不平等な世界に咲く花は

 俺の家は、どちらかというと貧乏だと思う。
 父親はいわゆるブルーカラー系の職種で、優位になるような資格もない一般職だから大した稼ぎもない。
 そんな父親の稼ぎだけじゃまともに暮らせないってのに、母は専業主婦。と言っても、なにやら持病があるらしくて仕事には出られないんだとか。
 見聞きした感じだと精神的な病気らしいけれど、詳しい病名とかどうでもいい。それを理由に子育てもまともにしてくれなかった親のことなんて、中学の頃に見限ってしまっていたから。

 忘れもしない中学三年の春。
 修学旅行の費用は払えないって言われた。
 申請すれば補助金がもらえるはずなのに、その申請すら『そこまでして学校の旅行なんて行かなくてもいいだろ』と面倒そうに言ってやってくれなかったから。
 だから中学生でもできる新聞配達とかの仕事を頑張って、なんとかそのための金額を貯めたっていうのに……あの両親は、近所や職場の祝い事やご不幸が重なってしまったからって、俺の金を奪い取りやがった。

『旅行なんて、大人になってもっと稼いでから行けばいいだろ』

 悪びれもせず、そう言ってあのときしかできない俺の体験と思い出を奪ったんだ。
 あの瞬間、俺はできる限り早く家を出ることを決めた。

 そのためには金が必要で……だから高校生になったらバイトだけでなく投資も勉強して、自分の金を増やした。
 幸いにも、投資に必要な判断力や冷静な感情コントロールとかは俺に備わっていたみたいで、他に必要な知識や分析力を学んで補強していけば、大きなリスクを負うことなく着実に金を増やすことができた。
 様々な会社の企業方針とか、そういう変化する部分を学ぶ継続的な学習意欲もあるし、向いていたのかもしれない。
 おかげで、高二の春ごろには家を出るための資金が集まって、めでたく一人暮らしができるようになったってわけだ。

 それでも今まで育ててもらった恩はあるし、少し後ろめたさはあったんだけど……。
 アパートの連帯保証人を頼むために家を出ることを伝えたとき、あいつらは言ったんだ。

『家を出るなら、今まで育てた分の金を置いていけ』

 ってな。
 笑えるよ、俺が感じていた【育ててもらった恩】っていうのは、金で買えるようなものだったんだ。

 そこで両親に対しての色々な感情は全部諦めに変わって、心も完全に離れた。
 そのまま縁も切りたかったけれど、まだ未成年である俺は親の許可が必要な場合も多くて……。仕方ないから、その【育ててもらった恩】の金は月々三万の仕送りをするってことで話をつけた。
 でも、俺が家を出て金銭的には楽になるはずなのに、両親はその三万ですら少ないって渋ってたくらいだから相当クズなんだろう。
 まあ、高校卒業してもっと稼げるようになったら、ドンッと大きい金額支払って完全に縁を切るつもりだけど。

「そのためには、まずはバイト頑張らなきゃな」

 学校が終わって、早々に教室を出た俺は意気込むようにつぶやいてから、自転車でバイト先に向かった。

***

 カフェのバイトを終えると、俺はアパート近くのスーパーで買い物をしていた。
 今日は使っている洗剤系が安売りしていたから、買いだめしておこうと思って。
 ついでに足りないものはなかったかな? って、定期的に撮ってある冷蔵庫の中の写真をスマホで確認していると、幸樹からメッセージが届く。

【今日もお疲れさん! 次のバイトの休みいつ? たまにはカラオケにでも行こうぜ!】

 悩みなんてなさそうな、学生らしい遊びの誘い。
 気楽そうでいいな、と思いながら【あとでシフト確認しとく】と返しておいた。

 まずは買い物を終わらせて帰らないと。
 時間は有限だし、いつまでもスーパーにいると必要ないものまで買ってしまいそうだ。

 冷蔵庫の中の写真をもう一度見て、買うものを決める。他には目もくれず、目的の冷凍食品コーナーに向かった。
 料理の時間すらも惜しい俺は、レンチンすれば食べられる冷凍食品にかなり助けられてる。
 野菜もちゃんと取った方がいいよな……と冷凍野菜をチラッと見るけれど、結局お好み焼きとか冷凍パスタばかりをカゴに入れてしまう。
 冷凍野菜は買ったとしてもマヨネーズつけるとか醤油かけるくらいしかしないから、結局飽きて食べなくなるし。残るなら無駄にしかならない。

 それならなんとかインゼリーとか、サプリメント飲んでいた方が無駄じゃないなって、そっちをたまに買って飲んでいる状態だ。
 今のところ体調を崩すことにはなってないから大丈夫だろ、なんて問題を先延ばしにしていると、小さな声に名前を呼ばれた。

「え、三ツ橋くん……?」

 ひかえめな呼びかけは数歩分離れた位置から。見ると、焦げ茶の髪を結いもせず流して、俺と同じ学校の制服を着ている女子がいた。

「朝霞さん?」

 なんでここに、と言いかけて、彼女が買い物カゴを持っていることに気づく。
 スーパーにいるんだから、そりゃあ買い物に来ているに決まっているよなと思い直した。
 ただ、ついでに見えたカゴの中身に少し眉を寄せてしまう。
 なんだかモヤッとしてしまって、それを隠すように無難な問いを口にする。

「朝霞さんもここでよく買い物してんの?」
「う、うん。三ツ橋くんも?」

 すると朝霞さんは戸惑いがちにだけれど答え、問い返してきたので俺も答えた。

「ああ。つっても、今年になってからだけど」
「今年から? 今年から買い物頼まれるようになったとか?」
「いや、今年の春にこの近くに引っ越したから」

 答えながら、どう話を切り上げようかと考える。
 単純に長話なんてしないで早く帰りたいし、これ以上朝霞さんと話していると胸のモヤモヤが濃くなりそうだったから。

「そうだったの? 私の家ここの近くだけれど、登校時間が違うのかな? 電車でも会うことないからわからなかったよ」
「いや、俺自転車で通ってるから」

 話を切り上げたいけれど、誰もかれもが電車を使ってるっていう思い込みに少しイラッとして答えてしまう。
 やっぱり、朝霞さんと話しているとモヤモヤが濃くなる。胸にあったソレが喉の奥にへばりついたような感覚までしてきて、表情も取り繕えなくなっていった。

「自転車で!? すごいね、結構距離あるのに……健康のための運動も兼ねて、とか?」

 普段の大人しい様子からは考えられないくらい質問してくる朝霞さんに、俺は本当にうんざりしてしまう。
 ため息を吐いて、もういいや、と思った俺は喉の奥にへばりついていたものを言葉にした。

「健康とかじゃなくて、単純にお金がもったいないからだよ。電車賃すら節約したいの。……高級ステーキ用牛肉なんて買える朝霞さんにはわからないかもしれないけど」
「え……」

 皮肉を込めて吐き出した言葉に、朝霞さんは虚を突かれたように止まる。
 軽く開いて止まった朝霞さんの口がまた動いてしまわないうちに、俺は彼女に背を向けた。

「じゃ、俺早く帰りたいから」

 淡々と告げて、朝霞さんが何かを言う前にその場を去る。
 朝霞さんの姿が見えなくなっても、彼女のカゴに入っていた牛肉の五千円を超えた金額だけが頭の中に残っていた。