「先輩」
よく通る声が俺の耳に届く。
けれど、なんとなく振り返りたくなくて、そのままの姿勢でじっとしていた。
「先輩……」
「…………なに」
あまりに寂しそうな声を出すから仕方なく振り向けば、少し離れた所で立っていた西宮が、満面の笑みを見せて。
かわ……
いいとは思ってない、断じてない。
きゅっとした胸を擦りながら睨むと、おずおずと近付いて来るので、ベンチから荷物を避けて座る場所を空けてやる。
「お久しぶりです」
「お久しぶりって……二日振りだろ」
大袈裟な、と呆れて見せると、隣に座った西宮が距離を詰めてくる。
「俺は毎日会いたいです、先輩」
「お、お……え?」
なんだその熱量。
とは言えずに、ちょっとだけ下がって距離を取る。
こいつの言動は何故か重みがある。
重みがあるのに、重いって訳ではないから不思議だった。
不快じゃない、とかそういう感じ。
「先輩、講義午後からですか?」
「うん、まあ」
「じゃあお昼一緒に食べませんか」
「……良いけど」
なんで?とは、また聞けなかった。
聞いたらまたあの寂しそうな顔をしそうな気がして。
俺のせいで悲しませるのは、少し嫌だった。
「あれ?内海もう来てたのか」
「おー島田」
西宮と食堂でお昼を食べていたら、午前の講義を終えた島田がやってくる。
「西宮君も居たか。仲良くなれたんだな」
「いや、」
「はい!」
「……」
そんなんじゃ、って声は、よく通る西宮の声に掻き消されて。
じとっと西宮を見れば、嬉しそうに微笑まれるので眉間のシワも追加しておく。
仲良くなったとかじゃない。
断じてない。
こいつが何故か俺を見つけて、誘われたから。
だからただ、それだけで。
啜ったうどんを噛みながら、誰にも届かない言い訳を考える。
そもそもなんでこいつは俺の居場所が分かったんだ?
今日なんか初めて行ったどっかの棟の脇にあった適当なベンチに座っていただけなのに。
仲良くなるどころか謎が深まるばかりである。
それで、毎日会いたいって言われたことを考える。
毎日ってなんだ、毎日って。
西宮は一年で、俺は二年で、受けてる講義も違って、お互いサークルも入っていない。
それに俺ら、連絡先すら交換してないだろ。
西宮の言葉に嘘はないと分かるけれど、何がしたいのか、何が目的なのか、よく分からないままだった。
「そういや、今日も飲みあるけど」
「おー行く」
「西宮君も来る?」
「い、いいんですか!?」
「もちろん!」
この二人はなんか、波長が合うんだろうなと思う。
西宮のテンションにいつも、島田のテンションが引き上げられているから。
仲良いのはこっちの二人の方がじゃないか?と思って、胃が重くなったので擦った。
「どした内海」
胃の辺りを擦る俺を見て、島田がこちらを見るから首を傾げる。
「……食いすぎたかも?」
重さはすぐに消えたけれど、理由が分からず変な感じだった。
「だ、大丈夫ですか、残り食べましょうか」
「……ミニうどんで食いすぎた……??」
片や心配なんだか食い意地なんだか分からない反応、片や若干煽りを感じる困惑した反応で、むっとする。
「何でもねぇよ」
ふん、と息を吐けばそれ以上の追求はなく、俺はうどんを食べきる。
いつもはうどんの汁も少し飲むけれど、今日はやめておくか、と顔を上げれば西宮はまだこちらを見ていて。
「もう汁しかねぇぞ」
と、器を傾けて見せると、何故か赤面されたので若干引いた。
いつからうどんの汁は赤面級のものになったんだよ。
結局真相は聞かなかったけれど、俺が器を返しにいくギリギリまでうどんの汁を見つめていたから、本当に食べたかったのか、ただの変態なのか、よく分からなかった。
……何度考えても割合は半々だった。
「先輩」
「おー、迷わなかったか」
「はい!」
今日の飲みは入り組んだ路地にある居酒屋だった。
初めて来る西宮が迷わないように、店先に立って目印の役割をしていたけれど、案外あっさりと合流できた。
「もう島田は中に居るから入ろう」
暖簾をくぐって二階席へ向かうと、くぐもった島田の声が聞こえる。
今日は俺と島田が一年の頃から付き合いのある人しか来ないと聞いていたから、変な先輩が乱入することもなく、楽しく酒に酔う陽気な奴らが見られそうで楽しみだった。
「靴はここな、出してるとトイレ行く奴に勝手に履かれるから仕舞っとけよ」
「はい!」
座敷の入口にある下駄箱を指すと、西宮はキラキラとした顔で頷いている。
さっき合流して以来ずっとキラキラしていて変な奴、と思いながら靴を脱ぐ。
すると西宮がサッと回収して下駄箱に入れてくれるから驚いた。
「おま……」
靴なんて、汚いだろうに。
自分のならまだしも、他人のなんて特にそうだろ。
ちょっと驚きというか、引くというか、変な気持ちを持ちながら、それでいて申し訳なさもあるから複雑な感じで。
「俺の靴、先輩の靴の隣に入れました。これで見失わないですね!」
「……はあ」
そうですか、それは何より……
何故かドッと疲れて、フラつきながら座敷の扉を開くと、後ろから力強く扉を支えられるから胸がぎゅっとする。
これは単に驚いただけで、それ以外の理由なんてある訳なくて。
「先輩、大丈夫ですか?」
「っは」
よく届く西宮の声が耳元で聞こえて、思わず息が漏れる。
慌てて口を抑えたけれど、そんなのとっくに遅くて。
「先輩……?」
「っ、もうやめろ」
背筋とか、尾てい骨の辺りがゾワゾワとするから本当にタチが悪い。
西宮を押して離れて、座敷に入れば島田と目が合って。
「お疲れ内海……って顔赤いぞ、大丈夫か」
「大丈夫」
顔が赤いなんて自分でも分かっている。
誰かさんのせいで、耳まで熱くて仕方なかったのだから。
困惑する島田を他所に、座敷の端に座ると遅れて入ってきた西宮が向かいに座る。
だからメニューで顔を隠していたら、わざわざ横に回って来るから睨んだ。
「あっちのメニュー見ろよ」
「……先輩が見たくて」
「はぁ?」
嫌がらせかよ、って眉にシワを寄せると、微笑まれるから調子が狂う。
初めて会った時の怯えた様子は見る影もなくて、喜ばしいのか腹立たしいのかよく分からなかった。
「烏龍茶、頼みますね」
「…………ありがとう」
何かをしてもらったら、お礼は言うべきで。
俺は俺の中の正しさにまた従っただけで、だからそんな、嬉しそうにされる筋合いはなくて。
ないはずなのに、可愛いなとか、おも……ったりはしないが、心がざわつくからとりあえず引っぱたきたい気持ちだった。
流石に手は出さないけれど。
「料理も種類が沢山ですね。おすすめはありますか?」
注文用のタブレットを操作しながら、楽しそうに聞いてくるから、とりあえず春巻きは食っとけ、と返す。
その返答にすら嬉しそうにされて、俺はちょっとお手上げ状態だった。
なんでこんな楽しそうなんだこいつ。
もうどっかで飲んできたのか?
まだ未成年だろダメだろ。
真相は分からないが、キッと睨むと、座敷の入口が開いてまた人が雪崩れ込んでくる。
その度にあいつは、と関係性の補足を入れて、側に来た奴には西宮を紹介して。
そうしていたからか、西宮はずっと俺の隣に居て、それから、俺が酒を渡されそうになる度、西宮に庇われてちょっとむず痒かった。
俺は別に飲もうと思えば飲めるし、断ることだって自分でできるのに。
それでトイレにも必ず付いてくるから、だんだんと周りも西宮に興味を持ち始めて。
「なんかすげぇ内海に懐いてんな」
「親鳥に付いて行くひよこみてぇ」
「可愛い後輩ができたなぁ」
「内海に懐くのは意外だな」
西宮はその声全てに全力で反応を示していて、その素直さが周りにも気に入られてちょっとした人気者になっていた。
周りから好かれるのは良いことだ。
それなのにまた胃が重くなるから、変。
俺だけ見ていれば良いとか、俺だけ知っていれば良いとか、そんなことは決して思っちゃいない。
思っちゃいないのに、今日はあまり皆が酔って楽しそうな姿を見て楽しめなかった。
俺と西宮だけがシラフのはずなのに、俺だけが一枚壁の向こう側に居るみたいな感覚で。
これがもし嫉妬だというなら、それは西宮に向けられたものなのか、周りに向けられたものなのかによって全然意味合いが変わってくるなと思う。
結局、どちらなのだろうと少し考えて、いや、そもそも嫉妬じゃねぇし、と全てを白紙に戻した。
今日も春巻きが美味しかったし、西宮が頼んでいた蓮根のはさみ揚げは初めて食べたけれど異様に美味しくて、この店のお気に入りがまた増えたなと思う。
それだけで、十分だ。
西宮によって開拓されたことは悔しくあるが、人はみな美味しいものには敵わないのである。
俺が一人春巻きと蓮根のはさみ揚げを追加注文していたら、西宮が嬉しそうに笑ったのは気付かないフリをした。
よく通る声が俺の耳に届く。
けれど、なんとなく振り返りたくなくて、そのままの姿勢でじっとしていた。
「先輩……」
「…………なに」
あまりに寂しそうな声を出すから仕方なく振り向けば、少し離れた所で立っていた西宮が、満面の笑みを見せて。
かわ……
いいとは思ってない、断じてない。
きゅっとした胸を擦りながら睨むと、おずおずと近付いて来るので、ベンチから荷物を避けて座る場所を空けてやる。
「お久しぶりです」
「お久しぶりって……二日振りだろ」
大袈裟な、と呆れて見せると、隣に座った西宮が距離を詰めてくる。
「俺は毎日会いたいです、先輩」
「お、お……え?」
なんだその熱量。
とは言えずに、ちょっとだけ下がって距離を取る。
こいつの言動は何故か重みがある。
重みがあるのに、重いって訳ではないから不思議だった。
不快じゃない、とかそういう感じ。
「先輩、講義午後からですか?」
「うん、まあ」
「じゃあお昼一緒に食べませんか」
「……良いけど」
なんで?とは、また聞けなかった。
聞いたらまたあの寂しそうな顔をしそうな気がして。
俺のせいで悲しませるのは、少し嫌だった。
「あれ?内海もう来てたのか」
「おー島田」
西宮と食堂でお昼を食べていたら、午前の講義を終えた島田がやってくる。
「西宮君も居たか。仲良くなれたんだな」
「いや、」
「はい!」
「……」
そんなんじゃ、って声は、よく通る西宮の声に掻き消されて。
じとっと西宮を見れば、嬉しそうに微笑まれるので眉間のシワも追加しておく。
仲良くなったとかじゃない。
断じてない。
こいつが何故か俺を見つけて、誘われたから。
だからただ、それだけで。
啜ったうどんを噛みながら、誰にも届かない言い訳を考える。
そもそもなんでこいつは俺の居場所が分かったんだ?
今日なんか初めて行ったどっかの棟の脇にあった適当なベンチに座っていただけなのに。
仲良くなるどころか謎が深まるばかりである。
それで、毎日会いたいって言われたことを考える。
毎日ってなんだ、毎日って。
西宮は一年で、俺は二年で、受けてる講義も違って、お互いサークルも入っていない。
それに俺ら、連絡先すら交換してないだろ。
西宮の言葉に嘘はないと分かるけれど、何がしたいのか、何が目的なのか、よく分からないままだった。
「そういや、今日も飲みあるけど」
「おー行く」
「西宮君も来る?」
「い、いいんですか!?」
「もちろん!」
この二人はなんか、波長が合うんだろうなと思う。
西宮のテンションにいつも、島田のテンションが引き上げられているから。
仲良いのはこっちの二人の方がじゃないか?と思って、胃が重くなったので擦った。
「どした内海」
胃の辺りを擦る俺を見て、島田がこちらを見るから首を傾げる。
「……食いすぎたかも?」
重さはすぐに消えたけれど、理由が分からず変な感じだった。
「だ、大丈夫ですか、残り食べましょうか」
「……ミニうどんで食いすぎた……??」
片や心配なんだか食い意地なんだか分からない反応、片や若干煽りを感じる困惑した反応で、むっとする。
「何でもねぇよ」
ふん、と息を吐けばそれ以上の追求はなく、俺はうどんを食べきる。
いつもはうどんの汁も少し飲むけれど、今日はやめておくか、と顔を上げれば西宮はまだこちらを見ていて。
「もう汁しかねぇぞ」
と、器を傾けて見せると、何故か赤面されたので若干引いた。
いつからうどんの汁は赤面級のものになったんだよ。
結局真相は聞かなかったけれど、俺が器を返しにいくギリギリまでうどんの汁を見つめていたから、本当に食べたかったのか、ただの変態なのか、よく分からなかった。
……何度考えても割合は半々だった。
「先輩」
「おー、迷わなかったか」
「はい!」
今日の飲みは入り組んだ路地にある居酒屋だった。
初めて来る西宮が迷わないように、店先に立って目印の役割をしていたけれど、案外あっさりと合流できた。
「もう島田は中に居るから入ろう」
暖簾をくぐって二階席へ向かうと、くぐもった島田の声が聞こえる。
今日は俺と島田が一年の頃から付き合いのある人しか来ないと聞いていたから、変な先輩が乱入することもなく、楽しく酒に酔う陽気な奴らが見られそうで楽しみだった。
「靴はここな、出してるとトイレ行く奴に勝手に履かれるから仕舞っとけよ」
「はい!」
座敷の入口にある下駄箱を指すと、西宮はキラキラとした顔で頷いている。
さっき合流して以来ずっとキラキラしていて変な奴、と思いながら靴を脱ぐ。
すると西宮がサッと回収して下駄箱に入れてくれるから驚いた。
「おま……」
靴なんて、汚いだろうに。
自分のならまだしも、他人のなんて特にそうだろ。
ちょっと驚きというか、引くというか、変な気持ちを持ちながら、それでいて申し訳なさもあるから複雑な感じで。
「俺の靴、先輩の靴の隣に入れました。これで見失わないですね!」
「……はあ」
そうですか、それは何より……
何故かドッと疲れて、フラつきながら座敷の扉を開くと、後ろから力強く扉を支えられるから胸がぎゅっとする。
これは単に驚いただけで、それ以外の理由なんてある訳なくて。
「先輩、大丈夫ですか?」
「っは」
よく届く西宮の声が耳元で聞こえて、思わず息が漏れる。
慌てて口を抑えたけれど、そんなのとっくに遅くて。
「先輩……?」
「っ、もうやめろ」
背筋とか、尾てい骨の辺りがゾワゾワとするから本当にタチが悪い。
西宮を押して離れて、座敷に入れば島田と目が合って。
「お疲れ内海……って顔赤いぞ、大丈夫か」
「大丈夫」
顔が赤いなんて自分でも分かっている。
誰かさんのせいで、耳まで熱くて仕方なかったのだから。
困惑する島田を他所に、座敷の端に座ると遅れて入ってきた西宮が向かいに座る。
だからメニューで顔を隠していたら、わざわざ横に回って来るから睨んだ。
「あっちのメニュー見ろよ」
「……先輩が見たくて」
「はぁ?」
嫌がらせかよ、って眉にシワを寄せると、微笑まれるから調子が狂う。
初めて会った時の怯えた様子は見る影もなくて、喜ばしいのか腹立たしいのかよく分からなかった。
「烏龍茶、頼みますね」
「…………ありがとう」
何かをしてもらったら、お礼は言うべきで。
俺は俺の中の正しさにまた従っただけで、だからそんな、嬉しそうにされる筋合いはなくて。
ないはずなのに、可愛いなとか、おも……ったりはしないが、心がざわつくからとりあえず引っぱたきたい気持ちだった。
流石に手は出さないけれど。
「料理も種類が沢山ですね。おすすめはありますか?」
注文用のタブレットを操作しながら、楽しそうに聞いてくるから、とりあえず春巻きは食っとけ、と返す。
その返答にすら嬉しそうにされて、俺はちょっとお手上げ状態だった。
なんでこんな楽しそうなんだこいつ。
もうどっかで飲んできたのか?
まだ未成年だろダメだろ。
真相は分からないが、キッと睨むと、座敷の入口が開いてまた人が雪崩れ込んでくる。
その度にあいつは、と関係性の補足を入れて、側に来た奴には西宮を紹介して。
そうしていたからか、西宮はずっと俺の隣に居て、それから、俺が酒を渡されそうになる度、西宮に庇われてちょっとむず痒かった。
俺は別に飲もうと思えば飲めるし、断ることだって自分でできるのに。
それでトイレにも必ず付いてくるから、だんだんと周りも西宮に興味を持ち始めて。
「なんかすげぇ内海に懐いてんな」
「親鳥に付いて行くひよこみてぇ」
「可愛い後輩ができたなぁ」
「内海に懐くのは意外だな」
西宮はその声全てに全力で反応を示していて、その素直さが周りにも気に入られてちょっとした人気者になっていた。
周りから好かれるのは良いことだ。
それなのにまた胃が重くなるから、変。
俺だけ見ていれば良いとか、俺だけ知っていれば良いとか、そんなことは決して思っちゃいない。
思っちゃいないのに、今日はあまり皆が酔って楽しそうな姿を見て楽しめなかった。
俺と西宮だけがシラフのはずなのに、俺だけが一枚壁の向こう側に居るみたいな感覚で。
これがもし嫉妬だというなら、それは西宮に向けられたものなのか、周りに向けられたものなのかによって全然意味合いが変わってくるなと思う。
結局、どちらなのだろうと少し考えて、いや、そもそも嫉妬じゃねぇし、と全てを白紙に戻した。
今日も春巻きが美味しかったし、西宮が頼んでいた蓮根のはさみ揚げは初めて食べたけれど異様に美味しくて、この店のお気に入りがまた増えたなと思う。
それだけで、十分だ。
西宮によって開拓されたことは悔しくあるが、人はみな美味しいものには敵わないのである。
俺が一人春巻きと蓮根のはさみ揚げを追加注文していたら、西宮が嬉しそうに笑ったのは気付かないフリをした。


