織衣が惟人に催促の歌を贈ってから数日後、彼女をはじめ東宮御所の姫君たちは惟人に呼び出された。
集まったのは東宮の寝所である春陽殿の広間、花合わせをした部屋だ。
遠野と一緒に織衣が部屋へ伺うと、すでに幸が到着しており上座に向かい合う形で座っていた。織衣は幸に挨拶しながら隣に座る。
「幸姫さま、こんにちは。今日はなんのお話でしょう? 幸姫さまは何かお聞きですか?」
「いいえ。織姫さまこそ、何もお聞き及びではないのですか?」
「はい」
すると、今度は千菊が現れた。彼女は大輪の花を思わせる華やかな笑顔を浮かべ、二人に軽く会釈をした。
「お二人とも先日以来ですね。幸姫さまは、いかがお過ごしでした?」
「何ごともなく静かな毎日でした。菊姫さまは?」
「少々慌ただしゅうございました。織姫さまは?」
「私は……幸姫さまと同じです」
織衣はちょっと複雑な気持ちでぼそりと答えた。ここ最近、惟人は千菊のところに入り浸りだったことを遠野から聞いて知っていたからだ。
理由は分かっている。南の大社の巫女のあり方について、二人で画策してくれているのだ。
千菊にその気がないことも知っているし、必ず頼木守泰が同席していたことも聞いていたので、いわゆるお渡りでないことは織衣も理解しているつもりだ。そもそも惟人と千菊に相談したのは他ならない自分である。
とは言え、二人で会ってばかりで仲間に入れてもらえないのは少し気持ちがもやもやする。せめて惟人が五乃舎《いつつのや》に顔を見せてくれれば、多少は気持ちも晴れるのにそれもない。
加えて、毎日のように「やっぱりあの歌がいけなかったのです!」と遠野に愚痴られ、歌の贈り直しを迫られるのも地味に辛かった。
千菊は、織衣の微妙な反応を見てくすくすと笑う。今度は小花が咲き乱れるような笑い方だ。そして千菊は、織衣とは反対側の幸の隣に座った。
「織姫さまのそのような姿を見ることができるとは。次乃舎に居座っている甲斐がございます」
「知りませぬ。菊姫さまは意地悪です」
言って織衣がそっぽを向いたその時、静かな足音がして、白の直衣姿の惟人が咲子を伴い部屋に入ってきた。その後ろには緋の袍《ほう》をまとった頼木守泰もいる。
三人は慌てて居住まいを正すと、両手をついて頭を下げた。部屋の隅に控える女房たちも一斉に低頭する。
その中を惟人がゆっくり進み、上座の中央に座った。その後に咲子が続き、彼女は彼の右側へ座る。守泰は、他の女房衆と一緒に部屋の隅に控えた。
「皆、楽にせよ」
惟人の声が頭上に降り落ちる。一切の儀礼を省き、三人の姫君は顔を上げた。惟人は、それぞれの姫君の顔を見てから、その視線を幸に定めた。
「幸、」
「はい」
惟人が初めて幸の名を呼んだ。それだけで、場が緊張する。
彼は、広間に集まった者たちを見回し一呼吸置くと、やおら口を開いた。
「そなたをお役御免とする。これより一月の後、南の大社へ巫女として赴いて欲しい」
「……」
女房たちからざわめきが起こる。幸が信じられないと、蒼白な顔で呆然とする。そしてそれは織衣も同じだった。
思わず織衣は、両手をついて惟人に訴えた。
「東宮さま、これは一体──。理由をお聞かせくださいませ」
「話は最後まで聞け、織衣」
静かな口調で織衣を制し、惟人は幸に向かって言葉を続けた。
「幸、五年だ。大社の巫女として五年間、務めを果たせ」
「五年……」
意味が分からないといった様子で幸が惟人の言葉を繰り返した。すると惟人の隣で、咲子が眉をひそめた。
「東宮さま。五年とはいかなることでしょう? 大社の巫女は帝の御代に一代と決まっておりまする」
「その決まりを変える」
咲子に答え、惟人は織衣に目を配った。
「大社の巫女は乙女でなければならない。ここは簡単に変えられぬ。が、巫女となった姫君の負担は想像に難くない。そこで、お務めは本人が希望する場合を除き、五年を限度とする」
「巫女のお務めに限度を──」
「そうだ。その後は、誰と結婚しようと自由だ。なお、大社への随行は、嵯峨貴清をつける。あちらに残る神々の言い伝えを調べて来るよう申し付けてある」
幸がおろおろと目をさ迷わせる。織衣が「幸姫さま」と声をかけると、彼女は涙と笑みでくしゃりと顔を崩し小さく何度もうなずいた。
きっとこれが、今の惟人にできる精一杯の譲歩なのだろう。しかしこれで道が開けた。幸も貴清と結ばれるし、今後、大社の巫女の役目で苦しむ姫君もいなくなる。
織衣は満面の笑みを惟人に向けた。
しかしその時、咲子が震える声を上げた。
「お待ちくださいませ。大社の巫女の役目は、古来より決められたもの。そう簡単に変えることなどできましょうや。こっ、このようなこと、許されるわけがありませぬ!」
ここまで動揺する咲子を見るのも珍しい。どうやら彼女には、幸の大社行き以外、何一つ知らされていないようだった。
「分かっている。それを今度の朝議で変えるのだ」
「父が──、柏親王が黙っておりませぬ。いらぬ軋轢を生むだけにございます。どうかお考え直しくださいませ」
「ならば柏親王に話せばいい」
惟人が淡々と咲子に言った。
「今、ここで皆に話して聞かせたことを、全て柏親王に伝えよ。朝議は半月後だ。そこで異を唱えるのであれば、それで良し。受けて立つ」
咲子が言葉を失い青ざめる。
織衣はそれを見て、もう全てが整えられているのだと悟った。半月後の朝議で誰が何を言おうとも、それをはね返すだけの算段が惟人にはついている。つまりはそういうことだ。
「三つの姫は、南の大社へ赴くまで三乃舎で今まで通り過ごせ。出立の前に宴を催す。千菊と織衣は、宴の準備を頼む」
「東宮さま、お待ちください。宴の準備は、初乃舎である私の役目でございます」
咲子がさらに慌てた様子で惟人に訴えた。しかし、惟人は冷ややかな目を彼女に向けた。
「先日、兄上が来たそうだな。まあ、遊びに来ること自体は別に構わない。だがそこで、兄上は千菊に触れ、織衣に手を上げたとか」
「あ……」
「なぜ報告しない?」
「も、申し訳ありませぬ! 決して隠していたわけでは──」
「各殿舎の問題ごとを私に報告するのは、初乃舎であるそなたの役目であろう? それを怠るとは、まとめ役を任すことはできぬ」
「……」
咲子が惟人に両手をついて頭を下げる。そして彼女は悩ましげに横目で織衣を、それから千菊を見た。
戸惑いながら咲子を見返すのは織衣。一方、織衣とは対象的に毅然とした表情を浮かべるのは千菊。
「宮さま、ご心配ございませぬ。私たちにお任せくださいませ」
千菊がきゅっと顔を引き締め、両手をついて咲子に迫る。
咲子がぐっと言葉を飲んで押し黙った。立場は変わらずとも、咲子と千菊の優位性が逆転した瞬間だった。
きっとこれも、惟人と千菊の筋書き通り。
惟人が「以上だ」と、終わりを告げて立ち上がる。
「幸、そなたは最後の宴にて巫女舞を奉納せよ。五年の役目を全うし、堂々と幸せになれ」
「はい」
幸が静かに両手をついて深く惟人に頭を下げた。織衣は、ほっと安堵する。
ただ──、ちらりと咲子の様子をうかがう。結果的に、彼女を騙し討ちするような形になってしまった。絶望にも似た咲子の顔が、織衣の心をざわつかせた。
集まったのは東宮の寝所である春陽殿の広間、花合わせをした部屋だ。
遠野と一緒に織衣が部屋へ伺うと、すでに幸が到着しており上座に向かい合う形で座っていた。織衣は幸に挨拶しながら隣に座る。
「幸姫さま、こんにちは。今日はなんのお話でしょう? 幸姫さまは何かお聞きですか?」
「いいえ。織姫さまこそ、何もお聞き及びではないのですか?」
「はい」
すると、今度は千菊が現れた。彼女は大輪の花を思わせる華やかな笑顔を浮かべ、二人に軽く会釈をした。
「お二人とも先日以来ですね。幸姫さまは、いかがお過ごしでした?」
「何ごともなく静かな毎日でした。菊姫さまは?」
「少々慌ただしゅうございました。織姫さまは?」
「私は……幸姫さまと同じです」
織衣はちょっと複雑な気持ちでぼそりと答えた。ここ最近、惟人は千菊のところに入り浸りだったことを遠野から聞いて知っていたからだ。
理由は分かっている。南の大社の巫女のあり方について、二人で画策してくれているのだ。
千菊にその気がないことも知っているし、必ず頼木守泰が同席していたことも聞いていたので、いわゆるお渡りでないことは織衣も理解しているつもりだ。そもそも惟人と千菊に相談したのは他ならない自分である。
とは言え、二人で会ってばかりで仲間に入れてもらえないのは少し気持ちがもやもやする。せめて惟人が五乃舎《いつつのや》に顔を見せてくれれば、多少は気持ちも晴れるのにそれもない。
加えて、毎日のように「やっぱりあの歌がいけなかったのです!」と遠野に愚痴られ、歌の贈り直しを迫られるのも地味に辛かった。
千菊は、織衣の微妙な反応を見てくすくすと笑う。今度は小花が咲き乱れるような笑い方だ。そして千菊は、織衣とは反対側の幸の隣に座った。
「織姫さまのそのような姿を見ることができるとは。次乃舎に居座っている甲斐がございます」
「知りませぬ。菊姫さまは意地悪です」
言って織衣がそっぽを向いたその時、静かな足音がして、白の直衣姿の惟人が咲子を伴い部屋に入ってきた。その後ろには緋の袍《ほう》をまとった頼木守泰もいる。
三人は慌てて居住まいを正すと、両手をついて頭を下げた。部屋の隅に控える女房たちも一斉に低頭する。
その中を惟人がゆっくり進み、上座の中央に座った。その後に咲子が続き、彼女は彼の右側へ座る。守泰は、他の女房衆と一緒に部屋の隅に控えた。
「皆、楽にせよ」
惟人の声が頭上に降り落ちる。一切の儀礼を省き、三人の姫君は顔を上げた。惟人は、それぞれの姫君の顔を見てから、その視線を幸に定めた。
「幸、」
「はい」
惟人が初めて幸の名を呼んだ。それだけで、場が緊張する。
彼は、広間に集まった者たちを見回し一呼吸置くと、やおら口を開いた。
「そなたをお役御免とする。これより一月の後、南の大社へ巫女として赴いて欲しい」
「……」
女房たちからざわめきが起こる。幸が信じられないと、蒼白な顔で呆然とする。そしてそれは織衣も同じだった。
思わず織衣は、両手をついて惟人に訴えた。
「東宮さま、これは一体──。理由をお聞かせくださいませ」
「話は最後まで聞け、織衣」
静かな口調で織衣を制し、惟人は幸に向かって言葉を続けた。
「幸、五年だ。大社の巫女として五年間、務めを果たせ」
「五年……」
意味が分からないといった様子で幸が惟人の言葉を繰り返した。すると惟人の隣で、咲子が眉をひそめた。
「東宮さま。五年とはいかなることでしょう? 大社の巫女は帝の御代に一代と決まっておりまする」
「その決まりを変える」
咲子に答え、惟人は織衣に目を配った。
「大社の巫女は乙女でなければならない。ここは簡単に変えられぬ。が、巫女となった姫君の負担は想像に難くない。そこで、お務めは本人が希望する場合を除き、五年を限度とする」
「巫女のお務めに限度を──」
「そうだ。その後は、誰と結婚しようと自由だ。なお、大社への随行は、嵯峨貴清をつける。あちらに残る神々の言い伝えを調べて来るよう申し付けてある」
幸がおろおろと目をさ迷わせる。織衣が「幸姫さま」と声をかけると、彼女は涙と笑みでくしゃりと顔を崩し小さく何度もうなずいた。
きっとこれが、今の惟人にできる精一杯の譲歩なのだろう。しかしこれで道が開けた。幸も貴清と結ばれるし、今後、大社の巫女の役目で苦しむ姫君もいなくなる。
織衣は満面の笑みを惟人に向けた。
しかしその時、咲子が震える声を上げた。
「お待ちくださいませ。大社の巫女の役目は、古来より決められたもの。そう簡単に変えることなどできましょうや。こっ、このようなこと、許されるわけがありませぬ!」
ここまで動揺する咲子を見るのも珍しい。どうやら彼女には、幸の大社行き以外、何一つ知らされていないようだった。
「分かっている。それを今度の朝議で変えるのだ」
「父が──、柏親王が黙っておりませぬ。いらぬ軋轢を生むだけにございます。どうかお考え直しくださいませ」
「ならば柏親王に話せばいい」
惟人が淡々と咲子に言った。
「今、ここで皆に話して聞かせたことを、全て柏親王に伝えよ。朝議は半月後だ。そこで異を唱えるのであれば、それで良し。受けて立つ」
咲子が言葉を失い青ざめる。
織衣はそれを見て、もう全てが整えられているのだと悟った。半月後の朝議で誰が何を言おうとも、それをはね返すだけの算段が惟人にはついている。つまりはそういうことだ。
「三つの姫は、南の大社へ赴くまで三乃舎で今まで通り過ごせ。出立の前に宴を催す。千菊と織衣は、宴の準備を頼む」
「東宮さま、お待ちください。宴の準備は、初乃舎である私の役目でございます」
咲子がさらに慌てた様子で惟人に訴えた。しかし、惟人は冷ややかな目を彼女に向けた。
「先日、兄上が来たそうだな。まあ、遊びに来ること自体は別に構わない。だがそこで、兄上は千菊に触れ、織衣に手を上げたとか」
「あ……」
「なぜ報告しない?」
「も、申し訳ありませぬ! 決して隠していたわけでは──」
「各殿舎の問題ごとを私に報告するのは、初乃舎であるそなたの役目であろう? それを怠るとは、まとめ役を任すことはできぬ」
「……」
咲子が惟人に両手をついて頭を下げる。そして彼女は悩ましげに横目で織衣を、それから千菊を見た。
戸惑いながら咲子を見返すのは織衣。一方、織衣とは対象的に毅然とした表情を浮かべるのは千菊。
「宮さま、ご心配ございませぬ。私たちにお任せくださいませ」
千菊がきゅっと顔を引き締め、両手をついて咲子に迫る。
咲子がぐっと言葉を飲んで押し黙った。立場は変わらずとも、咲子と千菊の優位性が逆転した瞬間だった。
きっとこれも、惟人と千菊の筋書き通り。
惟人が「以上だ」と、終わりを告げて立ち上がる。
「幸、そなたは最後の宴にて巫女舞を奉納せよ。五年の役目を全うし、堂々と幸せになれ」
「はい」
幸が静かに両手をついて深く惟人に頭を下げた。織衣は、ほっと安堵する。
ただ──、ちらりと咲子の様子をうかがう。結果的に、彼女を騙し討ちするような形になってしまった。絶望にも似た咲子の顔が、織衣の心をざわつかせた。

