半ば幸を引っ張るようにして織衣は次乃舎を訪れた。これまた急な来訪であったが、すぐに織衣たちは千菊の部屋へ案内される。
単に袿を羽織っただけの千菊が、脇息にゆったりもたれかかった楽な格好で織衣たちを迎え入れた。
「突然お二人でいらっしゃるとは。どうかされましたか?」
「はい」
織衣たちは女房たちが用意した円座に座ると、挨拶もそこそこに話を切り出した。
「菊姫さまに折り入って、相談したいことがありまして。その、内密に相談したいので、人払いをお願いしたいのですが」
「……」
千菊がふと眉をひそめて織衣と幸の顔を交互に見る。無言で織衣が頷けば、千菊はすぐさま側に控える女房たちに下がるよう命じた。
女房たちの気配が完全に消え、部屋に姫君たち三人きりとなってから、千菊はようやく口を開いた。
「で、相談したいこととは?」
「はい、幸姫さまのことです。が、どうにかしたいのは私です。なので、私の相談となります」
「……織姫さまらしい物言いじゃ。分かりました。聞きましょう」
そこで、織衣は千菊に事の次第を話して聞かせた。幸が貴清と恋仲であること、彼女が大社の巫女のお務めから逃れるために御妻合わせに名乗り出たこと、そして、いずれにせよ今のままでは貴清と結婚ができないこと。
織衣は、幸と貴清が密会していること以外は包み隠さず千菊に話した。
「すでに東宮さまには、寛大な判断をお願いしております。しかし、東宮さまの一存でどうにかできる問題でないことも分かっております。他にも後押ししてくださる方が必要です。ぜひ菊姫さまから左大臣さまにご進言いただきたいのです」
「ちょ、ちょっとお待ちください。さすがに、少し動揺しております」
千菊が片手を上げて、織衣の話を止めた。そして、こめかみを押さえて織衣の話を反すうする。しばらくして、千菊は難しい顔で呟いた。
「つまり、幸姫さまは貴清さまと恋仲で、東宮さまの妻になるつもりはないけれど、阿部家に戻れば大社の巫女のお務めが待っているから戻ることもできない──。そういう言い分でよろしいですか?」
「おおむねそうです」
織衣がうなずく。千菊は、こめかみをまだ押さえたままだ。
「とどのつまり、幸姫さまは御妻合わせを降りられると」
「正確には、御妻合わせと同時に大社の巫女のお務めも、です。それが無理なら、幸姫さまと貴清さまの結婚を認めていただき、その上で巫女になる」
「……結婚して巫女。それは、冗談ではなく?」
「私は至って大真面目です。結婚した女は汚れているという発想が、そもそもおかしい。宮司は妻を娶っても宮司のままではないですか」
「織姫さま、冷静に」
千菊が今度は両手を上げて織衣の言葉を止めた。
そして、ふうっと大きく息をつく。
「東宮さまのお渡りに織姫さまを同席させた時から、おかしいとは思っておりました。ただ、ここまでの事態とは……」
言って彼女は幸を見た。
「幸姫さまの事情は分かりました。しかし、あなたの代わりに南の大社へ行く方は、やはりあなたと同じように結婚を諦め、一生を神に捧げなければなりませぬ」
「分かっております」
幸が気まずそうにうつむいて、声を絞り出す。
「自分が為すべき役目を他の者に押し付けるなど、鬼の所業をしていることは。きっと私は地獄に落ちましょう。覚悟の上です」
「本当に? それだけですむでしょうか」
千菊が幸に問いかけた。幸が怪訝な顔を返すと、彼女は淡々とした口調で答えた。
「貴清さまに不利益が降りかかるとは、思われませぬか?」
「え……?」
「このことが露見すれば、阿部家もただではすみませぬ。あなたをそそのかしたと、貴清さまを非難する声も上がるやもしれませぬ」
「貴清さまは、関係ありませぬ。私が勝手に決めて、ここに来たのです」
「ですが、これ幸いと貴清さまの責任を問う者が出てきましょう。大社の巫女の選出は我が国にとって重要なもの。姫君一人をどうにかして済む問題とは思えませぬ」
千菊の思いがけない指摘に幸が青ざめる。織衣が会話に割って入った。
「菊姫さま、今はそんな話をしたいのではありませぬ。私が申し上げたのは、そういう不幸な姫君が出ないよう、どうにかしたいという意味で──」
「されど、これが現実じゃ」
ぴしゃりと言って捨て、千菊は幸に容赦ない眼差しを向けた。
「幸姫さま、お気持ちは同じ女としてよく分かります。しかし万が一、真実が白日にさらされた時、あなたはどうなさるおつもりで? そもそも、自分が幸せになれば誰が大社の巫女になっても関係ないと、本気でそう申されますか。そのような自分勝手な言い分に、誰が賛同しましょうや」
「私には、もうこれしか……方法がなかったのでございます。私はどうなってもいいのです。でも──、菊姫さまの言う通り、もし貴清さまのお立場が悪くなってしまったら……私は、どうすれば──」
幸が視線をさ迷わせ、ぽろぽろと涙をこぼした。そして両手で顔をおおって声を殺して泣き始める。その痛々しい姿を織衣は見ていられない。
「菊姫さま、どうか幸姫さまを責めないでくださいませ。今さら言っても仕方のないことでございます。それほどに追い詰められていたということでしょう?」
「とは言え、浅慮な振る舞いは、それこそ自分自身を追い詰めまする。現に織姫さまだけでなく、東宮さまも知るところなのでしょう? だいたい、大社の巫女の在り方は、長い月日をかけて殿方たちが決めてきたもの。そう簡単に覆せませぬ」
正論を真っ正面から投げつけられ、さすがの織衣も言葉に詰まる。千菊の言っていることは間違っていない。世の仕組みは全て男が考え出し、そこに女の意見を差し挟む隙などない。
けれど。
「ここで引き下がる訳にはまいりませぬ。このままでは、この先も自分の人生を諦めなければならない姫が出てきます。同じ女として黙っておれませぬ」
織衣はずいっと千菊に詰め寄った。
単に袿を羽織っただけの千菊が、脇息にゆったりもたれかかった楽な格好で織衣たちを迎え入れた。
「突然お二人でいらっしゃるとは。どうかされましたか?」
「はい」
織衣たちは女房たちが用意した円座に座ると、挨拶もそこそこに話を切り出した。
「菊姫さまに折り入って、相談したいことがありまして。その、内密に相談したいので、人払いをお願いしたいのですが」
「……」
千菊がふと眉をひそめて織衣と幸の顔を交互に見る。無言で織衣が頷けば、千菊はすぐさま側に控える女房たちに下がるよう命じた。
女房たちの気配が完全に消え、部屋に姫君たち三人きりとなってから、千菊はようやく口を開いた。
「で、相談したいこととは?」
「はい、幸姫さまのことです。が、どうにかしたいのは私です。なので、私の相談となります」
「……織姫さまらしい物言いじゃ。分かりました。聞きましょう」
そこで、織衣は千菊に事の次第を話して聞かせた。幸が貴清と恋仲であること、彼女が大社の巫女のお務めから逃れるために御妻合わせに名乗り出たこと、そして、いずれにせよ今のままでは貴清と結婚ができないこと。
織衣は、幸と貴清が密会していること以外は包み隠さず千菊に話した。
「すでに東宮さまには、寛大な判断をお願いしております。しかし、東宮さまの一存でどうにかできる問題でないことも分かっております。他にも後押ししてくださる方が必要です。ぜひ菊姫さまから左大臣さまにご進言いただきたいのです」
「ちょ、ちょっとお待ちください。さすがに、少し動揺しております」
千菊が片手を上げて、織衣の話を止めた。そして、こめかみを押さえて織衣の話を反すうする。しばらくして、千菊は難しい顔で呟いた。
「つまり、幸姫さまは貴清さまと恋仲で、東宮さまの妻になるつもりはないけれど、阿部家に戻れば大社の巫女のお務めが待っているから戻ることもできない──。そういう言い分でよろしいですか?」
「おおむねそうです」
織衣がうなずく。千菊は、こめかみをまだ押さえたままだ。
「とどのつまり、幸姫さまは御妻合わせを降りられると」
「正確には、御妻合わせと同時に大社の巫女のお務めも、です。それが無理なら、幸姫さまと貴清さまの結婚を認めていただき、その上で巫女になる」
「……結婚して巫女。それは、冗談ではなく?」
「私は至って大真面目です。結婚した女は汚れているという発想が、そもそもおかしい。宮司は妻を娶っても宮司のままではないですか」
「織姫さま、冷静に」
千菊が今度は両手を上げて織衣の言葉を止めた。
そして、ふうっと大きく息をつく。
「東宮さまのお渡りに織姫さまを同席させた時から、おかしいとは思っておりました。ただ、ここまでの事態とは……」
言って彼女は幸を見た。
「幸姫さまの事情は分かりました。しかし、あなたの代わりに南の大社へ行く方は、やはりあなたと同じように結婚を諦め、一生を神に捧げなければなりませぬ」
「分かっております」
幸が気まずそうにうつむいて、声を絞り出す。
「自分が為すべき役目を他の者に押し付けるなど、鬼の所業をしていることは。きっと私は地獄に落ちましょう。覚悟の上です」
「本当に? それだけですむでしょうか」
千菊が幸に問いかけた。幸が怪訝な顔を返すと、彼女は淡々とした口調で答えた。
「貴清さまに不利益が降りかかるとは、思われませぬか?」
「え……?」
「このことが露見すれば、阿部家もただではすみませぬ。あなたをそそのかしたと、貴清さまを非難する声も上がるやもしれませぬ」
「貴清さまは、関係ありませぬ。私が勝手に決めて、ここに来たのです」
「ですが、これ幸いと貴清さまの責任を問う者が出てきましょう。大社の巫女の選出は我が国にとって重要なもの。姫君一人をどうにかして済む問題とは思えませぬ」
千菊の思いがけない指摘に幸が青ざめる。織衣が会話に割って入った。
「菊姫さま、今はそんな話をしたいのではありませぬ。私が申し上げたのは、そういう不幸な姫君が出ないよう、どうにかしたいという意味で──」
「されど、これが現実じゃ」
ぴしゃりと言って捨て、千菊は幸に容赦ない眼差しを向けた。
「幸姫さま、お気持ちは同じ女としてよく分かります。しかし万が一、真実が白日にさらされた時、あなたはどうなさるおつもりで? そもそも、自分が幸せになれば誰が大社の巫女になっても関係ないと、本気でそう申されますか。そのような自分勝手な言い分に、誰が賛同しましょうや」
「私には、もうこれしか……方法がなかったのでございます。私はどうなってもいいのです。でも──、菊姫さまの言う通り、もし貴清さまのお立場が悪くなってしまったら……私は、どうすれば──」
幸が視線をさ迷わせ、ぽろぽろと涙をこぼした。そして両手で顔をおおって声を殺して泣き始める。その痛々しい姿を織衣は見ていられない。
「菊姫さま、どうか幸姫さまを責めないでくださいませ。今さら言っても仕方のないことでございます。それほどに追い詰められていたということでしょう?」
「とは言え、浅慮な振る舞いは、それこそ自分自身を追い詰めまする。現に織姫さまだけでなく、東宮さまも知るところなのでしょう? だいたい、大社の巫女の在り方は、長い月日をかけて殿方たちが決めてきたもの。そう簡単に覆せませぬ」
正論を真っ正面から投げつけられ、さすがの織衣も言葉に詰まる。千菊の言っていることは間違っていない。世の仕組みは全て男が考え出し、そこに女の意見を差し挟む隙などない。
けれど。
「ここで引き下がる訳にはまいりませぬ。このままでは、この先も自分の人生を諦めなければならない姫が出てきます。同じ女として黙っておれませぬ」
織衣はずいっと千菊に詰め寄った。

