ヒメの出張ひとり酒



 * * *


 乗り込んだのは普通車の指定席。二人掛けシートの窓側だ。ラッキーなことに隣には誰も座っていない。
 車両全体を見渡しても乗客は疎らで、これなら札幌までの約四時間、のんびりとマイペースに過ごせそうな予感がした。

(いつも電車に乗ったとき、駅弁を食べるタイミングが掴めないんだよね……)

 お腹が空いたときを基準にするなら、当然今すぐ食べたい。でも、列車が発車する前に食べ始めてしまうのも、どこか風情がない気がする……なんて、くだらないことをグルグル考えていたらだんだん頭が痛くなってきた。
 座席背面のテーブルを引き出し、買ったばかりのいかめしとお茶のペットボトルを並べて腕組みをする。そうこう悩んでいるうちに、ガタゴトと重い音を立てて列車が動き出した。
 途端に、ひとりで真面目に悩んでいたのがなんだか馬鹿らしくなってくる。

(もういいや、食べちゃおっと。今は八時だから……札幌に着くのは昼頃。うん、到着してお腹が空いてたら、何か食べよっかな)

 今日も仕事だというのに、すっかり一人旅気分に浸ってしまっている自分にハッと気づいて即座に反省する。車窓の外へ視線をやりながらフッと苦笑し、いかめしの箱をしっかりと留めている輪ゴムをパチンと外した。
 レトロで味のある包装紙を丁寧に剥がし、パカッと蓋を開ける。

(え、思ってたより結構大きい! この存在感のあるサイズが、まるまる二つも入ってるなんて……)

 箱の中には、食べやすいよう丁寧に輪切りにカットされたいかめしが丸ごと二尾分。脇には申し訳程度に添えられたニンジンとサヤエンドウの煮物があり、素朴ながら鮮やかな色彩が感じられる。

(見るからに甘辛いタレが中まで染み込んでるなぁ……よし、では早速いただきます!)

 割り箸で一口サイズにカットされたいかめしをしっかりと掴み、大きな口を開けてパクッとかぶりつく。すっぽり口に放り込むと、真っ先に歯を包み込んだのは、濃厚なタレを吸ったモチ米の贅沢な食感だった。そして間髪入れずに、噛むほどに旨味があふれ出すいかの柔らかさと、あまじょっぱくコク深いタレの風味が口いっぱいに広がった。

(いかの柔らかさと米のモチモチ感のバランスが完璧すぎる……一口食べただけで、もう手が止まらなくなりそう……)

 だいぶ前に、都内の百貨店で開催されていた北海道物産展で、これとは別のいかめし弁当を買って食べたことがあった。あの日、人生で一度もいかめしを食べたことがなかった真司郎が、「これ美味しそう!」と目を輝かせて興味を持ったのがきっかけだった。
 一口、また一口と噛みしめるたびに……あのときの真司郎の弾けた笑顔が、鮮明に脳裏に蘇ってくる。

(真司郎……いかめし、また食べれたよ。しかも、函館で買ったやつだからか……心なしかあのときより美味しいかも)

 思い返せば、真司郎との思い出は食にまつわるものばかりだ。美味しいものとお酒に対してどこまでも貪欲で好奇心旺盛だった真司郎は、少しでも気になるものを見つけると「まずは食べてみようよ!」と私の手を引っ張っていくような人だった。
 出汁を含んだモチ米の優しい食感が、まるで真司郎の柔らかな温もりそのもののように感じられる。車窓の外へ目をやると、緑豊かな木々の間からキラキラと柔らかな木漏れ日が差し込んでいた。
 ガタゴトと心地よい揺れに身を任せながら、私は深く、温かい愛おしさに包まれていた。

(さて……最後に、とっておきの煮物もいただきます)

 箸を止める間もなくいかめしのターンを夢中で駆け抜けてしまったため、彩りのニンジンとサヤエンドウはすっかり最後になってしまった。
 じわりと滲み出るニンジンの素朴な甘みと、サヤエンドウのシャキッとした心地よい歯ごたえ……それが、いかめしが残した甘辛く優しい余韻を見事に引き締めてくれた。

(ああ……もう食べ終わっちゃった……)

 お茶を一口飲んで口の中をすっきりとリセットすると、途端にふんわりとした小さな空虚感が押し寄せてくる。それと同時に、温かい車内の空気が満腹になった胃袋を優しく撫で、強烈な睡魔を連れてきた。
 食べたばかりのテーブルをサッと片付け、シートの背もたれに深く体重を預けて静かに目を瞑る。

(昨日の透き通るようなイカ刺しといい……函館名物のイカをこれ以上ないくらい完璧に堪能できたなぁ。もう本当に、言うことなしの満足感だよ……)

 そのままスーッと意識が遠のきそうになったその瞬間……やらなければいけない重要な使命を思い出した。強引に重い瞼をパッチリと見開き、引っ込めたばかりの背面テーブルをもう一度バタンと引き出す。
 その上に、鞄から取り出した愛用のノートパソコンをセッティングした。

(昨日の内容をブログにしないとじゃん!)

 函館から札幌への約四時間という長距離移動は、昨夜のひとり酒の内容をブログ記事へ落とし込むための執筆タイムとして最適だった。そう、昨日の夜から考えていたのだ。昨日撮った写真はクラウド上に保存されてあるので、あとはいつも通りのテイストの文章を書くだけ。
 仕事も大事だけど、私にとってこっちも重要なライフワークだ。

 ……一時間ほどキーボードをカタカタと叩き、昨日の感動をそのまま記事へと仕立て上げた。推敲を重ね、無事に投稿ボタンを送信完了。
 安堵感とともにパソコンを閉じ、残りの移動時間で今度こそゆっくりと意識を眠りの中へと沈めることにする。

(札幌着いたら、何食べようかな……いや、冷静に考えたら、そんな時間はないか……)