『百味堂』

2、すり鉢

 齢十五歳に満たないと思われる背丈の少年を抱え、廃神社の階段を下った。
 
 右手に見える立派な平屋の日本家屋は入口を隠すように木々が植えられている。庭先には冬になって何が育つ訳でもない植木鉢が土だけを入れて霜を育てていた。

 ガララ。
 
 少年が僅かに身動ぎをしたのを感じ、背に回していた腕を僅かに揺らす。

「おい、しっかりしなさい」

 短く呻くような声を上げ、漆黒の、黒曜石のような瞳が間から伺えた。

「なぁに、なんか拾ってきたの」

 眠気眼を擦り寝ぼけた頭を振りながら、少年と同じほどの背丈の少女が気怠そうに歩いてくる。
 
 彼女は百萌(もも)

 ある日、類い稀な魂の形に惹かれた雅が拉致同然に攫ってきた。淡い栗色の瞳にほんの少し癖のある、ウルフカットのような襟足が長く無造作な黒髪。その態度からも柔らかさを滲ませる穏やかで不思議な少女だった。

「神社に行ったら倒れていた。放置も出来ないだろう」
「なぁんだ、食べちゃえばいいのに」

 ほんと、優しいよねと笑いながら手の塞がった雅の代わりに襖を全開にし、少年を抱えて通れるように通路を空ける。目配せだけで感謝をすると、雅は中庭の周りを回って奥の寝室を目指す。
 
 この屋敷は正方形に近い形をして、『回』の形をしたように真ん中に中庭がある。それを囲むように廊下が通り、東側には部屋を挟んで縁側が続いていた。その突き当たりには厠。百萌が「ちびまる子ちゃんの家的な縁側ね」と言っていたが、その子が一体何者なのか雅は知らず首を傾げた。

 少年を客用布団を引きずり出して寝かせる。服には土やら溶けかけた雪やら、葉っぱやら、とにかく色々なものが巻き込まれていたから、帯を解いて楽にさせ、下着だけの状態で布団をかけてやった。

「少し、寒いだろうか」

 ぽつり、と呟いて暖房をつける。台所からはカチャリと茶碗を流しに置く音がする。少年の荒い息が耳に届く。

「……はあ、仕方ない」

 目を閉じ、しばらく念じる。生命力の流れを感じ、形にする感じ。それを少年へと授ける。顔色が幾分か良くなり、眉間に寄っていたシワがゆるりとなだらかになった。
 
 くらり、とめまいが襲う。

「クソッ、こんなに、不足していたか」

 胸元に忍ばせておいた黄色の小さな宝石を口に放る。甘く、じゅわりと口に広がり、全身の血液が熱狂するように沸き立つような感覚がする。口角がほんの少し上がる。

「ふっ」

 鼻で自身を嘲笑し、調剤に使っている書斎へと向かう。朝飯を食べ終え、洗い物を終えたらしい百萌がとたとたとあとを着いてくる。

「雅、また無茶したでしょ。ほら、僕の"喜び"持って行っていいよ。また余ってるから」
「悪いね」

 雅は振り返って百萌に手を向ける。肩にほんの少し指先が届くと、そのまま静止した。じわり、と皮膚を骨を血液を伝って喜びの感情が内へと流れ込んでくる。

 心の、空っぽのそこに雫がぽたぽたと落ちるような速度で溜まっていく。

 じわり、と溜まった黄色が形を成す。

 丸く、棘のないシトリンを思わせる純粋に透明な宝石。

 けほ、と軽く咳をすると、口腔に硬いものがこつりと当たる感覚がする。

「ありがとう」

 口腔から純度の高いシトリンのような宝石を取り出して、雅は百萌に礼を言う。先程まで彼女に纏っていた淡い黄色はしんと鎮まっている。

 百萌が笑う度、彼女の周りには黄色が滲む。
 陽気で明るく、陰りの無い感情。

 また明日にでもふんわりとオーラを纏うように百萌の喜びは再生される。この薬屋の売れ行き商品でもある。

「ううん、いいよ。暇だからお仕事手伝おうと思って」
「そうか、助かる」

 百萌の握ってくる手を拒まずにそのままゆったりと引いて、雪の積もった中庭を横目に調剤部屋に向かう。

 まだ時刻は八時半。雅の、いつもと変わらぬ一日が幕を開ける。じきに医者が来るだろう。ああ、一キロ先を歩く気配がする。あと十五分程は暇になる。

「愛惜の石が足りなかったの」

 百萌が部屋に入ると在庫を確認して報告してくる。雅はすり鉢で脆い憧憬をすり潰し、粉にしていた。すり鉢から顔を上げて百萌の困った顔を見る。

「昨日夜遅くに来た患者に売った。費用は政府へのツケだ。お偉方だったんだろう」
「ふぅん、ならいいけど」

 空っぽになった愛惜の薬棚を引き抜いて、カラッと僅かに残った欠片が転がる音がした。

「愛情類の仕入先が必要だ。近いうちにどこかの高校か、遊郭にでも行こう」

 苦い感情を食ったような顔で言う。愛情類は雅にとって最も理解できない感情だった。もちろん、百萌にも。一度だって彼女の名を呼ぶことはない。二人は契約でのみ結ばれていた。
 
 神に愛し愛される才を持たされながら、誰かの唯一となる才だけを奪われた、ちぐはぐな人間。百萌には同情こそすれど、攫っても物として扱っても、なんの感情も湧かなかった。雅は所詮悪魔らしい。

「すみません、雅さ〜ん?」

 医局から中年の、ふくよかな男が一人到着した。薬の売り買いですっかり常連になった医者の男だった。勝手知ったる素振りで庭に入り、縁側からこちらを覗き込んでいる。

「そこから入ってくれ。急患だ」
「へぇ、そうですか。百萌ちゃんはそこにいるみたいですけどねえ」

 腹を揺らしながらよっこいせと縁側を登り、雅の長細い指に指し示された寝室を目指す。寝室の襖を開けると、あらまあと間抜けな声を出した。

「よく眠ってら」
「応急処置だけはしておいた、あとは頼む」
「へえ、分かりましたよ、アンタの頼みじゃ仕方ねえ」

 男はカバンから聴診器を取り出すと、少年の下着を剥いでその胸に当て、診察を始める。
 再び書斎に戻り、百萌と共に薬を準備する作業に戻る。

 ゴリ……ゴリ……ゴリリ。

 すり鉢を擦る音だけが書斎、そして滲み出て廊下までもを侵食していた。ホコリが振動に揺れて身動ぎする。

 ここはいつだってそうだった。
 人間の感情を宝石にして、まるで展示物のように丁重に仕舞い、封じる。この家にはいつだってへばりつくような沈黙と、すり鉢を擦る音が染み付いている。