東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 千菊がふんっと小さく鼻を鳴らす。

「誰が強引に入って来たのかと思えば、織姫さまですか。今は私が宮さまにご挨拶申し上げております。近衛大将さまは武に秀で主上《おかみ》の覚えもめでたいと聞いておりますが、順序を守るということを娘にお教えなさらなかったとみえまする」
「いいえ、違います。むしろ、割って入られたは私の方でございますれば」
「はい?」

 千菊がぴくりと片眉を上げる。織衣はもっともらしい顔でうなずいた。

「私の五乃舎(いつつのや)は、菊姫さまの次乃舎(つぎのや)より遠く離れております。聞けば、菊姫さまも先ほどいらっしゃったとのこと、だとすれば私の方が先に部屋を出ております」
「そのような詭弁(きべん)を──。私は、挨拶の道理について話をしているのです。屁理屈をこねれば、自身の意見が押し通るとでも?」
「まさか。しかし、それを言うなら──」

 織衣は片ひざを立ててずいっと前に出た。

「宮さまと同じく、菊姫さまは次乃舎(つぎのや)で私が挨拶に来るのを大人しく待っているのが道理でございましょう。格下の者より先に挨拶回りを始めるなど──、大輪の花とは思えぬ小花のごとき振る舞いと揶揄(やゆ)されまする」
「……言うたな、五つ」
「そこまでじゃ。二人とも退(ひ)きや。私の前で見苦しい言い争いはやめよ」

 咲子の声が二人の会話をすくい取る。そして彼女は、あれこれ思案した後、静かに口を開いた。

「まずは織姫、その立て膝を収めよ。およそ妃候補の姫君とは思えない」

 背後で遠野が「姫、」と織衣をたしなめた。思い余ってのこととは言え、確かに織衣も非礼が過ぎている。織衣はさっと座り直して再び二人に頭を下げた。

「失礼いたしました。申し訳ございませぬ」
「ふむ。歯に衣(きぬ)着せぬ物言いは好むところではあるが、もう少し自重せよ。菊姫にそなたを邪魔する他意はない。そなたとて喧嘩を売りに来たわけではあるまい?」
「はい。理不尽な挨拶の序列に納得がいかず、一言申し上げましたが、私としても事を荒立てるつもりはありませぬ。あらためてご挨拶申し上げたいと思います」
「分かった」

 咲子は次に千菊に目を向ける。

「菊姫、そなたは織姫の言うとおり本来であれば次乃舎で待たねばならぬ身。真っ先に私に会いに来てくれたことは嬉しいが、これでは下々の者が戸惑ってしまうのも確かじゃ。そなたとて内裏(だいり)は初めて。少し気負うてしまったかの?」

 千菊が気まずい顔で目をそらす。自分の立場を諭されて、思うところはあるらしい。が、それを素直に認めるのは彼女の矜持(きょうじ)が許さないのか、千菊は悔しそうに顔を歪めて立ち上がった。

「それでは、私は今からでも次乃舎で待ちましょう」
「ならぬ。まあ座れ」

 咲子がおっとりした声でありながら、ぴしゃりと言って千菊を止める。その有無を言わせぬ強い口調に、千菊がはっと顔を強ばらせ、唇を噛みしめながら座り直した。

(お帰りになろうとした菊姫さまをお止めになった?)

 織衣は咲子の意図するところが分からず、眉をひそめて問いかける。しかし咲子は素知らぬ様子でゆったりと待つだけである。しばらくして、取り次ぎ役の女房が再び現れた。

「失礼いたします。幸(さち)姫さま、珠(たま)姫さま、ご挨拶にお見えです。その……、織姫さまもいらっしゃるのでお通しすればよろしいでしょうか」
「頼む」

 女房がするすると下がる。確かに、五乃舎(いつつのや)の姫を通したのであれば、三乃舎(みつのや)の姫も四乃舎(よつのや)の姫も止める理由がない。

(宮さまは、これを待っていたのか)

 咲子の意図を理解した織衣が、感心しきりに笑顔をこぼすと、咲子は満足げに頷いた。
 しばらくして、二人の姫が現れる。三乃舎の姫は紅梅の小袿、四乃舎の姫は山吹の小袿だ。織衣は二人に場所を譲り、自分は末席に座った。
 期せずして一堂に会した姫君たち。咲子が一人一人の顔をゆるりと見回す。

「うまい具合に全員の姫が集まった。ちょうど良い機会じゃ。あらためて皆のことを教えておくれ。そうじゃの……織姫、まずはそなたから」
「はい」

 織衣は両手を床につく。
 さあ、何を話そうか。こうした挨拶の場では、最初の者が口にした話題を次の者が順に引き継いでいくのが通例である。当然ながら話題は当たり障りのないものが良しとされる。
 最も無難なのが気候の話、次に家柄の話。ちょっと機転を利かせれば「流行(はや)りの物語」なんかでもいいが、教養に自信がなければ墓穴を掘ることにもなりかねない。
 自分の一言でこの場の話題が決まるのだから責任重大というわけだが、見方を変えれば、話の主導権がこちらにあるとも言える。

(せっかくだもの、実のある話をしなくちゃね)

 他の姫君たちが見守る中、織衣はゆっくりと口を開いた。