宴が目前となったある日、次乃舎《つぎのや》の生駒が織衣の元を訪れた。
遠野に案内されて部屋に入ってきた生駒は、申し訳無さそうな表情で織衣に向かって頭を下げた。
「今日は宴のことでお願いがあって参りました」
「なんなりと。菊姫さまに任せっぱなしで心苦しく思っておりましたので。それで私は、何をお手伝いすればよろしいのでしょう?」
織衣としては、何かやらせてもらえるとあって大喜びである。
しかし、生駒の表情はいまいち冴えないままだ。
「実は、当日に動く女房の数が次乃舎だけでは足りず、五乃舎の皆さまのお力もお借りしたいのです」
「それはもちろん。最初からそのつもりです。ですが、それで十分な数になりますか?」
「宴の場を取り仕切る者たちはそれでなんとかなるかと。しかし、料理の配膳などが……」
生駒の歯切れは悪い。織衣は足りないのだなと感じた。
(お役御免を言い渡された三乃舎の女房を借りるわけにはいかないし……)
となると、後は内裏務めの女房を借りる必要がある。
織衣は生駒に尋ねた。
「二つの殿舎で人が足りないのであれば、内裏から何人か回していただけるよう頼木さまにご相談する必要があるのでは?」
「それが……」
女房がさらに歯切れが悪くなる。ややして、彼女はきまり悪く口を開いた。
「ここ最近、菊姫さまが頼木さまにお会いになろうといたしませぬ」
「頼木さまに?」
惟人から「最も信頼する臣下」と言われたものの、守泰のことをまだ信じきれていない織衣である。きっと守泰が何かしでかしたのだろうと織衣は身を乗り出した。
「菊姫さまに対して無礼があったのですね」
「いえ、そういうことは何も。むしろ、いろいろ教えていただいたり、典侍さまとの調整もしていただいたり、お世話になっております。お恥ずかしい限りですが、菊姫さまが勝手にへそを曲げていらっしゃいます」
「菊姫さまが?」
何事にも動じない千菊がへそを曲げるなんて。しかも守泰は悪くないと言う。織衣は眉をひそめた。
「ちょっと想像がつかないのですが、どうかなされたのですか?」
「思い通りにならぬことがあり、意地っ張りになっているだけにございます」
「はあ、意地っ張り……」
「このようなこと五乃舎の皆さまにしかお話しできませぬ」
確かに。いつもの千菊の振る舞いからは想像ができない。が、今はそれどころではない。宴が目前に迫っている。
「とにかく分かりました。まずは菊姫にお会いしましょう」
「ありがとうございます」
生駒が深々と頭を下げた。
織衣は、すぐさま身支度を整えて千菊の元へ向かう。
次乃舎へ着くと、何やら言い争う声がする。この喧々とした甲高い声は典侍である。部屋に近づくにつれて、言っていることも明瞭になった。
「そのようなこと、到底認められませぬ」
「今回、宴の準備を任されたのは私です。女柏宮さまではございませぬ」
「だからと言って──」
「どうなされたのです?」
いきなり会話に割って入るのは失礼かなと思ったが、険悪な空気をどうにかすべく織衣は声を上げた。
二人がぴたりと黙り、織衣に顔を向ける。
「菊姫さま、何かお困りのようであれば私が相談に乗りましょう」
「織姫さま……」
典侍がふんっと鼻を鳴らした。
「内裏のしきたりを上の空で聞いていた姫君が何を手伝いなされると? あいにく、一からお教えするほど暇ではございませぬ」
「ならば、典侍さまには聞きませぬ」
売り言葉に買い言葉。思わずそう答えると、典侍は顔を真っ赤にして部屋を出ていった。
千菊と二人となり、織衣は彼女の前に座る。千菊は、嫌なところを見られたといった様子で気まずそうに目をそらすばかりである。
織衣が苦笑しながら声をかけた。
「どうなされました? 典侍さまがあのように怒るなど」
「……東宮さまの左下座を織姫さまに準備しようとしましたら大反対されまして」
「それは──」
さすがに無理があるだろう。
席次には細かく上下の決まりがある。まず奥の中央が最も高い場所となるのは当然であるが、右と左とでは左の方が高い席となる。つまり、東宮に対して左下座は正妃、もしくはそれに準ずる者の場所だ。ちなみに東宮と正妃が中央に並んで座る時は、東宮が左で正妃が右である。
現時点では、惟人は中央に一人で座ることが多い。となると、左下座は咲子が座るのが順当であるが、花合わせの時も左は空席、咲子は右下座に座っていた。
その空席である場所に誰かが座る。東宮が正妃を宣言するという意味だ。
「女柏宮さまを差し置いて私が座るなど滅相もない。そのような波風をあえて立てずとも」
「そういう問題ではありませぬ」
千菊がきっと織衣を見返す。
そして苛立たし気な口調で言葉を続けた。
「今回の宴の席で、東宮さまが誰をお選びあそばされたかをはっきりさせ、御妻合わせを決着させまする。私とて、女柏宮さまは憧れの御方。なんの恨みもございませんし、礼人親王さま来訪の折には私たちをかばってくださいました。ですが、それはそれ。宮さまの複雑なお立場を考えれば、これ以上の引き延ばしは宮さまの心労が増えるだけにございます。であれば、さっさと終わらせるのが肝要。もう少し妃候補としての自覚をと申しておりましょう?」
「はい……」
怖い。へそを曲げていると聞いて、なだめようと思って来たはずなのに、怒られる羽目になっている。
分が悪いと踏んだ織衣は、話題を変えることにした。
「それより、女房の数が足りないと聞きました。五乃舎からも出させていただくつもりですが、内裏務めの者をお借りしないといけないでしょう? よろしければ私が頼木さまとお話しします」
「それは嫌──! じゃなくて、駄目です」
「でも、頼木さまにお会いにならないとお聞きしましたが」
千菊が脇に控える生駒をじろりと睨む。が、生駒も負けておらず、しらっとした顔を千菊に返している。さすが次乃舎の女房、気骨がある。
が、感心している場合ではない。下手をしたら、この二人の争いにも巻き込まれてしまいそうだ。織衣は困り果てた。
「それでは、私は何をすれば良いのでしょう? 何かお手伝いをさせてくださいませ」
「宴の準備などより、妃としての心得を学んでいただきとうございます。織姫さまの立ち振舞いで宴が台無しになるかもしれぬのです。準備に加わられても、先ほどのように典侍さまと喧嘩になるのは目に見えております」
耳に痛い指摘を受け、織衣は黙る。確かに、自分とて千菊をかまっている場合ではない。
(大丈夫かしら……)
宴が目前に迫る中、織衣の胸中に不安が巡った。
遠野に案内されて部屋に入ってきた生駒は、申し訳無さそうな表情で織衣に向かって頭を下げた。
「今日は宴のことでお願いがあって参りました」
「なんなりと。菊姫さまに任せっぱなしで心苦しく思っておりましたので。それで私は、何をお手伝いすればよろしいのでしょう?」
織衣としては、何かやらせてもらえるとあって大喜びである。
しかし、生駒の表情はいまいち冴えないままだ。
「実は、当日に動く女房の数が次乃舎だけでは足りず、五乃舎の皆さまのお力もお借りしたいのです」
「それはもちろん。最初からそのつもりです。ですが、それで十分な数になりますか?」
「宴の場を取り仕切る者たちはそれでなんとかなるかと。しかし、料理の配膳などが……」
生駒の歯切れは悪い。織衣は足りないのだなと感じた。
(お役御免を言い渡された三乃舎の女房を借りるわけにはいかないし……)
となると、後は内裏務めの女房を借りる必要がある。
織衣は生駒に尋ねた。
「二つの殿舎で人が足りないのであれば、内裏から何人か回していただけるよう頼木さまにご相談する必要があるのでは?」
「それが……」
女房がさらに歯切れが悪くなる。ややして、彼女はきまり悪く口を開いた。
「ここ最近、菊姫さまが頼木さまにお会いになろうといたしませぬ」
「頼木さまに?」
惟人から「最も信頼する臣下」と言われたものの、守泰のことをまだ信じきれていない織衣である。きっと守泰が何かしでかしたのだろうと織衣は身を乗り出した。
「菊姫さまに対して無礼があったのですね」
「いえ、そういうことは何も。むしろ、いろいろ教えていただいたり、典侍さまとの調整もしていただいたり、お世話になっております。お恥ずかしい限りですが、菊姫さまが勝手にへそを曲げていらっしゃいます」
「菊姫さまが?」
何事にも動じない千菊がへそを曲げるなんて。しかも守泰は悪くないと言う。織衣は眉をひそめた。
「ちょっと想像がつかないのですが、どうかなされたのですか?」
「思い通りにならぬことがあり、意地っ張りになっているだけにございます」
「はあ、意地っ張り……」
「このようなこと五乃舎の皆さまにしかお話しできませぬ」
確かに。いつもの千菊の振る舞いからは想像ができない。が、今はそれどころではない。宴が目前に迫っている。
「とにかく分かりました。まずは菊姫にお会いしましょう」
「ありがとうございます」
生駒が深々と頭を下げた。
織衣は、すぐさま身支度を整えて千菊の元へ向かう。
次乃舎へ着くと、何やら言い争う声がする。この喧々とした甲高い声は典侍である。部屋に近づくにつれて、言っていることも明瞭になった。
「そのようなこと、到底認められませぬ」
「今回、宴の準備を任されたのは私です。女柏宮さまではございませぬ」
「だからと言って──」
「どうなされたのです?」
いきなり会話に割って入るのは失礼かなと思ったが、険悪な空気をどうにかすべく織衣は声を上げた。
二人がぴたりと黙り、織衣に顔を向ける。
「菊姫さま、何かお困りのようであれば私が相談に乗りましょう」
「織姫さま……」
典侍がふんっと鼻を鳴らした。
「内裏のしきたりを上の空で聞いていた姫君が何を手伝いなされると? あいにく、一からお教えするほど暇ではございませぬ」
「ならば、典侍さまには聞きませぬ」
売り言葉に買い言葉。思わずそう答えると、典侍は顔を真っ赤にして部屋を出ていった。
千菊と二人となり、織衣は彼女の前に座る。千菊は、嫌なところを見られたといった様子で気まずそうに目をそらすばかりである。
織衣が苦笑しながら声をかけた。
「どうなされました? 典侍さまがあのように怒るなど」
「……東宮さまの左下座を織姫さまに準備しようとしましたら大反対されまして」
「それは──」
さすがに無理があるだろう。
席次には細かく上下の決まりがある。まず奥の中央が最も高い場所となるのは当然であるが、右と左とでは左の方が高い席となる。つまり、東宮に対して左下座は正妃、もしくはそれに準ずる者の場所だ。ちなみに東宮と正妃が中央に並んで座る時は、東宮が左で正妃が右である。
現時点では、惟人は中央に一人で座ることが多い。となると、左下座は咲子が座るのが順当であるが、花合わせの時も左は空席、咲子は右下座に座っていた。
その空席である場所に誰かが座る。東宮が正妃を宣言するという意味だ。
「女柏宮さまを差し置いて私が座るなど滅相もない。そのような波風をあえて立てずとも」
「そういう問題ではありませぬ」
千菊がきっと織衣を見返す。
そして苛立たし気な口調で言葉を続けた。
「今回の宴の席で、東宮さまが誰をお選びあそばされたかをはっきりさせ、御妻合わせを決着させまする。私とて、女柏宮さまは憧れの御方。なんの恨みもございませんし、礼人親王さま来訪の折には私たちをかばってくださいました。ですが、それはそれ。宮さまの複雑なお立場を考えれば、これ以上の引き延ばしは宮さまの心労が増えるだけにございます。であれば、さっさと終わらせるのが肝要。もう少し妃候補としての自覚をと申しておりましょう?」
「はい……」
怖い。へそを曲げていると聞いて、なだめようと思って来たはずなのに、怒られる羽目になっている。
分が悪いと踏んだ織衣は、話題を変えることにした。
「それより、女房の数が足りないと聞きました。五乃舎からも出させていただくつもりですが、内裏務めの者をお借りしないといけないでしょう? よろしければ私が頼木さまとお話しします」
「それは嫌──! じゃなくて、駄目です」
「でも、頼木さまにお会いにならないとお聞きしましたが」
千菊が脇に控える生駒をじろりと睨む。が、生駒も負けておらず、しらっとした顔を千菊に返している。さすが次乃舎の女房、気骨がある。
が、感心している場合ではない。下手をしたら、この二人の争いにも巻き込まれてしまいそうだ。織衣は困り果てた。
「それでは、私は何をすれば良いのでしょう? 何かお手伝いをさせてくださいませ」
「宴の準備などより、妃としての心得を学んでいただきとうございます。織姫さまの立ち振舞いで宴が台無しになるかもしれぬのです。準備に加わられても、先ほどのように典侍さまと喧嘩になるのは目に見えております」
耳に痛い指摘を受け、織衣は黙る。確かに、自分とて千菊をかまっている場合ではない。
(大丈夫かしら……)
宴が目前に迫る中、織衣の胸中に不安が巡った。

