくない。明日ならちゃんと話すから。だから、どうか今日だけはその話はしないでほしい。
お母さんの口からとめどなく溢れ出る日常の報告と、少し先の未来への小言。悪気がないのは分かっている。普段なら適当に相槌を打つが、今の私にはそのエネルギーすらなかった。今はなにを言われてもすべてがとげとなり、私を刺激する。私の頭の中や、ぽっかり空いた心の穴を、無神経な言葉でこれ以上かき回されたくなかった。
「……うーん。あとでね」
それだけを返し、濡れた靴を脱ぎ捨てる。ぐっしょりと水分を吸った靴下が、フローリングにペチャッと不快な音を立てた。私が歩いた跡が点々と残っていく。土砂降りで靴の中までずぶ濡れになっていたのだ。このままだと、どこを歩いたのか全部お母さんにばれるだろう。
「ちょっと、ちゃんと聞いてるの?ねえ足洗ってきて、足跡がついているから」
ほら来た。
背中越しに飛んでくる母親の声を「聞いてる」とだけ濁して振り切り、二階にある自室へと続く階段を重い足取りで上がった。
バタン、といつもより強くドアを閉め、外部からの情報を遮断する。今はなにも見たくも聞きたくない。外の激しい雨音も母親の声もここには届かない。静寂が部屋を満たした。
視界の端にオルタンシアのポスターが目につく。小学校のときに壁に貼ったものだから色褪せている。1期生しか写っていないポスターは、そこだけ時間が止まっているようだ。あの頃に戻れたら。アイドルは、自分の歌いたい曲を歌って、好きな色の衣装を着て、自分が歌いたい場所で歌っているのだと思っていた、あの頃に戻れたなら。アイドルも私も、まっさらで何でもできる、なんにでもなれると本気で思っていたあの頃に。壁を埋めているオルタンシアのポスターは、ただそこにあるだけで、私を慰めてはくれない。ただの印刷物で平面的で無機質だ。リュックを床に投げ飛ばし、そのままベッドに仰向けに倒れ込む。ベッドが沈み、もう起き上がれない。ポケットを探ってスマホを取り出す。一緒にポケットに入っていたポケットティッシュが飛んで行った。スマホの画面は、相変わらず冷たい真っ暗な闇のまま、私になんの知らせも届けてはくれなかった。
