守泰が、心得た様子で惟人に報告をする。
「女柏宮のところに、礼人親王がいらっしゃっているようですよ」
「……兄上が?」
「どうします? 暇に飽かせてたびたび訪れているようで。挨拶だと言われればそれまでなんですが、女柏宮と礼人親王はあまり会わせない方がいいのでは?」
守泰が含みのある顔をした。己の才だけで蔵人《くろうど》にまで成り上がった策略家の顔だ。惟人は、ふうっとため息をついた。
「咲子の周辺に、こちらの息のかかった者の配置を増やせ。不自然にならないよう気をつけろ。初乃舎は女房たちもしっかりしているから悟られるな」
「分かりました。至急、手配します」
母親の家柄が低い自分が東宮であることに不満の声があることは、惟人だって知っている。中宮を母に持つ礼人こそ相応しいという声があることも。
そして、咲子を妃候補に推してきたのは、咲子の父である柏親王と一部の宮家──礼人親王に近い者たちだ。
惟人にとって、咲子は反東宮派の娘であるにもかかわらず中立を保ってくれる信頼できる存在である。
ただ一点、そんな彼女にも懸念材料がある。礼人の存在である。
二人は兄と妹のように育ち、咲子は昔から礼人と行動を共にしてきた。陰日向となり支えてきた、とも言う。
(咲子は兄上を放っておけないからな。咲子のことだから、他の姫君に会わせるようなことはしないだろうが……全く、次から次へと問題が出てくるな)
惟人は何度目になるか分からないため息をこぼした。
ここ最近の織衣はおかしい。ため息ばかりをついて、心ここにあらずだ。
今日もぼんやり空を眺めては、一人で物思いにふけっている。
「遠野さま、あれは恋患いにございます。東宮さまに何かと反抗的だったあの織姫さまが──間違いございません!」
「ええ、そうね。結婚は戦と同じで勢いが肝心。みな、ここで一気に攻め立てるのですよ!」
「はいっ」
女房たちは奮起した。勝負どころを逃さないのが、五乃舎の女房である。
当の織衣はと言うと、幸のことと惟人のことを交互に考えては、思考がまとまらず、気がつくと何日も経っていた。そのくせ、惟人に会えない日を無意識に数えているのだから始末に悪い。
用事もなく、こちらから惟人に会いに行くのはおかしいし、待っているだけだと不安になる。御妻合わせとは、こうも心が乱されるものなのか。
──私の側におれ。
惟人の言葉を思い出し、織衣は目を閉じて両手で口元を押さえる。あの時、確かに惟人に求められ、間違いなく自分は応えた。今でも触れ合った唇の感触が残っている。
思わず彼女は、そのままこてんと横になった。
駄目だ、憤死しそう。こんなに惟人のことで頭がいっぱいになるなんて。
こういう時は、他の姫君のところに遊びに行って気を紛らわした方がいいかもしれない。
「遠野ーっ、」
「はい、これに」
遠野を呼べば、すぐ脇で返事の声が上がる。織衣はびくりと体を震わせた。
「いっ、いたの? いつから?」
「はい。ずっと先ほどから」
すました顔で答えられ、織衣は穴に入りたいくらい気まずくなる。
しかし彼女は、そんな心の内をできるだけ悟られないよう平然としつつ遠野に言った。
「女柏宮さまのところへ遊びに行こうと思うわ。初乃舎にお伺いを立ててきて」
「……東宮さまに歌を贈られるがよろしいかと」
こちらの「遊びに行きたい」は無視されて、いきなり「東宮に歌を贈れ」と返ってきた。
他の人の口から「東宮」と出るだけで、織衣は心臓が飛び出しそうになる。
「な、なんでいきなり歌を?」
「あの夜以来、東宮さまがお渡り遊ばされておりませぬ。今こそ会いたいと東宮さまにお伝えすべきです」
「だから、なんでいきなりそうなるの?! そ、そんな恋歌なんて──」
考えるだけでやっぱり憤死しそうだ。織衣はぶんぶんと頭を横に振る。
遠野が「はあっ」と大げさにため息をついた。
「せっかく東宮さまと仲直りなされたのでしょう? ここで一気に攻勢をかけずしてどうなさいます?」
「攻勢って、あの、恋歌の話よね?」
「恋とは戦! 必要なのは運と勢い! 私など、夫とは勢いだけで結婚したようなものです」
「え? いや、それはちょっと早まり過ぎじゃあ……」
「恋に悩みはつきもの。ならば、結婚してから悩めばよいのです!」
遠野が清々しいほどきっぱり言い切った。
つまり、勢いに任せて結婚して、その後に山ほど悩んでいると。
言っていることはめちゃくちゃだが、ある意味、真理だ。
遠野が織衣にずずいっと詰め寄った。
「何か、東宮さまにお伝えしたいことはないのですか? 織姫さまの思いを歌になさいませ」
「私の思いって言われても……」
織衣は困った。歌を詠まないと、遠野は解放してくれそうにない。
「あ、あったわ。一つだけ」
「では、それを歌になさいませ」
遠野がいそいそと紙と硯を準備する。織衣は、遠野が見守る中、さらさらと歌をしたためた。歌の意味は、次の通り。
『思い出すのは、先日の夜のことばかり。お願いした件は、どうなりましたでしょうか?』
ふむ。我ながら、いい感じではなかろうか。
織衣が満足していると、遠野が微妙な顔をした。
「この、前半部分はよろしいかと思いますが、後半の意味がいまいち分かりませぬ」
「いいの。東宮さまにはこれで伝わるから」
強引に話を打ち切って、遠野に歌を押し付ける。
催促の歌を詠んだら、なんだか織衣の気持ちもすっきりした。
うだうだと悩んでいてもしょうがない。
よし、まずは幸の様子を見に行こう。
「やっぱり幸姫さまのところに遊びに行くわ。一人で大丈夫だから、遠野は歌をお願いね」
彼女のところであれば、咲子とは違ってお伺いは必要ない。
言うが早いか、織衣は部屋を飛び出した。
「女柏宮のところに、礼人親王がいらっしゃっているようですよ」
「……兄上が?」
「どうします? 暇に飽かせてたびたび訪れているようで。挨拶だと言われればそれまでなんですが、女柏宮と礼人親王はあまり会わせない方がいいのでは?」
守泰が含みのある顔をした。己の才だけで蔵人《くろうど》にまで成り上がった策略家の顔だ。惟人は、ふうっとため息をついた。
「咲子の周辺に、こちらの息のかかった者の配置を増やせ。不自然にならないよう気をつけろ。初乃舎は女房たちもしっかりしているから悟られるな」
「分かりました。至急、手配します」
母親の家柄が低い自分が東宮であることに不満の声があることは、惟人だって知っている。中宮を母に持つ礼人こそ相応しいという声があることも。
そして、咲子を妃候補に推してきたのは、咲子の父である柏親王と一部の宮家──礼人親王に近い者たちだ。
惟人にとって、咲子は反東宮派の娘であるにもかかわらず中立を保ってくれる信頼できる存在である。
ただ一点、そんな彼女にも懸念材料がある。礼人の存在である。
二人は兄と妹のように育ち、咲子は昔から礼人と行動を共にしてきた。陰日向となり支えてきた、とも言う。
(咲子は兄上を放っておけないからな。咲子のことだから、他の姫君に会わせるようなことはしないだろうが……全く、次から次へと問題が出てくるな)
惟人は何度目になるか分からないため息をこぼした。
ここ最近の織衣はおかしい。ため息ばかりをついて、心ここにあらずだ。
今日もぼんやり空を眺めては、一人で物思いにふけっている。
「遠野さま、あれは恋患いにございます。東宮さまに何かと反抗的だったあの織姫さまが──間違いございません!」
「ええ、そうね。結婚は戦と同じで勢いが肝心。みな、ここで一気に攻め立てるのですよ!」
「はいっ」
女房たちは奮起した。勝負どころを逃さないのが、五乃舎の女房である。
当の織衣はと言うと、幸のことと惟人のことを交互に考えては、思考がまとまらず、気がつくと何日も経っていた。そのくせ、惟人に会えない日を無意識に数えているのだから始末に悪い。
用事もなく、こちらから惟人に会いに行くのはおかしいし、待っているだけだと不安になる。御妻合わせとは、こうも心が乱されるものなのか。
──私の側におれ。
惟人の言葉を思い出し、織衣は目を閉じて両手で口元を押さえる。あの時、確かに惟人に求められ、間違いなく自分は応えた。今でも触れ合った唇の感触が残っている。
思わず彼女は、そのままこてんと横になった。
駄目だ、憤死しそう。こんなに惟人のことで頭がいっぱいになるなんて。
こういう時は、他の姫君のところに遊びに行って気を紛らわした方がいいかもしれない。
「遠野ーっ、」
「はい、これに」
遠野を呼べば、すぐ脇で返事の声が上がる。織衣はびくりと体を震わせた。
「いっ、いたの? いつから?」
「はい。ずっと先ほどから」
すました顔で答えられ、織衣は穴に入りたいくらい気まずくなる。
しかし彼女は、そんな心の内をできるだけ悟られないよう平然としつつ遠野に言った。
「女柏宮さまのところへ遊びに行こうと思うわ。初乃舎にお伺いを立ててきて」
「……東宮さまに歌を贈られるがよろしいかと」
こちらの「遊びに行きたい」は無視されて、いきなり「東宮に歌を贈れ」と返ってきた。
他の人の口から「東宮」と出るだけで、織衣は心臓が飛び出しそうになる。
「な、なんでいきなり歌を?」
「あの夜以来、東宮さまがお渡り遊ばされておりませぬ。今こそ会いたいと東宮さまにお伝えすべきです」
「だから、なんでいきなりそうなるの?! そ、そんな恋歌なんて──」
考えるだけでやっぱり憤死しそうだ。織衣はぶんぶんと頭を横に振る。
遠野が「はあっ」と大げさにため息をついた。
「せっかく東宮さまと仲直りなされたのでしょう? ここで一気に攻勢をかけずしてどうなさいます?」
「攻勢って、あの、恋歌の話よね?」
「恋とは戦! 必要なのは運と勢い! 私など、夫とは勢いだけで結婚したようなものです」
「え? いや、それはちょっと早まり過ぎじゃあ……」
「恋に悩みはつきもの。ならば、結婚してから悩めばよいのです!」
遠野が清々しいほどきっぱり言い切った。
つまり、勢いに任せて結婚して、その後に山ほど悩んでいると。
言っていることはめちゃくちゃだが、ある意味、真理だ。
遠野が織衣にずずいっと詰め寄った。
「何か、東宮さまにお伝えしたいことはないのですか? 織姫さまの思いを歌になさいませ」
「私の思いって言われても……」
織衣は困った。歌を詠まないと、遠野は解放してくれそうにない。
「あ、あったわ。一つだけ」
「では、それを歌になさいませ」
遠野がいそいそと紙と硯を準備する。織衣は、遠野が見守る中、さらさらと歌をしたためた。歌の意味は、次の通り。
『思い出すのは、先日の夜のことばかり。お願いした件は、どうなりましたでしょうか?』
ふむ。我ながら、いい感じではなかろうか。
織衣が満足していると、遠野が微妙な顔をした。
「この、前半部分はよろしいかと思いますが、後半の意味がいまいち分かりませぬ」
「いいの。東宮さまにはこれで伝わるから」
強引に話を打ち切って、遠野に歌を押し付ける。
催促の歌を詠んだら、なんだか織衣の気持ちもすっきりした。
うだうだと悩んでいてもしょうがない。
よし、まずは幸の様子を見に行こう。
「やっぱり幸姫さまのところに遊びに行くわ。一人で大丈夫だから、遠野は歌をお願いね」
彼女のところであれば、咲子とは違ってお伺いは必要ない。
言うが早いか、織衣は部屋を飛び出した。

