「だから、『人間』に育ててもらった覚えなんかない。お父さんは私に餌と寝床を与えて、あとは怒鳴り散らしてるだけでしょ」
仁愛が言った瞬間、父がテーブルに箸を投げつけて立ち上がった。それからパシッと何かを叩く乾いた音。左頬にジーンとした痛みを覚え、仁愛は自分が叩かれたことに気がついた。
頭が真っ白になる。
「この馬鹿娘が! 親をなんだと思ってるんだ! 子供のくせに、偉そうに!」
父は早口で捲し立て、「もう知らん!」と言うと椅子を倒してドスドスと歩き出し、自分の部屋に入って行った。
沈黙。呆然としていた仁愛が我に返ったところで、「仁愛ちゃん」と母の声。
「どうしていつも、お父さんと喧嘩するの? やめてよ、お母さん悲しい」
仁愛は内心で独りごちる。
はいはい、また始まりました。悲劇のヒロインづら。自分一人が可哀想。
(この人たち、なんであたし作ったんだろう)
幼い頃から何度も繰り返した問いをまた繰り返し、考えるより早く浮かぶ答えを頭の片隅に、立ち上がる。
黙ってダイニングを出ると、向こうに母の啜り泣く声が聞こえた。
*
仁愛は部屋着のまま、スマホも持たずに家を出た。目的地は相砂川の橋の下。
(昨日は咄嗟に逃げちゃったけど、別にいいじゃん、キレたホームレスに殴られても……殺されても)
その思考は自暴自棄と言ってしまえばそれまで。しかし、彼女にとっては今の衝動に任せたものではなく、ずっと胸の中にあり続けてきた感情。
(親に教科書を買ってもらえなくて、取り返しに行った先で酷い目に遭いました。……ハハッ、これくらいになれば、可哀想な人づらしても許されるでしょ)
踏切を渡り、静まり返った道を進み、階段を降りる。梅雨の長雨で茶色く濁った川面を横目に、遠くに見える橋を目指す。
(昨日も今日も雨降ってない。……梅雨明けたかな)
そんなことを考えながら橋の下に着いた。段ボールに寝そべって何かを読んでいた男が、「ああ?」とこちらを向く。彼の手にあるのは日本史の教科書。
「お前……」男は何かを言いかけると、じっとこちらを見つめ、「……やっぱりゴミ掃除やることにしたのか?」教科書に視線を戻した。
「それ、あたしの教科書。返して」
仁愛が言った瞬間、父がテーブルに箸を投げつけて立ち上がった。それからパシッと何かを叩く乾いた音。左頬にジーンとした痛みを覚え、仁愛は自分が叩かれたことに気がついた。
頭が真っ白になる。
「この馬鹿娘が! 親をなんだと思ってるんだ! 子供のくせに、偉そうに!」
父は早口で捲し立て、「もう知らん!」と言うと椅子を倒してドスドスと歩き出し、自分の部屋に入って行った。
沈黙。呆然としていた仁愛が我に返ったところで、「仁愛ちゃん」と母の声。
「どうしていつも、お父さんと喧嘩するの? やめてよ、お母さん悲しい」
仁愛は内心で独りごちる。
はいはい、また始まりました。悲劇のヒロインづら。自分一人が可哀想。
(この人たち、なんであたし作ったんだろう)
幼い頃から何度も繰り返した問いをまた繰り返し、考えるより早く浮かぶ答えを頭の片隅に、立ち上がる。
黙ってダイニングを出ると、向こうに母の啜り泣く声が聞こえた。
*
仁愛は部屋着のまま、スマホも持たずに家を出た。目的地は相砂川の橋の下。
(昨日は咄嗟に逃げちゃったけど、別にいいじゃん、キレたホームレスに殴られても……殺されても)
その思考は自暴自棄と言ってしまえばそれまで。しかし、彼女にとっては今の衝動に任せたものではなく、ずっと胸の中にあり続けてきた感情。
(親に教科書を買ってもらえなくて、取り返しに行った先で酷い目に遭いました。……ハハッ、これくらいになれば、可哀想な人づらしても許されるでしょ)
踏切を渡り、静まり返った道を進み、階段を降りる。梅雨の長雨で茶色く濁った川面を横目に、遠くに見える橋を目指す。
(昨日も今日も雨降ってない。……梅雨明けたかな)
そんなことを考えながら橋の下に着いた。段ボールに寝そべって何かを読んでいた男が、「ああ?」とこちらを向く。彼の手にあるのは日本史の教科書。
「お前……」男は何かを言いかけると、じっとこちらを見つめ、「……やっぱりゴミ掃除やることにしたのか?」教科書に視線を戻した。
「それ、あたしの教科書。返して」
