不平等な世界に咲く花は

 翌朝、だるさはありつつも少し良くなったと思いながら起床し、顔を洗い終えたところで呼び鈴が鳴る。
 朝から誰かが訪ねてくることなんてほぼないので不思議に思いドアスコープを覗くと、まさかの朝霞さんがいた。

「は? え?」

 思ってもみない相手に言葉にならない声が出て、瞼がせわしなく上下を繰り返す。
 なんでここに? という疑問ばかりが寝起きの頭を埋め尽くし、俺はよく考えもせずカギを外しドアを押し開ける。
 ドアの向こうにいたのはやはり紛れもなく朝霞さんで、俺は唇から疑問の声を零した。

「なんで……?」

 昨日、朝霞さんが先生とここへ来たことは覚えている。彼女に俺を気にかけてもらえると助かるんだと先生が言っていたのも。
 でも、昨日の今日――しかも朝から様子を見に来るとは思わなかった。
 学校もあるし、来るとしても昨日と同じくらいの時間だろうと思っていたんだ。
 そんな思いをすべて込めたようなつぶやきに、朝霞さんは「あ」とひかえめに声を上げた後一気にまくしたてる。

「お、おはよう! その、昨日は具合が悪そうだったから心配で。それと、朝とお昼のごはんにどうかなと思って作ってみたの。よかったら食べて!」
「え?」

 口を挟む暇もなく話されて押し付けられたビニール袋を反射的に受け取ってしまう。料理が入っているタッパーみたいだけれど、もらう理由がないため困る。
 昨日より体調はいいし、食事の用意くらい自分でできる。

 いらないと返そうとしたけれど、朝霞さんはいつものおっとりした雰囲気はどこに置いてきたのかってくらい素早い動きで一歩後ろに下がると、「じゃあ、私学校行ってくるね!」と早口で告げすぐさま歩き出してしまった。
 かなりの早足で歩いているのか、遠のく背中がすぐに小さくなる。
 転ばなきゃいいけど……なんて、どうでもいいことを考えながら見送ってドアを閉め、俺は受け取ったビニール袋から中身を確認した。

 中に入っていたタッパーは二つ。
 それぞれに付箋がついていて、『朝』『昼』と書かれている。

 『朝』の方に入っていたのは、卵焼きと焼き魚が乗った白ごはん。味が移らないようアルミカップに入っているのはホウレンソウのお浸しだった。
 『昼』の方は、焼うどんと蒸し鶏のスライスが五枚ほど入っている。蒸し鶏には何かのタレがかかっていた。
 少なくとも、見た目は美味しそうだ。

「てか、まだ温かい? まさかこれ、朝に作ったのか?」

 夜に作り置きしていたとしたら、昼の分までわざわざ温め直して持ってくる意味はない。
 さっき作ったばかりというような温かさに、俺は本気で驚いた。この種類を朝から作るとなったら、結構早起きしなければならないだろうから。

 でも、どうしてそこまでしてくれるんだ?
 俺、最近は朝霞さんのこと無視してたのに。

 以前幸樹が言っていたように、朝霞さんが本当に俺に好意を持っているんだとしても、あれだけ避けられてどうして体調を気にかけたり食事を用意したりしようと思えるのか……わからない。
 わからなくて、とにかく困った。

「……でも、無駄にするのは悪いよな」

 せっかく作ってくれたものを食べないというのはもったいないし。それに、買ってきてあるおかゆとかはレトルトだから日持ちもするし、また今度食べればいい。
 そう考えて自分を納得させてから、俺はやっと玄関ドアから離れて部屋のローテーブルにビニール袋を置いた。
 昼の焼うどんのタッパーを冷蔵庫に入れてから、箸を持って床に座る。

 朝のタッパーの蓋を開けると、少し迷ってから卵焼きを箸で取った。
 綺麗な黄色の卵焼き。焦げているところもなくて、朝霞さんは料理上手なんだなと純粋に感心する。
 そのまま口に運んで、噛んだ瞬間に出汁の風味が口の中に広がり鼻を抜けていく。
 あまりにも優しい味に、俺は無意識に「おいしい」と言葉を零した。

***

 昼の焼うどんも美味しかった。
 味付けもソースじゃなくて、醤油や出汁がメインの優しい味。まだ微熱が続いていて、完全に治ってはいない俺の舌にはちょうどいい味だった。

 久しぶりにちゃんとした手作りのご飯を食べたおかげか、身体が安心しているような……変な緊張がほぐれたような安らぎを覚える。
 一人暮らししてからまともな料理をすることが極端に減っていたから、本当、数ヶ月ぶりってくらい久々だと思う。
 だからこそ尚更ありがたくて……申し訳なかった。

 俺は、俺の勝手な都合で朝霞さんを無視してきた。
 それなのに今は彼女の優しさに甘えてしまっている状態で、申し訳ない。

 先生と一緒に俺の様子を見に来たり、食事を作ってきたりっていうのは朝霞さんの勝手な行動で、俺が頼んだわけじゃない。だから気にしなくてもいいんじゃないかと思うけれど、実際に助かっている以上やっぱり感謝はするわけで……。
 そうなると、今まであれだけ彼女のことを避けてきたことが申し訳ないと思えてくる。

「とりあえず美味しかったし。ご飯のお礼は伝えるか」

 無視してきたことへの謝罪は……まあ、おいおい。
 と、言いづらい方の言葉は成り行きに任せることにした。
 なんて言えばいいかもわからないしな、と考えながらタッパーを洗い終えると、ふと思った。

「このタッパー、いつ返せばいいんだ?」

 ずっと持っているわけにはいかないし、出席停止期間が終わってから学校で渡すにしても人目が多い。
 困ったな、と思ったけれど、今朝もわざわざ朝と昼のご飯を作って持ってきてくれたくらいだ。きっと明日の朝にも来るだろう。

 明日の朝来たときにタッパーを返して、もう熱も上がらなそうだから大丈夫だと伝えればさすがにもう来ないよな。

 なんて軽く考えていた俺は、その数時間後、自分の考えの甘さを知ることとなった。