東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 織衣を五乃舎(いつつのや)へ送り届け、惟人は自身の寝所に戻ってくると、どかりと畳に座り込んだ。それからすぐに、ごろんと仰向けになる。

(やっと織衣を掴まえた──)

 まさか誰かを選ぶことになるなんて。
 惟人自身、思ってもいなかったことだ。
 当初から御妻合わせに乗り気ではなかった。この話を父親である今上帝からされた時、惟人は姫君たちを争わせて一人ずつ追い出そうと考えた。
 初日、広間に顔を出したのは、姫君たちに自分の意向を宣言するためと、どの姫君を火種にするか決めるためだ。
 その姫はすぐに決まった。いきなり「好きにしていいのですね」と挑発的な笑みで言い返してきた近衛大将の娘、織衣である。最も低い五乃舎に入る彼女は、高位の姫君からの妬みも受けやすく、火種としてはうってつけだ。あと、直感的に面白そうな女だと思ったのも否めない。

 惟人の直感は的中する。織衣は想像以上に型破りな姫君だった。
 東宮相手に怯むことなく、態度はめちゃくちゃ横柄で、愛想に至ってはほぼ皆無。嫌がらせにも泣き出すことなく、ただの勝ち気な姫かと思いきや、困った者にはためらわず手を差し伸べる情の厚さも持ち合わせている。
 そんな嘘や誤魔化しで飾らない真っ直ぐな織衣の態度は、欺瞞(ぎまん)あふれる宮内にあって不思議な強さをまとっていた。
 あの強い瞳に惹かれたのだと、今なら分かる。

 珠緒の件は、東宮御所の規律を保つための見せしめに画策したことだったが、多少なりと織衣に感謝されると考えていた。それがまさかの裏切り呼ばわり。
 挙げ句、「誰も選ばないのだろう」と皮肉られ、横っ面をがつんと殴られた気持ちになった。なんとか体面を保ち、織衣の頬に口づけを残してきたが、あの後の惟人の落ち込みようは言うまでもない。

 そしてようやく織衣に会えた今日。こちらは、こんなにも悩んでいたというのに、織衣はそんなこともよそに、またしても余計なことに首を突っ込んでいる。
 半ば巻き込まれる形で見てしまった三乃舎(みつのや)の姫君と嵯峨貴清(さがのたかきよ)との許されない逢瀬──。
 即刻、都の外へ追放されてもおかしくない行為だ。しかし織衣は、「大社の巫女が乙女であること自体がおかしい」と言い出した。

(大社の巫女の在り方を根本から変えるなど、さすがに私の一存でどうにかできる問題ではないぞ)

 どうして次から次へと織衣はこちらを試すようなことをしてくるのか。
 良かったことと言えば、自分の思いを伝えられたこと。そして、口づけを交わすことができたこと。
 あれだけ意思の強い織衣が応えてくれたのだから、少しはこちらに傾いていると思っていい。いや、思いたい。
 とは言え、この無理難題をなんとかしないと、再びそっぽを向かれる可能性もある。

(口づけを交わしたものの、崖っぷちな状態だな)

 惟人は大きなため息をついた。
 ふと、ちまたで流行っているという竹から生まれた姫君の物語を惟人は思い出した。確かあの物語に出てくる姫君も、言い寄ってくる公達(きんだち)に無理難題をふっかけていた。挙げ句、月に帰ってしまうのだから、頑張った男たちは割に合わない。

「まさか、織衣は月に帰るのか?」

 思わずそう呟けば、廊下で呆れる声がした。

「馬鹿ですか? 馬鹿ですね」

 いつからいたのか、蔵人(くろうど)の守泰がお茶を持って立っていた。守泰はどかどかと部屋に入ってくると、寝転ぶ惟人の傍らにお茶を無造作に置いて、自分の分を片手で持ちながら適当な場所に座った。

「天女じゃあるまいし、月に帰るわけないでしょう。それで? 仲直りは今日もできなかったので?」
「いや、できた」
「良かったじゃないですか。それなのに、何を悲壮な顔をしているんです? わりと鬱陶(うっとう)しいのでやめてください」

 周囲に誰もいないことをいいことに、守泰の口調はかなり横柄だ。しかし、気を許している証しでもあるので、惟人はこの無礼な物言いを心地良くさえ思っていた。
 現在、身の回りの世話は全て守泰がやってくれている。本来は女房の仕事だが、惟人が女を側に置きたがらないので、彼がその仕事を請け負ってくれている。「女の仕事をするなんて」と揶揄(やゆ)する声もあるが、本人は全く気にしていない。
 守泰は、頼木家の実子ではない。出自を公にはしていないが、実は下町の貧しい家の出身で、子どものいない頼木夫妻に上手く取り入って養子となったと聞いた。「どんな仕事でもやりますよ。俺は貴族さまではないもんで」が本人の口癖だ。
 惟人は、起き上がってお茶をすすると、守泰にため息まじりに答えた。

「仲直りの印というわけではないが、織衣が無理難題を言ってきた」
「……それ、本当に仲直りですか? やんわり断られてません?」
「違う。東宮として織衣が初めて頼って来てくれたんだ」
「ふうん。で、無理難題とはなんです?」
「大社の巫女の役目を既婚者でも可能にしろと。そうでないなら自分が行くと」

 刹那、守泰が飲みかけたお茶をぶっと吹き出す。そして彼は、呆れ顔を惟人に向けた。

「いきなりなんで大社の巫女?」
「話せば長くなるし、公言できない内容が含まれている。ちょっと今、私も混乱しているんだ」
「はいはい、面倒臭いな。じゃあ、整理して俺が動く必要があれば言ってください」

 守泰がさっさと話を終わらせる。この補佐役は、惚れた女でない限り、気持ちに寄り添うなんて優しいことはしてくれない。
 そして彼は、「そう言えば」とあらたまった顔で惟人に言った。

「先日、次乃舎の菊姫に招かれて行って来ました」
「千菊に?」
「はい。どうやら菊姫も織姫をいたく気に入ったらしく、今回の御妻合わせでは織姫を推すと決めたようです。で、協力しないかと話を持ちかけられました。俺を取り込んだ方が早いと判断したのでしょう」
「自分は辞退するということか」
「そうなりますね。その代わり、織姫以外の妃候補を全て排除するという意向です。菊姫自身は、妃とならず別の形で織姫と関わるつもりなのだと思います。東宮にとっても悪い話ではないですし、話に乗ることにしたので必要な時は密会する予定です」
「密会って」

 妃候補との密会を主に宣言するなんて、図々しいにもほどがある。
 しかし、信頼する守泰のことであるし、千菊は違う意味で側に置いておきたいと考えていた。

「ちょうどいい。将来的に千菊を織衣の補佐にどうだろうかと思っていたところだ」
「次乃舎の姫を五乃舎の姫に? 左大臣が許しますかね」
「私から折を見て元親に話をする。娘の千菊にその気があるなら助かる」
「だったら、左大臣に菊姫の頑張りをちゃんと伝えてやってください。父親の期待に応えようと一生懸命で……まあ、可愛いもんだ」
「可愛い」

 一条家の姫君に対しそういう感想が出てくるとは思わなかった。お渡りの時の千菊は、常に澄ました顔で非の打ち所がない姫君という印象だった。守泰とのやり取りでは違ったのかと気になったが、守泰が素直に教えてくれるとは思えず、惟人はこの件について追求することをやめた。

「とにかく分かった。菊姫のことはおまえに一任する。」
「ありがとうございます。あと──、」

 守泰が、さらに話を続ける。惟人は、次はなんだと首を傾げた。