ヒメの出張ひとり酒



 * * *


 これから初夏を迎える函館は、スーツ姿だと少し肌寒く感じる。とはいえ今の私は、満席の機内で熱気がこもっていたおかげで体温が上がっており、火照った体にはむしろ心地よいくらいの適温だった。

(うわぁ……風がひんやりしてて気持ちいいな……)

 解放感に浸るように、空に向かって思い切り伸びをした後、空港近くのレンタカー屋へ向かった。そこで予約していた軽自動車を一台、借り受ける。
 効率よく市内の店舗を見て回るには、車移動が必須だ。機内持ち込みサイズの小さなキャリーケースをトランクに放り込めば、荷物を引きずることなく身軽にラウンドできる。
 まさに、一石二鳥だった。

(よし、出発進行ー!)

 最初に向かうヤガワ電機の開店時刻は午前九時。客足が少ない開店直後から、じっくり視察したいポイントが山ほどある。今から向かえば、ちょうど開店五分前に到着する完璧なスケジュールだ。

(……あ、あれって……!)

 車を走らせていると、視界の端に鮮やかな看板が飛び込んできた。以前、旅雑誌で見かけた函館名物のローカルコンビニだ。

(あそこの『やきとり弁当』が、すごく美味しそうだったんだよなぁ……)

 気がついたときには、私の手は勝手に左ウィンカーを出し、吸い寄せられるように駐車場へハンドルを切っていた。
 今日のお楽しみのために夕方まで空腹を貫く、と固く誓ったはずなのに……ご当地の絶品グルメを前にすると、私の自制心はあっけなく崩壊してしまうのだった。

 店内に入り、迷わず『やきとり弁当』の小サイズを注文する。タレと塩で一瞬葛藤したものの、この後の仕事を考えてさっぱりとした塩を選んだ。
 注文を受けてから、店内の専用調理場で手作りしてくれるシステムらしい。レジの奥にある焼き場からジュウジュウと肉の焼ける香ばしい音が響き、店内に食欲のそそる匂いが充満していく。
 早朝ということもあって先客はおらず、私の注文したお弁当はあっという間に完成した。熱々の容器を受け取り、急いで車内へと戻る。

(ふふふ……それじゃあ、いただきます!)

 車内で膝の上に広げ、発泡スチロールの蓋をパカッと開ける。やきとりと銘打ってはいるものの、串に刺さっているのはツヤツヤと脂の乗った豚の精肉だ。道南エリアでは、やきとり=豚肉を指すのが常識なのだと、以前何かの本で読んだ記憶が蘇る。

 香ばしく焼き目のついた串が三本。その下には海苔が敷かれ、一番下にふっくらとしたお米が詰まっている。全体に振りかけられた塩コショウのスパイシーな香りが、確定で美味いだろうと予期させた。
 一口かぶりつくと、豚肉のジューシーな旨味と絶妙な塩気が口いっぱいに広がる。これ……ただの塩コショウではない?

(ん……? ちょっとガーリックが入ってる……?)

 片手でスマホを取り出し検索してみると、まさにビンゴだった。主張しすぎない絶妙なニンニクの風味が隠し味になっていて、一度食べ始めたら箸が止まらなくなる中毒性がある。

(ああ……これ、真司郎(しんじろう)にも食べさせてあげたかったな……)

 脳裏に、目を細めて幸せそうに串を頬張る真司郎の笑顔が浮かぶ。
 思い出すと……どうしても胸の奥がキュッと切なくなってしまう。これから大事な仕事だというのに、しんみりしている場合じゃない……。

(よし、切り替え切り替え! ああでも……この濃いめの味、冷えたビールか芋焼酎の炭酸割りで流し込んだら最高だろうなぁ……)

 ……お楽しみは、夕方に。
 我に返り、わずか十分足らずで綺麗に平らげると、急いで車を発進させた。
 朝からこんなガツンと重厚なご当地グルメを食べるなんて、完全に想定外だった。だけど、あんな魅力的な看板を視界に入りやすい場所に掲げているコンビニ側にも責任がある……なんて、心の中で完全な責任転嫁をしてしまう。

 時計に目をやると、ヤガワ電機の開店時刻をほんの少し過ぎるタイミングになっていた。

(まあでも、開店ジャストに着いたら朝礼とか開店作業のバタバタにお邪魔することになっちゃうし……少し落ち着いた頃に伺うほうが、店舗スタッフさんの迷惑にならないか)

 閑散とした立体駐車場の空きスペースに車を停めると、すぐに車から降りるのではなく、まずは身なりを整えることに集中した。
 口臭対策に強めのミント系タブレットを二粒口へ放り込み……仕上げに鏡を見ながら、顔色がパッと明るく見える肌馴染みのいいリップを塗り直す。

 ……よし、準備完了だ。
 最後にスマホを見て、何か通知が届いていないか確認した。

(あ、コメントが届いてる)

 それは会社の業務端末ではなく、個人のスマホに表示された通知だった。
 グルメブログ『呑み処・ヒメと真のうまいもん記』に届いた、フォロワーからのコメント。前回の記事に、フォロワーからのいいねマークと温かい一言コメントが寄せられていた。

(この人、いつも熱心に見てくれて……嬉しいなぁ。きっと、真司郎も喜んでくれているはず)

 画面を愛おしく撫でてからスマホをバッグに仕舞い、深呼吸を一つ。
 仕事と、美味しいお酒とグルメ。それこそが今の私の、かけがえのない生きがいだ……。