東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 半月後、南の大社の巫女の在任期間を変更する議事が東宮により朝議で発せられた。
 すでに帝はもとより、一条元親をはじめとした主な重臣には事前に知らされていることもあって、柏親王ら一部の反対派がなけなしの反論をしただけでさしたる抵抗もなく変更案は認められたらしい。

「反対派の方は何と言って反対されたのですか?」
「神に乙女を捧げるのは、古来よりのしきたりであると。神への冒涜(ぼうとく)とも言われたな」

 春の陽気に包まれた五乃舎(いつつのや)の廊下で、庭を眺めながら織衣は惟人から報告を受けている。
 五乃舎に突然やって来た惟人は、部屋に案内しようとする織衣に「庭を眺めながら」と提案してきた。おかげで庭に向かって二人並んで座っている訳だが、惟人は織衣にぴったり寄り添っている。
 織衣はなんとも落ち着かなく、さり気なく腰をずらして惟人と距離を取った。

「どうやって、帝をはじめ他の皆さまを説得なされたのですか?」
「大社に関する古い文献を守泰や貴清と読みあさってな。古い時代では、既婚者でも巫女になっていた記録を見つけた。つまり、これは誰かが途中で決めたきまりということになる。そこを訴えつつ、餌をまいた」

 言って惟人が得意げな顔でせっかく開けた距離を詰めてくる。織衣が再び距離を取ろうとしたところで、今度は逃げるなとばかりに手を握られた。

「他の姫君にも務めを負担させる代わりに、任期を終えた者には掌侍(ないしのじょう)の役職を用意する。女官として身を立てることもできるし、その後の婚姻にも有利になる。後は、元親に頼んで賛同してくれる者たちを集めてもらった」
「なるほど。そういうことでございますね」
「頭の固い連中にとって姫君の純潔性は譲れない。が、これを一人の姫君が担うから、負担が大きくなる。大社の巫女など、もともと名誉職だ。戻ってきた時に掌侍の地位が約束されていれば、なりたいという姫君も出てくるだろう」

 掌侍は、典侍(ないしのすけ)に次ぐ地位で、女官を目指す公卿の姫君にとっては憧れの役職の一つである。
 姫君本人にとっても年頃の娘を持つ親にとっても確かにうまい話だ。
 織衣が納得しつつうなずくと、惟人がさらに得意げな顔になった。そして彼は、織衣の手を持ち上げ、その指先に口づけを落とす。
 上目遣いで艶めいた眼差し投げかけられ、思わず織衣は目をそらした。
 駄目だ。どうにもこうにも落ち着かない。
 妃候補であるのだから惟人を拒否できる立場にないのだが、とは言え、このままだと息が詰まって死んでしまいそうだ。

「こ、こんなところでのんびりなされていてよろしいのですか?」

 たまらず織衣は惟人に退出を促す。可愛くないことこの上ないが、こういう性分なのだから仕方がない。
 案の定、惟人がつまらなさそうな顔をした。

「こうして会いに来ておるのだ。少しは私を労れ」
「感謝はしております。が、自ら労れと言うような殿方を労る気にはなれませぬ」
「おまえはどこまでつれないのだ、織衣」

 言って惟人はぱっと手を放して立ち上がった。ようやく解放されたのに、今度は自由になった手が寂しい。
 なんとも勝手な自分自身に呆れつつ、次は立ち話にもっていく。こちらの格好の方が色気がなく、織衣にとっても都合がいい。

「そう言えば、宴の準備を菊姫さまに任せきりになっております。何か手伝うと言っても、菊姫さまは大丈夫の一点張りで。あらかた整ったらお伝えすると言われてしまいました」
「そんなものだろう。咲子も指示をするだけで、後は典侍(ないしのすけ)に任せている。実質的に任せたのは千菊であるし、織衣は黙って待っておればよい」

 黙って待つのは最も苦手なことである。
 織衣が納得のいかない顔をすると、惟人は苦笑した。

「千菊がおまえを推しておるのだ。千菊の好きにさせよ」
「せめて手伝わせていただきとうございます。じっとしているのは性に合いませぬ」

 惟人が「ふうむ」と難しい顔をした。

「宴とは言え、私の名の元で開くとなると有職故実に従い、間違いがないようにせねばならぬ。織衣が入ると、ややこしくなる」
「……どういう意味ですか?」

 織衣がむっと口を尖らし惟人を睨む。惟人が皮肉げな笑みを口の端に浮かべた。

「そういうところがだ。頭の硬い典侍相手に宴の準備をするのだ。それなりの忍耐を強いられるぞ。あれは新しいことも変わったことも大嫌いだからな。絶対に織衣と喧嘩になる」

 うっと織衣は言葉に詰まる。確かに、それは喧嘩になるかもしれない。織衣があからさまに嫌な顔をすると、惟人は声を上げて笑った。

「だから千菊に任せておけ」
「でも……」
「大丈夫だ。千菊には守泰もつけてある。二人に任せておけばよい」
「頼木さまを?」

 珠姫のこともあり、守泰の印象はあまり良くない織衣である。そんな織衣の気持ちを察したのか、惟人が困った顔をした。

「守泰は、私の信頼する臣下の一人だ。心配ない」
「あの薄っぺらい笑い方が気に入りませぬ。目が笑っておりませぬ」
「ははは。言うな、織衣。もともと横柄な奴が、懸命におべっかを使っておるのだ。それぐらいは大目にみてやれ」
「珠姫さまのこと、私はまだ許しておりませぬ」
「……あれは私の指示だ。」

 惟人が硬い表情で織衣の言葉を訂正した。そして、気まずそうに目をそらす。

「四つの姫のことは──、私もやり過ぎた。ああいう嫌がらせは飽きるほど見てきたから……、少し感情的になっていたと思う。守泰は指示に従ったまでだ。責めるのであれば私を責めよ」
「……」

 惟人に言われ、自分もまた理不尽な怒りを見当違いな方向にぶつけようとしていたことに織衣は気づく。
 なんとなく惟人と仲直りしてしまい、珠緒に対し後ろめたさを感じている自分がいる。珠緒を犠牲に妃候補として自分がここに残っているのような、そんな感覚だ。
 守泰に向けている怒りは、そんな自分の後ろめたさを誤魔化すための怒りである。
 織衣は、惟人に対し神妙な面持ちで頭を下げた。

「申し訳ございませぬ。私も感情的な物言いをしてしまいました。まともに言葉を交わしたこともないくせに、頼木さまの人柄を決めつけるところでございました」
「そうさせたは私だ」

 惟人がふいに織衣の頬をなでた。織衣の胸がどきんと弾む。
 顔を上げた方がいい気もするが、ここ最近の織衣は、こんな時に惟人を直視できなくなっていた。彼女はどうにも困ってしまい、身を強張らせた。

「そう畏まるな。調子が狂う」
「東宮さまが……反省なさる姿を見て、私も調子が狂いました」

 織衣はかろうじて言い繕った。調子が狂うのは、惟人の眼差しが優し過ぎるから。
 それでも嘘の言い訳が通じたようで、惟人がおかしそうに笑った。そして、うつむく織衣の頬に口づけると、惟人は「また来る」と言って織衣の元を去る。
 側にいても、去られても心乱される……。
 惟人に対しどのように振る舞えばいいのか分からなくなり、織衣は彼の後ろ姿を見つめながらため息をついた。