東宮に対してあからさまに顔をしかめるなんて、あるまじき態度であるが、織衣は好かれる予定がないのでかまわない。
すると、惟人が笑いながら立てた膝の上に腕を置いた。
「物怖じしない真っ正直な振舞いは、父親の時国とそっくりだな」
「それはありがとうございます。で、何用にございましょう?」
「つれなくするな。御妻合わせに来たのだろう?」
「それを言うなら東宮さまこそ、お選びにならぬとおっしゃっていたではありませぬか」
「選ばないとは言ったが、相手をしないとは言っていない」
惟人がしれっとした顔で言う。さっきの千菊といい、御所にはどうにも揚げ足取りが多いらしい。
どちらにしろ、東宮を無理やり追い出すことなどできない。しぶしぶ織衣は先を促した。
「長居されるとますます誤解を招きます。用件をさっさとおっしゃってください」
「分かっていないな。長居するために来たのだ。でないと、わざわざ来た意味がない」
言って惟人は、「何を話そうか」などと呟く始末である。
全くもって悪びれる様子がない。いらっと歯噛みする織衣の前で、惟人がのんびりあごひげをさすった。
「そう言えば、今ほど他の姫君と一緒に咲子のところへ挨拶に行っていたと申していたな。無駄な儀礼はするなと言っておいたはずだが?」
「人となりを知るためです。これは無駄ではありません」
「ふむ……。咲子が皆を呼んだのか?」
「違います。それぞれ挨拶に上がったのですが、宮さまの計らいで一緒にご挨拶となりました。皆さまとお喋りができて良かったです」
「なるほど、咲子らしい心配りだな」
惟人が納得顔でうなずいた。彼の言葉から、咲子が信頼されている存在であることがうかがえる。咲子の父である柏親王と惟人は不仲であると聞いていた織衣にとって、これは意外だったが、咲子の人柄であれば納得もいった。
「で、会ってみて他の姫君たちはどうであった?」
「どうとは……。それこそ宮さまにお聞きになればよろしいかと」
「咲子に聞いても、みな愛らしい姫君だとはぐらかされるだけだ。それに、私はそなたの意見が聞きたい。感じたことを率直に申せ。遠慮も忖度もいらぬ」
そう言われ、織衣は少なからず緊張する。自分の発言が、他の姫君の立場に影響を与える可能性があるからだ。嘘をついて誰か一人を貶めることも可能である。
しかし、それは織衣の信条に反することだ。
「では、申し上げる前に一つだけ」
「なんだ?」
「まずもって東宮さまのお心に留めておいていただきたいことは、あくまでも私の感じたことでしかないということでございます。あの短時間でそれぞれの姫君さまを全て理解したとは私も思っておりませぬ」
織衣は、今から話すことがあくまでも自分自身が感じたことであり、真実は分からないことを強調した。
惟人が小さく鼻を鳴らしつつ笑う。
「妙なところだけ律儀だな。言われずとも分かっておる。申せ」
「はい」
それから織衣は、初乃舎の姫君たちとの顔合わせについて、一つ一つ惟人に話して聞かせる。珠緒の頼りなげではあるが周囲を気遣う様子や、芯の強さを感じた幸の言動、そして他を圧倒する華やかな千菊の振る舞い──。また、皇族である咲子は別格であり、常に自分たちの話を公平に導いてくれたことも。
惟人は、時おり思案げに視線を巡らせては、織衣の話をじっと聞いている。広間での高圧的な態度とは全く違い、なんだか拍子抜けてしまう織衣である。そして、織衣の話がひととおり終わると、彼はふうっと大きなため息をついた。
惟人が織衣の話を飲み下すように頷きながら、あごひげをさする。
「あの……?」
「だいたい分かった」
静かに考えを巡らせる惟人の様子はとても思慮深く見えて、女に刃を向けたという噂が嘘のようだ。
(それに、やっぱり綺麗なお顔ね。これは女が放っておかないわ)
気づけば織衣は惟人の顔をじっと見つめていた。大好きな無精ひげも相まって、観察したくなるそれである。ふと、織衣の視線に気づいた惟人が怪訝な顔をした。
「なんだ?」
「ああ、いえっ。ひげをお剃りにならないのかと思って」
「ひげか? 剃ってもいいんだが……」
「えっ、剃ってしまわれるので??」
「どっちだ」
鋭く突っ込まれ、織衣はすかさず「私ごときが意見するものではございません!」と誤魔化した。その慌てた様子がおかしかったのか、惟人がぷっと吹き出した。
和んだ顔に無精ひげが加わって、人懐こさ倍増である。
おお、なんと貴重な見目麗しの無精ひげ。
「怖くない顔もできるではないですか」
うっかり織衣は本音をこぼす。しかし、すぐに「まずい」と思い直し、彼女は慌てて口を閉じた。
すると惟人の表情が途端に硬くなり、彼はその冷めた顔をぐいっと織衣に近づけた。
「……そなたは人が良すぎるな」
そのどこか責めるような口調が織衣の胸をちりっと焼く。「人がいい」とは褒め言葉だと思っていたが、どうやら惟人にとっては違うらしい。
さっきまでの浮かれた気持ちが一気に冷め、織衣はまっすぐ惟人を見返した。
「すぎるかどうかは存じ上げませぬが、これが私にございます。私の父、大伴時国も人を信じることを信条にしておりますれば」
「足元をすくわれなければいいがな」
「すくわれたら、そこで再び立ち上がればいいだけ。なんの問題もございませぬ」
言って織衣は挑発的な笑みを浮かべる。
悪いが、己の矜持にかかわることは相手が東宮であっても譲るつもりはない。そこを否定すると言うのであれば、全力で戦うのみだ。
「ふん……」
惟人が興ざめだとばかりに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
人を信じるなど馬鹿馬鹿しいと言わんばかりだ。
そうか、と織衣は思う。
「東宮さまは、人を信じておらぬのですね」
「当然だな。信ずるに足る存在だとは思っていない」
「お噂の女嫌いはそこからですか? とすれば、正しくは女嫌いではなく人嫌いでいらっしゃる」
「だとしたらどうする?」
冷めきった目を惟人は織衣に向ける。彼は、皮肉げな笑みを口元に浮かべた。
「時国に中宮も夢ではないとそそのかされたか? それとも私を手懐けろと命を受けたか? 残念だったな。何度も言うが、私が誰かを選ぶことはない」
「違います。人を見てこいと、そう言われました」
織衣は、その視線を真っ向から受け止めつつ惟人に答えた。
「誰が何を考え、どう動くのか。この目で見るために私はここにいる。あなたさまも含めて」
「面白い。では、おまえに私はどのように見えている?」
「傍若無人、手慣れた女嫌い、ひねくれ者──ですが、意味もなく女に刃を向けるほど阿呆ではないとお見受けいたしました」
織衣が率直に答えると、惟人は声を上げて笑った。そして、すっくと立ち上がる。
「いよいよ面白い。明日からこの東宮御所がどうなるか楽しみだ。困った時は、私を頼って良いぞ」
「お断りいたします。困ることなどございませぬ」
「そうか?」
「そうです。さあ、お帰りを」
言って織衣も立ち上がると、御簾を押し上げて惟人に退出を促す。気がつけば、すっかり日も暮れて辺りは暗くなっている。
「また来る。楽しみに待っておれ」
惟人のせせら笑いが、夕闇の中に溶けて消えた。
すると、惟人が笑いながら立てた膝の上に腕を置いた。
「物怖じしない真っ正直な振舞いは、父親の時国とそっくりだな」
「それはありがとうございます。で、何用にございましょう?」
「つれなくするな。御妻合わせに来たのだろう?」
「それを言うなら東宮さまこそ、お選びにならぬとおっしゃっていたではありませぬか」
「選ばないとは言ったが、相手をしないとは言っていない」
惟人がしれっとした顔で言う。さっきの千菊といい、御所にはどうにも揚げ足取りが多いらしい。
どちらにしろ、東宮を無理やり追い出すことなどできない。しぶしぶ織衣は先を促した。
「長居されるとますます誤解を招きます。用件をさっさとおっしゃってください」
「分かっていないな。長居するために来たのだ。でないと、わざわざ来た意味がない」
言って惟人は、「何を話そうか」などと呟く始末である。
全くもって悪びれる様子がない。いらっと歯噛みする織衣の前で、惟人がのんびりあごひげをさすった。
「そう言えば、今ほど他の姫君と一緒に咲子のところへ挨拶に行っていたと申していたな。無駄な儀礼はするなと言っておいたはずだが?」
「人となりを知るためです。これは無駄ではありません」
「ふむ……。咲子が皆を呼んだのか?」
「違います。それぞれ挨拶に上がったのですが、宮さまの計らいで一緒にご挨拶となりました。皆さまとお喋りができて良かったです」
「なるほど、咲子らしい心配りだな」
惟人が納得顔でうなずいた。彼の言葉から、咲子が信頼されている存在であることがうかがえる。咲子の父である柏親王と惟人は不仲であると聞いていた織衣にとって、これは意外だったが、咲子の人柄であれば納得もいった。
「で、会ってみて他の姫君たちはどうであった?」
「どうとは……。それこそ宮さまにお聞きになればよろしいかと」
「咲子に聞いても、みな愛らしい姫君だとはぐらかされるだけだ。それに、私はそなたの意見が聞きたい。感じたことを率直に申せ。遠慮も忖度もいらぬ」
そう言われ、織衣は少なからず緊張する。自分の発言が、他の姫君の立場に影響を与える可能性があるからだ。嘘をついて誰か一人を貶めることも可能である。
しかし、それは織衣の信条に反することだ。
「では、申し上げる前に一つだけ」
「なんだ?」
「まずもって東宮さまのお心に留めておいていただきたいことは、あくまでも私の感じたことでしかないということでございます。あの短時間でそれぞれの姫君さまを全て理解したとは私も思っておりませぬ」
織衣は、今から話すことがあくまでも自分自身が感じたことであり、真実は分からないことを強調した。
惟人が小さく鼻を鳴らしつつ笑う。
「妙なところだけ律儀だな。言われずとも分かっておる。申せ」
「はい」
それから織衣は、初乃舎の姫君たちとの顔合わせについて、一つ一つ惟人に話して聞かせる。珠緒の頼りなげではあるが周囲を気遣う様子や、芯の強さを感じた幸の言動、そして他を圧倒する華やかな千菊の振る舞い──。また、皇族である咲子は別格であり、常に自分たちの話を公平に導いてくれたことも。
惟人は、時おり思案げに視線を巡らせては、織衣の話をじっと聞いている。広間での高圧的な態度とは全く違い、なんだか拍子抜けてしまう織衣である。そして、織衣の話がひととおり終わると、彼はふうっと大きなため息をついた。
惟人が織衣の話を飲み下すように頷きながら、あごひげをさする。
「あの……?」
「だいたい分かった」
静かに考えを巡らせる惟人の様子はとても思慮深く見えて、女に刃を向けたという噂が嘘のようだ。
(それに、やっぱり綺麗なお顔ね。これは女が放っておかないわ)
気づけば織衣は惟人の顔をじっと見つめていた。大好きな無精ひげも相まって、観察したくなるそれである。ふと、織衣の視線に気づいた惟人が怪訝な顔をした。
「なんだ?」
「ああ、いえっ。ひげをお剃りにならないのかと思って」
「ひげか? 剃ってもいいんだが……」
「えっ、剃ってしまわれるので??」
「どっちだ」
鋭く突っ込まれ、織衣はすかさず「私ごときが意見するものではございません!」と誤魔化した。その慌てた様子がおかしかったのか、惟人がぷっと吹き出した。
和んだ顔に無精ひげが加わって、人懐こさ倍増である。
おお、なんと貴重な見目麗しの無精ひげ。
「怖くない顔もできるではないですか」
うっかり織衣は本音をこぼす。しかし、すぐに「まずい」と思い直し、彼女は慌てて口を閉じた。
すると惟人の表情が途端に硬くなり、彼はその冷めた顔をぐいっと織衣に近づけた。
「……そなたは人が良すぎるな」
そのどこか責めるような口調が織衣の胸をちりっと焼く。「人がいい」とは褒め言葉だと思っていたが、どうやら惟人にとっては違うらしい。
さっきまでの浮かれた気持ちが一気に冷め、織衣はまっすぐ惟人を見返した。
「すぎるかどうかは存じ上げませぬが、これが私にございます。私の父、大伴時国も人を信じることを信条にしておりますれば」
「足元をすくわれなければいいがな」
「すくわれたら、そこで再び立ち上がればいいだけ。なんの問題もございませぬ」
言って織衣は挑発的な笑みを浮かべる。
悪いが、己の矜持にかかわることは相手が東宮であっても譲るつもりはない。そこを否定すると言うのであれば、全力で戦うのみだ。
「ふん……」
惟人が興ざめだとばかりに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
人を信じるなど馬鹿馬鹿しいと言わんばかりだ。
そうか、と織衣は思う。
「東宮さまは、人を信じておらぬのですね」
「当然だな。信ずるに足る存在だとは思っていない」
「お噂の女嫌いはそこからですか? とすれば、正しくは女嫌いではなく人嫌いでいらっしゃる」
「だとしたらどうする?」
冷めきった目を惟人は織衣に向ける。彼は、皮肉げな笑みを口元に浮かべた。
「時国に中宮も夢ではないとそそのかされたか? それとも私を手懐けろと命を受けたか? 残念だったな。何度も言うが、私が誰かを選ぶことはない」
「違います。人を見てこいと、そう言われました」
織衣は、その視線を真っ向から受け止めつつ惟人に答えた。
「誰が何を考え、どう動くのか。この目で見るために私はここにいる。あなたさまも含めて」
「面白い。では、おまえに私はどのように見えている?」
「傍若無人、手慣れた女嫌い、ひねくれ者──ですが、意味もなく女に刃を向けるほど阿呆ではないとお見受けいたしました」
織衣が率直に答えると、惟人は声を上げて笑った。そして、すっくと立ち上がる。
「いよいよ面白い。明日からこの東宮御所がどうなるか楽しみだ。困った時は、私を頼って良いぞ」
「お断りいたします。困ることなどございませぬ」
「そうか?」
「そうです。さあ、お帰りを」
言って織衣も立ち上がると、御簾を押し上げて惟人に退出を促す。気がつけば、すっかり日も暮れて辺りは暗くなっている。
「また来る。楽しみに待っておれ」
惟人のせせら笑いが、夕闇の中に溶けて消えた。

