東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 宴の事件から数日が経ち、三乃舎(みつのや)の幸が南の大社へと旅立った。加えて、初乃舎(はつのや)の咲子も暇(いとま)願いを自ら申し出て柏宮家に帰ってしまい、東宮御所はがらんとした場所となっている。
 今日は朝から惟人が五乃舎を訪れていて、庭で咲き始めた橘の花を眺めながら、織衣は報告を受けていた。

「咲子は、兄上とともに行くそうだ」

 事件後の惟人の動きは速かった。まず、事の次第と千菊の容態を一条元親(もとちか)に伝えるよう使いを走らせつつ、自身はすぐさま帝に報告し、礼人の処遇について指示を仰いだ。惟人としては、身内が起こした事件であるので、早々に収めたいという気持ちがあったからである。
 帝は礼人の臣籍降下の勅令をその日のうちに出したが、次の日、これに地方追放が加わった。元親の進言という名の圧力である。織衣の父、時国が元親の進言に賛同したこともあり、帝はこれを受け入れた。

「愛する菊姫さまに毒を盛られたのですから、左大臣さまのお怒りはごもっともかと思います。ただ、」
「なんだ?」
「私の父までが、これに賛同したのは意外でした。私はなんの傷も負ってはおりませぬし、あの程度で父が動揺するとも思えませぬ」
「あの程度と言うな。ただ、まあ、それだけではあるまい」

 含みのある惟人の言葉に織衣が首を傾げれば、惟人は複雑な表情を返した。

「元親も時国も、ありがたいことに私の側にいる。兄上の地方追放は、叔父上ら保守派への見せしめみたいなものだ。親王と言えど、今の左大臣や近衛大将の怒りを買えばどうなるか──私とて安心はできんな」
「……」

 自嘲的な笑みは、影響力の強い臣下の意見を無視できない皇族の不甲斐なさに対する失望からだろうか。
 織衣もまた、時国の政治的な一面を知り、複雑な気持ちになる。情だけでは通用しない難しい世界だ。もしかしたら、今回の御妻(みめ)合わせの本音も別のところにあったのかもしれない。

「礼人親王さまの処分はそうとして、女柏宮さまの同伴を柏親王さまはお許しになったのですか?」
「当然ながら大反対されたらしい。が、私は自由になるのだと咲子が大暴れしたとかしないとか」
「まあ、」

 咲子の暴れる姿など想像もできない。ちょっと話が誇張されているなと思いつつ、礼人に平手を打った時のことを思い出す。きっと咲子なりに自分の進みたい未来を見つけたのだ。そしてそれは、宮内で皇女として生きることではないらしい。

「宮さまなら、どこへ行こうとも大丈夫です。聡明な御方ですから」

 織衣が満足そうに笑って答えると、惟人も「そうだな」と頷いた。それから所在なさげにひげをさすって、そろりと織衣に膝を寄せる。

「五人もいた妃候補がとうとう織衣だけになった」
「ま、まだ菊姫さまがいらっしゃいます!」
「千菊は、体調がある程度回復したら一条家へ帰そうと思う。そなたの補佐にと考えているが、今は休養が必要だろう。ここではゆっくり休めまい」

 千菊はまだ床に伏せたままで、惟人と何度かお見舞いに行ったが、面会を断られて会えずじまいである。
 なので惟人の言い分はある意味正しい。実質的に東宮御所に残っているのは織衣だけだ。

「よもや織衣まで帰ると言い出したりはしないであろうな」

 艶っぽい目で言われると胸がどきりと跳ねる。まさか自分が最後まで残るとは思っていなかった。ただやはり、こんなことになって自分だけが残っていいものかと思ってしまう。
 その時、「失礼します」と遠野が廊下に現れ、ためらいがちに口を開いた。

「あの……次乃舎(つぎのや)の生駒殿がお二人に話があると参じております」
「東宮さまだけでなく、私にも?」
「はい」

 惟人と織衣は顔を見合わせる。惟人が「分かった」と了承すると、ややして生駒が遠野に案内されて現れた。

「お二人でおくつろぎのところ、申し訳ございませぬ」
「かまわん。千菊の様子はどうか」
「はい、そのことで東宮さまと織姫さまにお願いがあって参りました。申し訳ございませぬが、お人払いを」

 人払いとは穏やかではない。が、生駒の必死な様子は明らかだった。それで織衣が遠野に目配せすると、遠野は少し心配そうに頷きながら部屋を後にした。
 三人だけとなったところで惟人があらためて生駒に声をかける。

「して、話とは何か?」
「もっ、申し訳ございませぬ!」

 出し抜けに生駒は廊下の床に頭をこすりつけた。その姿は、もはやお願いというよりは謝罪である。

「どうか菊姫さまをお助けください。このままでは死んでしまいます!」
「おい、落ち着け。まだ何も聞いておらぬ」
「そうよ、生駒。私も東宮さまも会うことさえできなくて心配しているの。まずは菊姫さまのご様子を聞かせて?」

 そう促すと、生駒がそろりと顔を上げて戸惑いがちに話し始めた。

「毒も抜け、このまま回復に向かうと思っていたのですが……粥を怖いといって召し上がりませぬ。しかし腹はまだ他のものが食べられる状態ではなく、日に日に痩せていく姿は痛々しくて見ていられませぬ。菊姫さまには心の支えが必要で……」

 そこまで言って生駒は急に言葉を濁した。しかし、織衣にはその続きがなんとなく想像できた。

「分かりました。つまり、菊姫さまが心安らかに過ごせるよう、東宮さまが必要なのですね。わざわざ私を同席させて断りを入れるなど律儀なことをせずとも」
「いえ、あの、その……そうではなく」

 生駒は織衣の言葉を否定して、さらに歯切れ悪く口ごもり、目をあちこちにさ迷わせる。惟人が少しもどかしそうな顔をした。

「ではなんだ?」
「生駒、遠慮せずに言って」

 二人でさらに先を促せば、生駒はわっと泣き崩れた。

「申し訳ございませぬ。しかしどうか、菊姫さまのためにご寛恕(かんじょ)くださいませ」
「だから、話が全く見えぬ。生駒、きちんと説明をせよ」
「頼木守泰さまをお遣わし願います! どうか、菊姫さまに会わせてやってくださいませ!」
「……はい?」

 生駒がいっきに言葉を吐き出し、織衣たちは目が点になった。