転生したらHP10000だった。


 居心地悪そうに目を背けている騎士。
 上の者として呼び出されたのは、たぷんたぽんのお腹を抱えて歩いてきたおじさん。
 確かに服装は騎士とは違って文官みたいな、高価そうな服。
 母様に対して迷惑そうな顔をして、開口一番「王妃様はご挨拶をお断りしておられます」と言い出した。
 あ、あーあ……私、知らない。
 
「まあ、王妃様がわたくしからの挨拶をお断りしたということかしら?」
「どなたの挨拶もお断りしろとのお達しでございます」
「……わたくしが誰かわかっていておっしゃっているのね?」
「もちろんです」
 
 ふん、と鼻を鳴らして「どうぞお席にお戻りください」という偉い感じの人。
 母様、笑顔を深めて「そう」と一言。
 怖いよお……サリィ……。
 
「ふふふ、ご冗談がお上手ね。せめて王妃様にわたくしからの挨拶、とお尋ねしてから来てくださればよかったのに。それとも、本当にわたくしのことをご存じでないのかしら? それなら仕方ないわ。王妃様がそのおつもりでしたら、わたくしとしても他の公爵夫人たちとお話ししなければならないもの」
「え? ……え、ええと……」
「いえ、もう結構よ。王妃様がそのおつもりなのでしたら、いたしかたありませんわ。他の貴婦人の皆様もさぞ残念でしょうけれど……わたくしの方から事情をお話ししておきますわね。ラグジュン伯爵の奥様もいらっしゃっておられましたけれど、ご子息がグレン王子に挨拶できなければ従者の選定がさらに遅れてしまいますから……伯爵のご子息は難しいかしら? あら、喋りすぎてしまいましたわ。ええ、もう結構ですわよ。イリヤ、お部屋に戻りましょうか」
「あ、あ、あ、あの、あっ……」
 
 こわい。
 無理矢理グレン王子を探しに行こう、と思っていたけれど母様が怖すぎてなんにも言えない。
 手を繋がれて、ボックス席に戻る。
 今は、今はダメだ。無理だ。
 母様が怒るようなことをしてはいけない。
 ボックス席の中のソファーに戻ってから母様を恐る恐る見上げると、不機嫌そうに深く溜息を吐いた・
 
「よいですか、イリヤ。母はあまりあなたに口うるさく言いたくありません」
「へ? は、はい」
「ですが貴族たるもの言葉を盾にも武器にもしなければなりません。今、あの騎士や紳士にわたくしが言ったこと、イリヤはどのくらいわかりましたか?」
「え、ええと……」
 
 どのくらいわかる……?
 な、なんにもわかんない。
 困りつつ、でも素直に伝えると微笑まれた。
 そして頭を撫でられる。
 あ、あれ? 機嫌がよくなった……?
 
「本当はイリヤにわたくしのようになってほしくないのだけれど……貴族としてなんの武器も持たずに生きていくのは苦労するでしょう。だから、今後は母の言っていることをよく聞いて、考えるのです。お家に帰ってから母が言葉の意味を教えますからね」
「う、うん。わかった」
「本当は、本当はイリヤには今のままでいてほしいのだけれどね……! ああ、こんな純粋無垢な娘にこんな教育をしなければならないなんて……! なんて悲しいのかしら!」
 
 そういって頭を抱き締めてくる母様。
 いったい母様はさっきのおじさんになにを言ったの……!?
 き、気になる!
 でも、今聞いてはいけないらしい。
 誰が聞いているかわからないから、家に帰ってからおさらいしつつ言葉の裏にどんな意味があったのかを教える、んだって。
 そんなえげつない会話してたの?
 
「し、失礼いたします。オルヴァーニュ公爵夫人」
「なにかしら? 間もなく開演でしょう?」
「ハ、ハイ。そうなのですが……王妃様が挨拶をお許しになるとのことで……」
「そうですか。では王妃様ご自身でグレン王子殿下と演奏会が終わりましたらぜひ、感想を語り合いましょうとお返事してくださいな。もう始まってしまいますもの。わたくしの息子の演奏ですから、演奏中は話しかけないでくださる?」
「あ……。か、かしこまりました……」
 
 カーテンの向こう側からさっきの騎士の声が聞こえてきた。
 王妃様が、会う、って言った!?
 慌てて立ち上がろうとしたが、母様に手で制されて、座り直す。
 母様が笑顔で返事だけすると、会場の明かりが消えていく。
 騎士の鎧の金属音が遠のくと、母様は小声で「今はルイシスの演奏に集中しましょうね。あの子が頑張った技術を、余すことなく聞いてあげるのが礼儀よ」と言う。
 確かに。
 母様の言う通りだ。
 グレン王子のことは本当に気になるけれど、カルレットさんも当初から「演奏会が終わってから、王妃様がグレン王子を連れてきてくださるはずだから、そこで話をしましょう」だった。
 ルイシス兄様の演奏は真剣に聴かなければ!
 ルイシス兄様の演奏、聴くとすごくあったかい気持ちになるからね。
 兄様、家にいる間は本当に毎日ずっと演奏室に籠って練習していた。
 ――そういえば、今より小さい時、兄様の演奏を聴いてた時に、兄様のヴァイオリンの弦が切れて怪我をしちゃったのを思い出した。
 兄様はすごく泣いてて、私はなにもできなくて、一緒に泣いちゃったんだ。
 ルイシス兄様は私の方が泣いちゃったから泣き止んで、血を出す手で私を抱っこしてサリィたちのいる部屋に連れて行ってくれた。
 でもそれが情けなくて、私が兄様を手当てしたんだっけ。
 ルイシス兄様はそんな素人以前に上手くない手当でも笑ってくれて、私の頭を撫でてくれたんだよね。
 怪我をしても、兄様は今も音楽を続けてくれている。
 そんな兄様の努力を……真剣に向き合おう、私も。