あの橋の下の暗がりで、『今』に続く君を思う

 仁愛(にいな)の家は、傍目にはどこにでもある一般的な家庭だ。

 父親は会社員。母親は主婦をやりつつ隙間時間にパートの仕事をしている。家は建売の一軒家で、車はありきたりな乗用車が一台。

 特段裕福というわけではないが、貧しいわけでもない。一人娘を塾に通わせる余裕がある。仁愛は過不足ない食事と清潔な衣服を与えられ、十分な教育を受けてきた。


 小学生の頃——初めて父親に叩かれた日、初めて一人で電車に乗って、五駅先の街で暮らす祖父母に助けを求めに行った。

 祖父は言った。

「昔はそんなこと当たり前だったぞ。みんな叩かれて色々学んで、立派な大人になったんだ」

 祖母は言った。

「世の中には、いつもお腹を空かせていたり、ボロボロの服しか着れない人がいるのよ。仁愛ちゃんは塾にも行けて、恵まれてるわ」

 それを聞いて仁愛は思った。自分が感じている不幸は、不幸を叫ぶに値しない小さなものなのだと。

     *

 仁愛は鏡を覗き込み、真っ赤に腫れた左頬にため息をついた。適当に湿布を貼って家を出る。途中まで学校へ行こうとしたが気が進まず、駅近くのショッピングモールへ向かった。

 店を横目に適当に歩く。欲しいものは特になく、あっても買う金はなく、しばらく歩いたら目についたベンチで休み、また歩いて、また休んで。

 昼過ぎ。母がパートに行く時間を見計らって家へ向かう。玄関ドアを開けると、室内から忙しない足音が近づいてきた。

「仁愛ちゃん!?」

 母だ。パートに行く時の髪をひとまとめにしたスタイル。この世の終わりのような顔で走ってくる。

「何度もメッセージ送ったのに、どうして返事しないの!?」

 これまたこの世の終わりのような声色で尋ねられ、仁愛は学校へ行くからとスマホの電源を切っていたことを思い出した。

「……ごめん、電源切ってた」
「佐藤先生からあなたが学校に来てないって連絡があったのよ。どこで何をしてたの?」
「あー……ちょっと、気が進まなくて、駅の方ぶらぶらしてた」

 仁愛が答えると、母は愕然とした顔で「どうしてっ」と口に手を当てる。