事件が起きた。
「ぜんばいいいいいじなないでぐださいいいいいい」
「勝手に殺すな」
俺の足が、折れた。
「俺……俺……心臓止まるかと……」
「そうだな、びっくりしたよな、でもちょっと離れてくれ。看護師さん困ってるだろ」
あはは、と笑ってくれている看護師さんに頭を下げながら、縋り付いてくる西宮を引き剝がす。
西宮はちょっとだけ離れてくれたけれど、今度はじっと看護師さんを牽制するように見つめるからその頭を軽く叩いた。
「いだい」
「大人しくしてろ」
「……」
不満そうにしているけれど大人しくなった西宮から視線を外して、看護師さんがしてくれる足の確認を見守る。
看護師さんが俺に触れるたびに腰に巻き付いた西宮の手が反応するから複雑な気持ちになった。
嬉しいような、気恥ずかしいような、気付かれたくないような。
それから先生の確認があって、お許しが出て退室する。
初めてついた松葉杖はなんだか大掛かりでちょっと恥ずかしかった。
「ゆっくり、先輩ゆっくりですよ」
「はいはい」
西宮に見守られながら待合室に座って、松葉杖は西宮に回収される。
ずっと不安そうにしているその膝を叩くと、困ったように笑うからその手も握った。
俺のせいでその困り笑顔をさせるのは嫌なんだけどな、と思いながら、けれど今回ばかりは仕方ないよなと思う。
大学で西宮と、島田と、揃って階段を下っていたら、少し前で同じように下っていた人がやたらと多い荷物を抱えていて。
大丈夫か、ちょっと預かるか?と見守っていたら、足を滑らせる瞬間を見て、咄嗟に体が動いていた。
それからはあっという間だった。
引き寄せたその人ごと階段を一気に滑り落ちて、相手の頭は庇えたけれど、二人共体中を強く打ちつけて。
西宮と島田の叫び声を聞きながら体が止まって、抱えた体が離れていくと、痛そうにしていたその人の顔は俺を見て真っ青になった。
それから謝り倒すその人に、笑いながら起き上がろうとして、足に激痛が走って立てなくて。
西宮が速攻で救急車を呼ぶから、大袈裟だと言ったけれど、頭も打ってたでしょ、と静かに言われて何も言い返せなかった。
一緒に階段を滑り落ちた人には大きな怪我がなくて良かったと思う。
後のことは島田が何とかしてくれているだろう。
俺の怪我は診てもらった結果、足の骨折だけで、他は打撲くらいだった。
人生初のギプスを眺めていたら会計に呼ばれて、立とうとした俺の代わりに西宮が行ってくれる。
その背を見ながら、ちょっと騒がしかった胸を擦った。
階段を滑ってからずっと真剣な顔で対応して俺を支えていてくれた西宮に、俺の胸は煩く高鳴っていた。
「お手洗い大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう」
「じゃあ俺ちょっと荷物取りに帰りますね」
「あ、」
あ。
思わず引き留めてしまって、その手を離す。
服とかなら、俺のがあるし。
ご飯だって、また作ったカレーがあるし。
その、わざに帰らなくても、とか、ちょっと心細い、とか、思ってしまって。
「先輩?」
「……なんでもない。気を付けてな」
やってしまった、と気まずく思いながらソファの上で座り直して、カバンを床に置く。
島田にも連絡しなきゃな、とスマホを取り出そうとすると、手元が暗くなって、影の正体を見上げた。
「先輩、なんで?」
「は?」
「今俺の手を握った理由、です」
「……」
「教えて、先輩。なんで握ったの」
まずいことになったなと思う。
こういう時の西宮は折れないし、ねちっこい。
あんまり刺激しない言葉を探して、けれどどれも負けを認めるようで悔しい。
だから目の前にある腹を押して、離れさせようとする。
なのにその手を掴まれて、ソファの背に押し付けられて、逆光の中見える西宮の顔は表情がよく分からなくて。
「言ってくれないと酷いことしそうです。今の俺はちょっと怒っているので」
「……は?」
怒ってる、って、なんで。
これまでずっと冷静で、診察室ではちょっと暴れていたけれど、ずっと大人しかったのに。
頭の中で西宮が怒りそうなポイントを探る。
看護師さんに触れられたからか?と思って、けれどあれは仕方ないだろうと思う。
ねっとり触られたならまだしも、あれは完全にギプスの様子を見る手つきだった。
戸惑いながら見る西宮の表情はやっぱりよく見えない。
どんな顔で怒っているのか分からなくて、少し不安になる。
怒った西宮は多分、まだ見たことがない。
「先輩、答えて」
「っ」
胃がきゅっとなるような、冷たい声。
なんでそんな声出すんだよ、と何故か泣きそうになる。
嫌われた……?と考えた瞬間、視界が情けなくも滲んだ。
怒るのはいいけど、嫌われるのは怖い。
嫌いにならないで、と思えば、我慢できずに一粒だけ涙が零れた。
「……西宮、こわい」
「っあ」
はっとしたような西宮に、手を離されて、抱き締められる。
顔は見えなくなって、けれど抱き締められているということは、まだ嫌われてはいないのかなと思って、息を吐く。
鼻をすすれば西宮の抱擁が強くなる。
そのまましゃがみこんでいく西宮が離れて、逆光じゃなくなった西宮の顔が少し見えるようになった。
「ごめんなさい先輩、泣かないで」
「泣いてない」
「もう……」
目尻を拭われて、目を閉じる。
数回瞬きすればはっきりとする視界。
泣いてない。
今はもう、だけれど。
「服も飯もあるから、帰らなくても、って、思っただけ」
「……先輩」
「西宮はなんで怒って、んの」
「先輩、ごめんなさい。言葉が悪かったです。怒ってないです。その……嫉妬です」
「……は?」
俺の膝の間で、俺を見上げて困り笑いをしている西宮を見る。
俺のせいでそんな顔をしないでくれ、と両頬に手をやれば、西宮は俺の膝に手を置いた。
なんて言おうか迷っていそうな西宮の頬を撫でる。
西宮は軽く息を吐くと、口を開いた。
「咄嗟に庇った先輩は素晴らしいです。でも身を挺して守られたあの人に嫉妬をしました。それからこんな怪我を負った先輩に、困った気持ちでもあります。かっこいいけれど、物凄く心配しました」
「……ごめん」
「謝ることじゃないです。俺が未熟で、すみません」
頭を下げる西宮の顔を引き上げる。
お前は未熟なんかじゃない。
俺がどれだけ心強かったか、と口を開く。
「心配かけてごめん。ほんとに咄嗟で、何も考えてなかった。救急車呼んでくれて、付き添ってくれてありがとう。心強かったし、ずっと、その……かっこいいと思ってた」
「え?」
驚いたような西宮の視線を受けて、気まずくて視線を泳がせる。
けれどやっぱりまた西宮の目を見て言う。
ちゃんと伝わればいいなと思って、口を開く。
「西宮の判断力とか、俺を支えてくれた力強さとか。傍に居てくれて頼もしかったし、骨折った俺より痛そうにしてるから、なんか落ち着けたし」
「……褒められて、ます、よね?」
「褒めてるよ」
軽く笑えば、西宮も柔く笑う。
それから引き寄せられて、キスをする。
触れるだけかと思ったけれど、唇を舐められて、口を開いて西宮の舌を受け入れる。
俺も舐めて返せば、西宮はようやく満足気に離れていった。
「怖がらせてごめんなさい」
「……いや、うん。嫌われたかもって、勝手にビビっただけ」
「はあああああ」
「んだよ」
折れていない方の足の膝に頭を乗せてきた西宮は、そこで大きなため息を吐いているから頭を撫でてやる。
こいつは俺が思うよりもずっと重めの感情を日頃から抱えているから、ちゃんと吐き出させないとと思った。
「俺に嫌われたと思って泣いちゃう先輩の可愛さにときめいているだけです」
「とき……」
やけに早口な西宮の、拾えた言葉を繰り返そうとして諦めて。
そうしたら西宮がこちらを向くから目が合った。
困り笑いではなくなっていたけれど、その眉間には少し堪えるようなシワが寄っている。
撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じるから、やっぱり本当に犬みたいだと思って笑った。
「はあ、もうめちゃくちゃにしたい……あんまり刺激しないでください、先輩」
「何もしてないだろ」
呆れていたら、西宮が伸びてきて、またキスされる。
それどころか俺の膝を跨いでのしかかってきて、本気のキスをお見舞いされて。
「んっ、ま、てっ」
「俺……どうしよう。今日縛ってもらってもいいですか?」
「はあ?へんたい」
「違いますっ、でもそうです!」
どっちだよ、って言葉は、また降ってきた西宮のキスに飲まれて消えた。
これ幸いと風呂に入れようとしてくる西宮は頑として断った。
折れたのが腕じゃなくて助かった。
「ぜんばいいいいいじなないでぐださいいいいいい」
「勝手に殺すな」
俺の足が、折れた。
「俺……俺……心臓止まるかと……」
「そうだな、びっくりしたよな、でもちょっと離れてくれ。看護師さん困ってるだろ」
あはは、と笑ってくれている看護師さんに頭を下げながら、縋り付いてくる西宮を引き剝がす。
西宮はちょっとだけ離れてくれたけれど、今度はじっと看護師さんを牽制するように見つめるからその頭を軽く叩いた。
「いだい」
「大人しくしてろ」
「……」
不満そうにしているけれど大人しくなった西宮から視線を外して、看護師さんがしてくれる足の確認を見守る。
看護師さんが俺に触れるたびに腰に巻き付いた西宮の手が反応するから複雑な気持ちになった。
嬉しいような、気恥ずかしいような、気付かれたくないような。
それから先生の確認があって、お許しが出て退室する。
初めてついた松葉杖はなんだか大掛かりでちょっと恥ずかしかった。
「ゆっくり、先輩ゆっくりですよ」
「はいはい」
西宮に見守られながら待合室に座って、松葉杖は西宮に回収される。
ずっと不安そうにしているその膝を叩くと、困ったように笑うからその手も握った。
俺のせいでその困り笑顔をさせるのは嫌なんだけどな、と思いながら、けれど今回ばかりは仕方ないよなと思う。
大学で西宮と、島田と、揃って階段を下っていたら、少し前で同じように下っていた人がやたらと多い荷物を抱えていて。
大丈夫か、ちょっと預かるか?と見守っていたら、足を滑らせる瞬間を見て、咄嗟に体が動いていた。
それからはあっという間だった。
引き寄せたその人ごと階段を一気に滑り落ちて、相手の頭は庇えたけれど、二人共体中を強く打ちつけて。
西宮と島田の叫び声を聞きながら体が止まって、抱えた体が離れていくと、痛そうにしていたその人の顔は俺を見て真っ青になった。
それから謝り倒すその人に、笑いながら起き上がろうとして、足に激痛が走って立てなくて。
西宮が速攻で救急車を呼ぶから、大袈裟だと言ったけれど、頭も打ってたでしょ、と静かに言われて何も言い返せなかった。
一緒に階段を滑り落ちた人には大きな怪我がなくて良かったと思う。
後のことは島田が何とかしてくれているだろう。
俺の怪我は診てもらった結果、足の骨折だけで、他は打撲くらいだった。
人生初のギプスを眺めていたら会計に呼ばれて、立とうとした俺の代わりに西宮が行ってくれる。
その背を見ながら、ちょっと騒がしかった胸を擦った。
階段を滑ってからずっと真剣な顔で対応して俺を支えていてくれた西宮に、俺の胸は煩く高鳴っていた。
「お手洗い大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう」
「じゃあ俺ちょっと荷物取りに帰りますね」
「あ、」
あ。
思わず引き留めてしまって、その手を離す。
服とかなら、俺のがあるし。
ご飯だって、また作ったカレーがあるし。
その、わざに帰らなくても、とか、ちょっと心細い、とか、思ってしまって。
「先輩?」
「……なんでもない。気を付けてな」
やってしまった、と気まずく思いながらソファの上で座り直して、カバンを床に置く。
島田にも連絡しなきゃな、とスマホを取り出そうとすると、手元が暗くなって、影の正体を見上げた。
「先輩、なんで?」
「は?」
「今俺の手を握った理由、です」
「……」
「教えて、先輩。なんで握ったの」
まずいことになったなと思う。
こういう時の西宮は折れないし、ねちっこい。
あんまり刺激しない言葉を探して、けれどどれも負けを認めるようで悔しい。
だから目の前にある腹を押して、離れさせようとする。
なのにその手を掴まれて、ソファの背に押し付けられて、逆光の中見える西宮の顔は表情がよく分からなくて。
「言ってくれないと酷いことしそうです。今の俺はちょっと怒っているので」
「……は?」
怒ってる、って、なんで。
これまでずっと冷静で、診察室ではちょっと暴れていたけれど、ずっと大人しかったのに。
頭の中で西宮が怒りそうなポイントを探る。
看護師さんに触れられたからか?と思って、けれどあれは仕方ないだろうと思う。
ねっとり触られたならまだしも、あれは完全にギプスの様子を見る手つきだった。
戸惑いながら見る西宮の表情はやっぱりよく見えない。
どんな顔で怒っているのか分からなくて、少し不安になる。
怒った西宮は多分、まだ見たことがない。
「先輩、答えて」
「っ」
胃がきゅっとなるような、冷たい声。
なんでそんな声出すんだよ、と何故か泣きそうになる。
嫌われた……?と考えた瞬間、視界が情けなくも滲んだ。
怒るのはいいけど、嫌われるのは怖い。
嫌いにならないで、と思えば、我慢できずに一粒だけ涙が零れた。
「……西宮、こわい」
「っあ」
はっとしたような西宮に、手を離されて、抱き締められる。
顔は見えなくなって、けれど抱き締められているということは、まだ嫌われてはいないのかなと思って、息を吐く。
鼻をすすれば西宮の抱擁が強くなる。
そのまましゃがみこんでいく西宮が離れて、逆光じゃなくなった西宮の顔が少し見えるようになった。
「ごめんなさい先輩、泣かないで」
「泣いてない」
「もう……」
目尻を拭われて、目を閉じる。
数回瞬きすればはっきりとする視界。
泣いてない。
今はもう、だけれど。
「服も飯もあるから、帰らなくても、って、思っただけ」
「……先輩」
「西宮はなんで怒って、んの」
「先輩、ごめんなさい。言葉が悪かったです。怒ってないです。その……嫉妬です」
「……は?」
俺の膝の間で、俺を見上げて困り笑いをしている西宮を見る。
俺のせいでそんな顔をしないでくれ、と両頬に手をやれば、西宮は俺の膝に手を置いた。
なんて言おうか迷っていそうな西宮の頬を撫でる。
西宮は軽く息を吐くと、口を開いた。
「咄嗟に庇った先輩は素晴らしいです。でも身を挺して守られたあの人に嫉妬をしました。それからこんな怪我を負った先輩に、困った気持ちでもあります。かっこいいけれど、物凄く心配しました」
「……ごめん」
「謝ることじゃないです。俺が未熟で、すみません」
頭を下げる西宮の顔を引き上げる。
お前は未熟なんかじゃない。
俺がどれだけ心強かったか、と口を開く。
「心配かけてごめん。ほんとに咄嗟で、何も考えてなかった。救急車呼んでくれて、付き添ってくれてありがとう。心強かったし、ずっと、その……かっこいいと思ってた」
「え?」
驚いたような西宮の視線を受けて、気まずくて視線を泳がせる。
けれどやっぱりまた西宮の目を見て言う。
ちゃんと伝わればいいなと思って、口を開く。
「西宮の判断力とか、俺を支えてくれた力強さとか。傍に居てくれて頼もしかったし、骨折った俺より痛そうにしてるから、なんか落ち着けたし」
「……褒められて、ます、よね?」
「褒めてるよ」
軽く笑えば、西宮も柔く笑う。
それから引き寄せられて、キスをする。
触れるだけかと思ったけれど、唇を舐められて、口を開いて西宮の舌を受け入れる。
俺も舐めて返せば、西宮はようやく満足気に離れていった。
「怖がらせてごめんなさい」
「……いや、うん。嫌われたかもって、勝手にビビっただけ」
「はあああああ」
「んだよ」
折れていない方の足の膝に頭を乗せてきた西宮は、そこで大きなため息を吐いているから頭を撫でてやる。
こいつは俺が思うよりもずっと重めの感情を日頃から抱えているから、ちゃんと吐き出させないとと思った。
「俺に嫌われたと思って泣いちゃう先輩の可愛さにときめいているだけです」
「とき……」
やけに早口な西宮の、拾えた言葉を繰り返そうとして諦めて。
そうしたら西宮がこちらを向くから目が合った。
困り笑いではなくなっていたけれど、その眉間には少し堪えるようなシワが寄っている。
撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じるから、やっぱり本当に犬みたいだと思って笑った。
「はあ、もうめちゃくちゃにしたい……あんまり刺激しないでください、先輩」
「何もしてないだろ」
呆れていたら、西宮が伸びてきて、またキスされる。
それどころか俺の膝を跨いでのしかかってきて、本気のキスをお見舞いされて。
「んっ、ま、てっ」
「俺……どうしよう。今日縛ってもらってもいいですか?」
「はあ?へんたい」
「違いますっ、でもそうです!」
どっちだよ、って言葉は、また降ってきた西宮のキスに飲まれて消えた。
これ幸いと風呂に入れようとしてくる西宮は頑として断った。
折れたのが腕じゃなくて助かった。



