東宮さまは、決して妃を選ばない。~平安巻き込まれ恋愛絵巻~【完結済】

 驚いて声を上げたものの、珠緒ににらまれて織衣は慌てて黙る。
 何を言い出すんだと思ったが、とにかく相手の言い分を聞かないといけない。
 織衣が口をつぐんだのを確認すると珠緒は再び話し始めた。

「当初より、織姫さまの東宮さまに対する反抗的な振る舞いは目に余るものがございますが……、裏では手練手管で東宮さまに言い寄っているとのこと。嘆かわしい限りにございます。もちろん、織姫さまの食事が捨てられていることは私も存じております。しかし、私が女房たちに確認したところ、四乃舎(よつのや)では物があれこれと失くなっており、全て五乃舎(いつつのや)の女房たちが盗んだものと思われます。それを思えば、当然の報いであると──」
「お待ちくださいませ」

 珠緒の言葉を織衣が遮る。
 織衣は、だんっと片膝を立てた。

「私に対する中傷は聞き流しましょう。しかし、五乃舎の女房たちに対する謂(い)われのない悪口は聞き捨てなりませぬ。今すぐ、撤回してくださいませ」
「そ、そのっ、反抗的な振る舞いが──許されぬと申しておるのです。なぜあなたのような女が東宮さまの寵愛を受けるのじゃ!」
「やめよ」

 惟人が二人を止めた。広間がしんっと静まり返り、重たい空気が漂う。
 彼は、広間に集まる人間をぐるりと見回してから、「分かった」と頷いた。

「四つの姫、そなたの望みは聞いた。織衣の不正を私に伝えたいと。それで良いな?」
「え、あ──、はい……」

 惟人に強引に打ち切られ、珠緒は呆然とした面持ちでうなずく。もともと押しの強い姫ではない。地位のある者から高圧的に出られると小さくなってしまう傾向がある。彼女は物足りない顔をしながらも、しぶしぶ引き下がった。
 が、織衣はそうはいかない。白黒はっきりさせないと気がすまない性格だ。

「東宮さま、私の話がまだ終わっておりませぬ」
「織衣、今は花合わせの最中だ」

 すかさず含みのある目で制止され、織姫はぐっと口をつぐんだ。いつにない鋭い視線に、為政者の風格が漂う。
 思わず織衣が怯むと、惟人はそのまま話を進めた。

「勝った方には望みのものを、負けた方にもそれ相応の負担をしてもらおう。織衣、異存はないか?」
「負担……。ならば、それは私一人が負いまする。幸姫さまは、この負けに関係ございませぬ」
「ほう?」

 惟人が、言質(げんち)を取ったとばかりの皮肉げな笑みを浮かべる。そして彼は、ちらちらと方々に目を配ってから織衣に言った。

「では、織衣。今宵、私の相手をせよ」
「……は、」

 一瞬、何を言われたか理解できず、織衣は間抜けな声を返した。
 次の瞬間、珠緒が「お待ちくださいませ!」と割って入った。

「おかしゅうございます。そ、それは負担ではなく褒美ではありませぬか」
「そうか? 私の相手は、織衣には相当の負担であるぞ。なあ、織衣?」
「ええと、はい。そうですね」

 織衣はまだ混乱中である。儀礼も忘れ、彼女が素で答えると、隣の幸が珍しく吹き出した。よくよく見ると、千菊は再び桧扇で口元を隠し、咲子は隠すことなく笑っている。ただ一人、珠緒だけが織衣をにらんでいた。

「そのようなこと──。この姫は、心の中でほくそ笑んでおりまする。誰が聞いても、織姫さまの歌は下の下の下にございます。そ、そ、そのような歌に、負担と称して褒美を与えるなど、聞いたことがありませぬ」

 今、「下」を三回も繰り返された。
 いくらなんでも言い過ぎじゃないだろうか。そう思う織衣の前で惟人がうなずく。

「下の下の下か。確かに、そうかもしれぬ」

 認めるんかい! いや、そうなんだけれども。
 しかし惟人は、ぞくりとするほど冷ややかな視線を珠緒に向けた。

「ただ、織衣の歌は遊びにて笑って流せる。が、笑って流せぬ振る舞いもある。分かるか? 四つの姫」

 不意に話題がすり替えられ、珠緒が怪訝な顔をした。
 急になんの話だと、戸惑っているようだった。しかし惟人は、かまうことなく言葉を続けた。

「そなたは、織衣の食事が捨てられたのは当然の報いだと言うが、それは物を盗られた仕返しに、四乃舎の者たちがしたという意味か?」
「……あ、いえ、ちがっ──」
「最近では、食事どころか汚物まで捨てられて、五乃舎(いつつのや)の庭はまるで掃き溜めのようだ。これについては、どう考える?」
「どう……とは──」

 珠緒は思わず近くの女房を見る。しかし、こんな時に限って肝心の女房たちは何も言ってくれない。言葉に詰まる珠緒を見つつ、惟人は部屋の隅に控える守泰に声をかけた。

「守泰」
「は、」

 守泰がさっと立ち上がりどこかへ退室した。そして彼は、すぐさま数人の女房を連れて戻ってきた。
 彼は乱暴に彼女たちを惟人の前に座らせた。

「四乃舎の女房衆にございます。五乃舎への嫌がらせは、全て自分たちがしたと申しております。物を盗られているという事実もございません」

 珠緒は蒼白となる。
 公然の場にさらされた四乃舎の女房たち。その中には、織衣が初めて食事を捨てられた日に「片付けろ」と言った者の顔もあった。

「四つの姫、これはどういうことか説明をしてくれるか?」
「わ、私は知りませぬ! この者たちが勝手にしたのです! そ、それに──」

 とっさに珠緒は守泰を見た。守泰に言われ、織衣をさらし者にするために来たはずなのに、さらし者になっているのは自分ではないか。

「よ、頼木さま、話が違います。わ、わわ私はあなたに言われて、ここで東宮さまに訴えようと──」
「……訴えられたらどうです? が、ご自身で調べもせず、噂ばかりを鵜呑みにしたあなたの話など聞いてもらえるかどうかは分かりませんが」
「騙|《だま》したのね……」
「騙したとは、人聞きの悪い。東宮御所の規律保持は私の仕事だと申したはずです。それよりも──、珠姫についてはもう一つご報告がございます」

 守泰は四乃舎の女房たちの傍らで片膝をついて、惟人に向かい合った。