(あれが礼人親王……)
惟人が東宮に選ばれる訳だ。あんな差別的で浅慮な人物が、上に立てるとは思えない。
咲子が助けてくれたが、今からあの親王の相手をする彼女のことを思うと、気の毒な気持ちにさえなった。
「織姫さま、」
千菊に呼ばれて織衣が思考を中断する。と、千菊が厳しい顔で織衣を見ていた。
「なぜ、出てきたのです」
「菊姫さまが愚弄されるのを黙って見ていられませんでした」
織衣が答えると、千菊は少し嬉しそうに顔をほころばせた。しかし、すぐに厳しい顔へと戻る。
「宮さまが来てくださったから場が収まりましたが、そうでなかったらどうなっていたことやら……。織姫さま。あなたはもう出てはなりませぬ。自重してくださいませ」
織衣は戸惑った顔を千菊に返した。
「もうならぬとはどういう意味です? あれを黙って見ていろと?」
「そうです。妃としての自覚が足りませぬ」
「何を──。私はただの末席の候補にございます」
「いいえ」
千菊がきっぱりと否定した。そして織衣と幸を再び部屋の中へと促し、生駒に目配せをして女房たち全員を下がらせる。
三人きりとなってから、千菊は声を落として織衣に尋ねた。
「この際です。はっきりさせておきたいと思います。織姫さまは、東宮さまのことをどのようにお考えなのです?」
単刀直入な質問に、さすがの織衣もたじろいだ。
「や、いきなり、そんなことを言われても……」
「では、今すぐお考えください」
目を泳がせる織衣に、千菊がいらっとした様子で鼻にしわを寄せる。
「面前で頬に口づけをされておきながら、関係ないなどとおっしゃいますか」
となりで幸も「そのとおりだ」と大きくうなずく。
「無精ひげは、ありかなしかと言えば、ありだと織姫さまはおっしゃっていたではありませぬか。仲直りもされたことですし、ご自身の気持ちに素直になられた方が良いと思いますよ」
「でも、菊姫さまだって候補の一人です。菊姫さまこそ、どういうおつもりなのです」
必殺、質問返し。
苦し紛れに千菊に問えば、彼女はすんっと真顔になった。
「初顔合わせの折、無精ひげはどうでもいいとお伝えしたかと思いますが?」
妃候補本命による、清々しいほどの「どうでもいい」宣言。
織衣は呆れ返って声が出ない。
珠緒が「嫌い」と言ってここを去り、幸は貴清と逢瀬を重ねている。そして今、千菊までその気がないと言う。こんな「御妻合わせ」があるものか。
(……なんだか東宮さまが気の毒になってきたわ)
いや、分かっていたことではあるけれど。みんな、あんまりじゃなかろうか。
自分のことを棚に上げ、織衣は惟人に同情してしまった。
千菊が「ともかく、」と話を仕切り直す。
「私は、織姫さまを正妃として推すつもりです。そのために邪魔なものは全て排除したいと考えています」
「排除、ですか?」
「はい。私を含めた残りの妃候補全員のお役御免にございます」
「!」
千菊のさらなる宣言に、さすがの織衣も言葉を失う。
「さすがにそれは乱暴すぎます」
「なぜ? 珠姫さまも去り、幸姫さまも私もその気がない。なんの問題もありませぬ」
「女柏宮さまが残っております」
「いいえ。申し訳ありませぬが、宮さまにも退いていただきます」
千菊がきっぱりと言った。その断定的な物言いに織衣が眉をひそめれば、千菊はため息混じりに答えた。
「……宮さまは東宮さまの信頼も厚く、お優しい御方です。が、父君の柏親王さまが血統第一主義で、東宮さまの母君の身分の低さに不満をお持ちです。宮さまのお立場上、あの礼人親王さまとも繋がらざるを得ないですし、今後のことを考えると東宮御所に居座られては困ります」
「……」
織衣は複雑な気持ちで押し黙った。やはり千菊は賢い。意識が違う、と言った方が正しいかもしれない。
自分は、内裏の今を知るために「人」を見るべく東宮御所へ来た。彼女は、もっと先の「国の未来」を見ている気がする。
そういう政治的なことを考えず、感情だけで物を言っている自分が恥ずかしい。
織衣は、ためらいがちに口を開いた。
「どうして、菊姫さまは『どうでもいい』などと言うのです。誰が見ても、菊姫さまの方が東宮さまにふさわしく思います。私はあなたさまのように、先を見る目がありませぬ」
「織姫さまは、不器用なだけ。その実、私以上に先を見ております。一体誰が、大社の巫女の在り方に疑問を持つことなどいたしましょうや。政治の駆け引きなど、得意な者に任せておけばいいのです」
そう言われても、自分は納得がいかないことを声に出しているだけである。
織衣はいまいち釈然としない顔をする。すると、千菊が意地悪な眼差しを織衣に向けた。
「では織姫さまは私が本気になってもよろしいと? 言っておきますが、手加減はありませぬよ」
「え?」
「やるからには一番を狙います。今は寵妃になれずとも、東宮さまの側に居座る画策など造作もないこと。あとは織姫さまを蹴落とすべく虎視眈々と──」
「え? え?」
思わず織衣がたじろぐと、千菊がしたり顔で笑った。
「ほら、困るでしょう? 織姫さまは、私にその気がないことを直感的に見抜いておりまする。だから、そんな風にのらりくらりと余裕のある物言いをなされるのです。今の慌てたお気持ちを覚えておいてくださいませ」
今の自分の気持ち……。
いよいよバツが悪くなり、織衣は口をとがらせてそっぽを向くしかなかった。
惟人が東宮に選ばれる訳だ。あんな差別的で浅慮な人物が、上に立てるとは思えない。
咲子が助けてくれたが、今からあの親王の相手をする彼女のことを思うと、気の毒な気持ちにさえなった。
「織姫さま、」
千菊に呼ばれて織衣が思考を中断する。と、千菊が厳しい顔で織衣を見ていた。
「なぜ、出てきたのです」
「菊姫さまが愚弄されるのを黙って見ていられませんでした」
織衣が答えると、千菊は少し嬉しそうに顔をほころばせた。しかし、すぐに厳しい顔へと戻る。
「宮さまが来てくださったから場が収まりましたが、そうでなかったらどうなっていたことやら……。織姫さま。あなたはもう出てはなりませぬ。自重してくださいませ」
織衣は戸惑った顔を千菊に返した。
「もうならぬとはどういう意味です? あれを黙って見ていろと?」
「そうです。妃としての自覚が足りませぬ」
「何を──。私はただの末席の候補にございます」
「いいえ」
千菊がきっぱりと否定した。そして織衣と幸を再び部屋の中へと促し、生駒に目配せをして女房たち全員を下がらせる。
三人きりとなってから、千菊は声を落として織衣に尋ねた。
「この際です。はっきりさせておきたいと思います。織姫さまは、東宮さまのことをどのようにお考えなのです?」
単刀直入な質問に、さすがの織衣もたじろいだ。
「や、いきなり、そんなことを言われても……」
「では、今すぐお考えください」
目を泳がせる織衣に、千菊がいらっとした様子で鼻にしわを寄せる。
「面前で頬に口づけをされておきながら、関係ないなどとおっしゃいますか」
となりで幸も「そのとおりだ」と大きくうなずく。
「無精ひげは、ありかなしかと言えば、ありだと織姫さまはおっしゃっていたではありませぬか。仲直りもされたことですし、ご自身の気持ちに素直になられた方が良いと思いますよ」
「でも、菊姫さまだって候補の一人です。菊姫さまこそ、どういうおつもりなのです」
必殺、質問返し。
苦し紛れに千菊に問えば、彼女はすんっと真顔になった。
「初顔合わせの折、無精ひげはどうでもいいとお伝えしたかと思いますが?」
妃候補本命による、清々しいほどの「どうでもいい」宣言。
織衣は呆れ返って声が出ない。
珠緒が「嫌い」と言ってここを去り、幸は貴清と逢瀬を重ねている。そして今、千菊までその気がないと言う。こんな「御妻合わせ」があるものか。
(……なんだか東宮さまが気の毒になってきたわ)
いや、分かっていたことではあるけれど。みんな、あんまりじゃなかろうか。
自分のことを棚に上げ、織衣は惟人に同情してしまった。
千菊が「ともかく、」と話を仕切り直す。
「私は、織姫さまを正妃として推すつもりです。そのために邪魔なものは全て排除したいと考えています」
「排除、ですか?」
「はい。私を含めた残りの妃候補全員のお役御免にございます」
「!」
千菊のさらなる宣言に、さすがの織衣も言葉を失う。
「さすがにそれは乱暴すぎます」
「なぜ? 珠姫さまも去り、幸姫さまも私もその気がない。なんの問題もありませぬ」
「女柏宮さまが残っております」
「いいえ。申し訳ありませぬが、宮さまにも退いていただきます」
千菊がきっぱりと言った。その断定的な物言いに織衣が眉をひそめれば、千菊はため息混じりに答えた。
「……宮さまは東宮さまの信頼も厚く、お優しい御方です。が、父君の柏親王さまが血統第一主義で、東宮さまの母君の身分の低さに不満をお持ちです。宮さまのお立場上、あの礼人親王さまとも繋がらざるを得ないですし、今後のことを考えると東宮御所に居座られては困ります」
「……」
織衣は複雑な気持ちで押し黙った。やはり千菊は賢い。意識が違う、と言った方が正しいかもしれない。
自分は、内裏の今を知るために「人」を見るべく東宮御所へ来た。彼女は、もっと先の「国の未来」を見ている気がする。
そういう政治的なことを考えず、感情だけで物を言っている自分が恥ずかしい。
織衣は、ためらいがちに口を開いた。
「どうして、菊姫さまは『どうでもいい』などと言うのです。誰が見ても、菊姫さまの方が東宮さまにふさわしく思います。私はあなたさまのように、先を見る目がありませぬ」
「織姫さまは、不器用なだけ。その実、私以上に先を見ております。一体誰が、大社の巫女の在り方に疑問を持つことなどいたしましょうや。政治の駆け引きなど、得意な者に任せておけばいいのです」
そう言われても、自分は納得がいかないことを声に出しているだけである。
織衣はいまいち釈然としない顔をする。すると、千菊が意地悪な眼差しを織衣に向けた。
「では織姫さまは私が本気になってもよろしいと? 言っておきますが、手加減はありませぬよ」
「え?」
「やるからには一番を狙います。今は寵妃になれずとも、東宮さまの側に居座る画策など造作もないこと。あとは織姫さまを蹴落とすべく虎視眈々と──」
「え? え?」
思わず織衣がたじろぐと、千菊がしたり顔で笑った。
「ほら、困るでしょう? 織姫さまは、私にその気がないことを直感的に見抜いておりまする。だから、そんな風にのらりくらりと余裕のある物言いをなされるのです。今の慌てたお気持ちを覚えておいてくださいませ」
今の自分の気持ち……。
いよいよバツが悪くなり、織衣は口をとがらせてそっぽを向くしかなかった。

