あの橋の下の暗がりに、『今』へ続く君を思う

 忘れ物をしたくらいで叩かれたりしない。——仁愛が、今、そう思えるのは、彼のように考える人が歴史を紡いできた結果だろう。

 過去と今は繋がっている。今に生きる仁愛は、より良い未来へ向かう最前線にいる。

「大丈夫だよ」

 仁愛が言うと、直巳が不思議そうに視線をもたげた。

「確かにあれはお父さんにやられたやつだけど、大丈夫」
「……んなわけないだろ」
「もう平気。怖くない。今度やられたら、また昨日みたいにやり返す」
「そんなことして、家追い出されたらどうすんだよ」
「おじいちゃんの家とか、親戚のおばさんの家とか行くよ。それもダメなら児童相談所とかなんか……今は色々方法があるから大丈夫」

 直巳が悲しげに目を細める。それはきっと、彼にとって、家族と離れ離れになることが悲しいことだから。

 彼の家族はいい人たちだったのだろう。——失い難い人たちだったのだろう。

(直巳が、空襲の前に戻れるといいな)

 仁愛は「あんたこそさ」と言って直巳の頬に触れた。昨日父に叩かれたところが少し赤くなっている。

「これ、大丈夫? ごめんね、あたしを庇って——」

 直巳がその手をぎゅっと握った。仁愛の顔をじっと見つめるのは、真意を見抜こうとしているからか。

「……お前が傷つくのは、嫌なんだ」

 弱々しい、絞り出すような声。彼でもこんな声を出すのか。

(そりゃそうだよ。あたしと大して歳変わらないんだから)

 仁愛は直巳の手を握り返した。硬い皮膚の、ゴツゴツした手。

「あんたが守ってくれるから大丈夫」
「? 俺はずっと一緒にいられるわけじゃないぞ」
「でも、靖国神社でこの国をずっと守るんでしょ? その『国』の中には私もいる」

 言うと、直巳が困ったように笑った。『英霊となってこの国を守護する』なんてことを、本当は信じていなかったりするのだろうか。

「あたしね、今までお父さんに叩かれるたびに、すごく悲しくて消えたくなった。どうして生きてなきゃいけないんだろう。生きてなければこんなに悲しい思いをしなくて済むのに、って」

 今になって振り返ってみると、叩かれたこと自体より、自分の存在を否定されたことの方が苦しくて仕方がなかったように思う。