東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 今ここで無精ひげを語ることは、そのまま妃候補について自分の考えを語ることになる。とは言え、どこまで本音を語っていいものか、さすがの織衣(おりえ)もためらった。
 あれこれと思案してから、織衣は慎重に口を開いた。

「……先ほどの東宮さまの物言いがあまりに高圧的で、納得がいかなかったのでございます。無精ひげ自体は、あり(・・)かなし(・・)かと聞かれれば、むしろありなのですけれど」

 まさか内裏(だいり)の見物に来ただけだとは言えず、織衣は惟人(これひと)の態度が気に入らなかったことを述べつつ、彼の無精ひげについての感想も率直に付け加えた。
 態度は気に入らないが無精ひげは気に入っている、というなんだかよく分からない回答だが、ひとまず嘘はついていないので良しとする。
 すると、珠緒が頼りなげな顔をしながら織衣に同意するように頷いた。

「確かに先ほどの東宮さまは少し恐ろしゅうございました。私は無精ひげも苦手にございます。なんだか荒々しくて」
「そのような弱々しいこと」

 千菊(せんぎく)がくすりと笑う。

「では、珠姫さまは何のために東宮御所へ参られたのです?」

 珠緒がぶるりと恐縮した。

「いえっ、決して嫌だとかそういう意味では──。東宮さまの意に添うよう励むつもりでございます」

 珠緒は必死に自分の言葉を取り繕う。
 今回の「御妻(みめ)合わせ」では、惟人の気性は了承済みだと織衣は聞いていた。しかし、どうやら珠緒は自ら名乗りを上げた訳ではなさそうだ。おそらく父親である大納言の命でここに来たに違いない。
 すると、幸(さち)が気遣うように珠緒に笑いかけた。

「珠姫さまはお優しい心の持ち主。東宮さまの強い口調が心に障ったのでございましょう。大丈夫です。きっと東宮さまも分かってくださります」
「そうでしょうか。幸姫さまは恐ろしくなかったのですか?」
「緊張はしましたが、真心を持ってお話すれば分かり合えるところも出てきましょう。父からは聡明な御方であると、お聞きしております」

 聡明かもしれないが性格がひん曲がっているぞ、と織衣は思う。あの高圧的な男が、私たちの真心くらいで本当に歩み寄ってくれるかどうかは、はなはだ疑わしい。織衣としてもがつんと言う方が性に合う。
 一方で、さして怯える様子もなく、「真心」などと言える幸は、それはそれで芯が強そうだ。

「なるほど、皆の言い分は分かった」

 そんな姫君たちの様子を見て、咲子が「ふふふ」と笑い声を漏らす。そして、最後に千菊へと目を向けた。

「して、菊姫はどうじゃ?」
「私は先ほども申しましたとおり、どうでも良いことでございます」
「そ、そそそれこそ、菊姫さまは何をしにここへ参られたので?」

 珠緒がさっきの仕返しとばかりに声を上げた。しかし千菊は意にも介さぬ様子で、平然と笑った。

「もちろん東宮さまのお相手にございます。ですが、見目麗しも無精ひげも私にとっては些事(さじ)にございます」
「それは見た目の話でしょう?」
「私は最初から無精ひげをどう思うかお聞きしたのであって、東宮さまとは一言も言っておりませぬ。勝手に東宮さまのことをあれこれと言い出したのはそなたらじゃ」

 言って千菊はふいっとそっぽを向く。なんと、自分で振った話の揚げ足を自ら取って放り投げた。

(最初からそのつもりで話を振ったわね)

 珠緒が口をぱくぱくさせて悔しそうに顔を歪めた。四乃舎(よつのや)の姫には申し訳ないが、からめ手でやり合うには相手が悪い。
 こういう時は、力任せに組み合う方がいいかもしれない。織衣は「ならば」と二人の会話に割って入った。

「菊姫さまは、東宮さまの先ほどの振る舞いをどう思われました? あらためてお聞かせいただきとうございます」

 単刀直入に千菊に尋ねてみる。
 さあ、どうする? 言いたくないと突っぱねれば、やっぱりそうかと揶揄(やゆ)される。しかし、彼女がすんなりと本音を話すとは思えない。
 織衣が挑発的な顔で促すと、千菊はやれやれとため息をついた。

「どうもこうも考えごとをしておりましたゆえ、覚えておりませぬ」
「は?」
「典侍(ないしのすけ)さまのお話を上の空で聞いていた織姫さまなら分かるでしょう?」
「そんなわけ──」

 あるもんかという突っ込みは、しかし、咲子の笑い声で止められた。

「あははは。織姫、今度はそなたの負けじゃ。そう菊姫ばかりいじめるな」
「いじめてなど……。そんなつもりはありませぬ」

 むしろ、さっきから千菊にやり込められっぱなしである。
 しかし、咲子が間に入った以上、こちらの分が悪い。勝ち負けはさして重要ではなく、要はもう止めろという意味なのだから。
 織衣はそれ以上の口答えをやめ、ひとまず畏(かしこ)まる。咲子に負けと言われたことは悔しいが、それぞれの姫君の人となりを知るという目的は達成できた。
 その時、取り次ぎ役の女房がおろおろした様子で現れた。

「宮さま、お話し中失礼いたします」
「よい、もう終わるところじゃ。何用か」
「東宮さまが五乃舎(いつつのや)にお渡り遊ばされたよし。すぐさま織姫さまを五乃舎にお返しするよう頼木(よりき)さまが仰せです」

 突然自分の名前が上がり、織衣は「へ?」と間抜けな声を上げた。

「なんで私? ええと、頼木って?」
「……五位蔵人(ごいくろうど)の頼木(よりき)守泰(もりやす)じゃ。今は東宮の補佐役となっておる。あい分かった」

 織衣に説明をしつつ、咲子が女房に返事をする。珠緒や幸、そして千菊も、みな驚いた様子で織衣を見た。

「織姫、すぐさま五乃舎に戻れ」
「はい──っ。しっ、失礼いたします」

 挨拶もそこそこに織衣はその場を去る。
 何がどうして、あの見目麗しの無精ひげが訪れるのか、まったく意味が分からない。
 ただ今は、とにかく部屋へと急いだ。