あの橋の下の暗がりで、『今』に続く君を思う

「ごめんなさい。ちゃんと管理してたんだけど、なくなっちゃったの」

 こういう時、仁愛はすぐに謝る。何をどう論理的に説明したところで無駄だと、幼い頃からの経験で理解しているから。

 ただ、不満はずっと溜まり続けている。『なぜこんなことのために怒られなければならないのか』。

「ちゃんと管理してたなら失くすわけないだろ!」
「そうだけどさ……無いものはないの。だから、新しいの買ってください」
「教科書はその辺の本屋じゃ売ってないんだぞ!」
「知ってるよ。それで先生に聞いたら、駅前の書店で取り寄せを——」
「四月の学校じゃないと買えないだろ!」

 こういう時、父の隣に座る母は、いつも背中を丸めて黙っている。『どうして私はこんな怒鳴り声を聞かなければならないのだろう。ああ不条理。可哀想な私』という顔をして。

「いや、買えるって。一冊から取り寄せられ——」
「お前はどうしてそうだらしがないんだ! 最近は夜にその辺ほっつき歩いてばかり、一体どういうつもりだ!?」
「お父さん、今は教科書の話を——」
「どこかで落として来たんだろう。探して来い!」
「だから、探したんだけど見つからないの。探す当てがあれば買ってなんて言わないよ」
「口答えをするな!」

 唾を飛ばして怒り狂う父に、仁愛は「言わなければよかった」と内心で独りごちる。

(もうすぐ夏休みだし、それまで「忘れました」で耐えて、バイト代入ったら自分で買えばよかった)

 しかし、後悔したところで何にもならない。

「……もういいよ。今のなし。忘れて」
「はあ? それでどうするつもりだ!」
「自分で取り寄せして自分で買う」
「なんだそれは! 教科書すら買えないって、親を馬鹿にしてるのか!」

 こういう時の父は被害妄想が激しい。それを身に沁みてわかっている仁愛は「違うよ」と平静を務めて答えるも、

「そんな無礼な人間に育てた覚えはないぞ!」

 その言葉が心臓の裏を撫でた。

「……こっちだって、育ててもらった覚えなんかないよ」

 思わず口走った言葉に、父が「なんだと!? もう一度言ってみろ!」とヒートアップする。